裸裸裸ンド映画『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~』感想文

《推定ながら見時間:45分(vimeo鑑賞)》

「仮設の映画館」っていうので観たんです。知ってる方も多いでしょうがこれは新型コロナウィルスの流行を受けて営業を休止せざるを得なかったミニシアターや配給会社に少しでも利益を配分するための映画配信サイトというか仕組みで、公開予定だった映画とか公開中だった映画なんかを中心に10本ぐらいラインナップされてるんですが、鑑賞希望の人はその中から映画を選んで「映画館」を選択、まどこを選んでも同じなわけですがあくまで救済措置としての映画配信なので選んだ映画館に鑑賞料金1800円のうち幾分かが入る、観る方は好きな映画館を選ぶと直接そこを支援できて動画配信サイトのvimeoで24時間その映画が観れるとそういう仕組み。

で仮設の映画館のラインナップというのはサイトの発起人がドキュメンタリー映画監督の想田和弘、幹事会社(的な)がドキュメンタリー映画を多く配給している東風なので、地域密着型のドキュメンタリー映画であるとか、穏やかで人にそっと寄り添う感じの映画が多い。こけら落とし配信が福島の復興ドキュメンタリー『春を告げる町』、目玉配信が地方の精神医療現場と医師の老老介護を観察した想田和弘の『精神0』、裏目玉は少し前にミニシアターで公開されてロングランを記録したマレーシア発の珠玉の人間賛歌『タレンタイム ~優しい歌~』…と書けばですねなんとなく作品の傾向もわかる人にはわかると思うんですが、で、問題の『タッチ・ミー・ノット ~ローラと秘密のカウンセリング~』ですよ。

いや~…このサブタイトル、そして仮設の映画館の作品傾向、そこから察するに繊細な感じのカウンセリング・ドキュメンタリーと思っていたが…まぁ繊細な感じのカウンセリング・ドキュメンタリーというのは当たらずとも遠からずといったところではありましたが、予想の対角線から来たね。も~う映画始まって即チンコだからね。チンコマンコ陰毛センズリ。チンコマンコ乱交パイズリ。チンコマンコ発狂アイナメですよあなた。いやパイズリに関しては画面には映っていなかったかもしれないがそこらへん雰囲気として理解していただきたい。

シナリオ理解に支障を来す(『ぼくエリ』的な意味で)ほどにモザイク大量。トランスジェンダーや重度身体障害者の起用とその生々しいセックス演技オナニー演技。孤独に浮遊する女主人公の強迫的な心理状態を代弁するノイバウテンのノイズサウンドとブリクサの絶叫と囁き! まぁ、映画館の美点の一つは作品多様性にあることを思えば、他の仮設映画からあまりにも遠く隔たったこの内容は褒められこそすれ貶される謂われはないが、ただまさかこんな前衛的な映画だとは思わなかったのでめちゃくちゃびっくりしたのは事実であった。

なんかベルリン国際映画祭で最高賞の金熊賞取ったそうですよこれ。観て驚いて聞いて驚く。でもそうですよねぇ、ベルリンって三大映画祭の中でもやっぱ前衛的な映画をすごく評価しますものねぇ。日本でベルリンの賞取った人といえば(いえば、と言いつつウィキ見ましたが)瀬々敬久とか若松孝二とか園子温とかがいるらしい。他にもたくさんいるが三人挙げれば充分だろう。たとえばこのように想像してほしい。のどかな田舎ドキュメンタリーとか人間ドラマばかり配信されているサイトでこれもそんなやつだろうと思って再生したのが園子温の映画だったら…若松孝二の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(ベルリンでは最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞を受賞)だったら…めちゃくちゃびっくりするに決まっている。

