【ネッフリ】『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』完走感想(ネタバレなし)

《推定ながら見時間:全10エピソード中6分》

オープニング・エピソードがもう無理で、まだタイトルも出ていないのに出るんですよ、こわいのが。首折れ…首折れ女というのが。なんなら文字にするだけでこわいぞそんなものは。
しかし完走してみるとこれが全然こわくない。首折れ女のほかにも杖つき男とか気味の悪い幽霊や現象が色々登場の超こえードラマですけど全10エピソード約10時間全部見るとこわくなくなる。

慣れるからとかじゃないんですよそういう目的のドラマだったんですよヒルハウス。つまり幽霊の恐怖はどうしたら克服できるんだろうみたいな、セラピーみたいな。
ホラーなのに超こわいものを全然こわくなくすために約10時間も費やすんだから生半可な心構えじゃないなこれは。

その幽霊というのは何か具体的にイメージできるものではなくてもっと抽象的な、「なにか」としか表現できないようなもので、それが悪魔ならエクソシストでも呼べば良いし(解決になるかは知らないが)、未練や恨みを抱えた霊ならお祓い屋に除霊でも頼めばいいが(それで解決になるかは知らないが)、その恐ろしいものがいったい何なのかわからない、だから、便宜上幽霊と書いていますがあれを幽霊と呼ぶのが適切なのかどうかも実はわからない、いちばん近い代替表現を探すなら死が自らの意志で様々な形を取って現れたもの、というようなもの。

『人喰いトンネル』からこのかた正体不明の何かに怯えて壊れていく家族をJホラースタイルで描き続けている監督マイク・フラナガンはたぶんそんなような幽霊的ななにかを信じている。
信じているから途中まで幽霊的なやつが超こえー感じで描かれるんですけれども信じているから最終的には幽霊的なやつが確固たる意志でもってこわく描かれなくなるし、信じているから一見その二律背反的尻すぼみに思えるものがそうでしかありえないように、表裏一体の戦慄のホラー/悲痛なヒューマンドラマとして完璧に両立できたんじゃないか、と俺は思っているがフラナガンがそう思っているかどうかは本人以外知るよしもない。

ざっくりストーリー。原作にシャーリィ・ジャクスンの有名な同名小説がクレジットされているが実際はほぼ脚本も書いたマイク・フラナガンのオリジナルというか、魔女のモチーフとか奇妙な心理とかジャクスン的な要素を随所に配しつつスティーヴン・キングの『シャイニング』。
修繕して転売する目的で一夏の間だけ幽霊屋敷として恐れられている人里離れた大邸宅ヒルハウスに住むことになったクレイン一家。
そこでの恐ろしい体験は一家を半ば離散状態に追い込んで、十年二十年と経った今でもそのメンタルダメージは癒えることがない。

末っ子のネルが自殺を遂げたのはそんなある日のことだった。最後に残した言葉は「首折れ女がまた現れた」。かくしてクレイン一家は再びヒルハウスの恐怖に絡め取られていく…。

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というお話なんですがクレイン一家は5人兄弟に父親プラス亡くなった母親の計7人。でこれは一家各々のヒルハウスでの恐怖体験とそのことが現在の生活にどう影響を与えているかというのを1エピソードの中で交互に、1エピソード1人ずつ描いていくのでめちゃくちゃ、もうめちゃくちゃ話が進まない。

10エピソードまでしかないのにエピソード5まではネルが死んだその日から時間が先に進まないのだからすごいが、ところでこの饒舌でも冗長でもあるようなストーリーテリングはキングの原作版『IT』とかなり近いところがあった。
これはたまたまとかじゃないだろう。フラナガンはネッフリオリジナル映画でキング原作の『ジェラルドのゲーム』も手掛けているし、シャーリィ・ジャクスンの原作をそれを下敷きにした(というか二次創作的な)『シャイニング』風のストーリーにわざわざ改作しているくらいだから、『IT』成分が入っているのも別におかしくないというかむしろ頷ける感じ。

このへん好みが分かれるところかもしれないが、めちゃくちゃスローな展開の端々に幽霊的なやつのチラ見せを突然フッと差し挟んできたりするから気の抜けなさは尋常ではない。っていうかスローだから余計こわい。
展開もスローならホラー演出も粘性スローだ。この粘性演出が実にもう本当に厭で、特にエピソード4に出てくるヒルハウスの杖つき男なんか心底勘弁してほしかった。

こわくないんですよ杖つき男。扉の外に10センチぐらい浮いている全身が先に見えて、でなんかこっち向かってくるわけでもなく廊下を徘徊しているみたいなんですけど、それをカット尺長めにダラーっと撮る。
先に幽霊の全身とか見ちゃったらこわくないよね。別に悪そうな幽霊じゃないっぽいし。で、それを見たネルの双子の兄のルークはちょっと怖いけどまぁ安心してベッドに戻るんです。

…そしたら部屋に来るんだよ杖つき男…一歩一歩カツッ…カツッ…って同じリズムで杖鳴らしながら。
こわくないはずなんだよもう全身見てるから。だいたいこんな感じのやつっていうの知ってるから。人間は未知のものを恐れるというでしょ。
でも近づいて来るとどんどんこわくなる。安全に見えたものが一歩一歩少しずつ危険なものに変貌していく。

この容赦のない間の取り方には参った。マイク・フラナガンの演出は一本調子で飛躍とか省略ということを基本的にしないので、それが効果的な時も単に間延びしてるだけっていう時もありますけど、杖つき男なんかの場合はそれが最高に厭な方向に機能してたと思ったなぁ。

幽