で『タッチ・ミー・ノット』のストーリーとしてはですね、これはまぁ基本的に前衛なのでフィクションとドキュメンタリーの境がすごく曖昧で、どこまでが台本的な会話でどこまでが当事者のインタビューかわからないのですが、ざっくり、トラウマが原因で他人と肌を重ねることができなくなった主人公の中年女性ローラが性と生の解放を求めて色んなマイノリティの人とセックスについて対話をしたり、交感したり、その関わりの中で少しずつトラウマと向き合っていったりする、というようなお話ではあるらしい。松本俊夫とか山本政志の初期作みたいのをイメージしてもらえばわかりやすいだろうか。反復するノイズ音楽の導入はちょっとだけファスビンダー風味もある(トランスの人も出てくるし)

難解といえば難解ではあるがテーマ的なものは公式サイトを覗いたら監督が全部言ってたのでその点で難しい映画ではない。

親密性は人間が生きていくうえで核となりますが、そのルーツは母と新生児の初めての身体的、感情的、心理的な繋がりにあります。
〔…〕
このアイデンティティ形成における重要な過程の次には、個人レベルでの健康的な親密性が集団レベルでの関係にも大きく影響し、密な愛着を介し人間の心理社会的な繋がりを生みます。家庭内における親密性の歪みは、争い、虐待、差別、偏見の土壌をさらに広げ、社会や政治にまで影響をおよぼします。

仮設の映画館には日本では年間数十例ほどしか行われていない受刑者のグループセラピーによる更正を主題にした『プリズン・サークル』(これは必見)というドキュメンタリー映画もあり、それとも通底する問題意識がアディナ・ピンティリエとかいう新人監督にこの前衛映画を撮らせたようでちょっとだけ興味が湧くところだが、しかしこの臆面もないフロイト/ラカン主義にはぶっちゃけ辟易させられてしまった。

要するに、人間の抱える問題とはパパ-ママ-ワタシの関係性の問題であり、そこに組み込まれたセックスの問題でしかないんである。これこんなの全然面白くない考え方じゃないですか? なにも〈アンチ・オイディプス〉とまでは俺は言いませんが…あけすけな性描写を通じた精神の解放というのも、なぁ、みたいな。前衛のようでいてその思想の核心は非常に保守的に思えるし、その前衛性の映像的解釈がそもそも、俺にはかなり定型的で前衛としての前衛という風に見えて、なんでこれがベルリン金熊賞なのか全然わからんというのが正直な感想。

これ、映画館で観てたらどう感じてただろうか。家で観てもこれだけサプライズがあったのだから映画館で観たらもっとビッグサプライズになっていたのだろうか。いやでも、これはやっぱり仮設の映画館で色んな映画を経て観たからサプライズがあったわけで、映画館で観てたらふーんこういう映画かぁって感じで素直に受け入れて終わってたんじゃなかろうか。案外、ネット配信でもこういう事故的な映画体験というのはあり得ると知ったので、その意味では得がたい体験でしたね。

※印象的だったシーンは脊髄性筋萎縮症という難病の人が自分の身体の中で好きな部分はペニスだと答えるところ。その理由は数少ないちゃんと機能している部位だからとのことで、乙武洋匡が不倫しまくってことがバレた時にはバッシングも起こったが、そりゃそうだよな手も足も出なかったらチンコぐらい出したくなるよな、と数年越しで納得してしまった。そういう新しい視点を獲得できるところもないではない『タッチ・ミー・ノット』です。

※※あとちょっと思ったのは実際に脳性麻痺の女優さんが主演してそのセックスを通した自立と成長を描いた『37セカンズ』という映画が最近ひじょうに評判になったわけですが、あれが別に悪い映画だとは思わないのですが(個人的な好みはともかく)、比べるものでもないとはいえ『タッチ・ミー・ノット』みたいな映画を観るとあれはやっぱり健常者目線というか、健常者に障害者に理解ある俺を気取らせて気持ちよくさせる接待映画的な側面はあったなぁと。そういう偽善は中毒性があってそれなりに危険なので『37セカンズ』にハマった人には『タッチ・ミー・ノット』を観て解毒してもらいたい。

【ママー!これ買ってー!】


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とくに関連性はないのだが手法になんとなく共通するものがある映画ということで。糞真面目な『タッチ・ミー・ノット』と違ってこちらはもっと軽薄でコミカルですが。

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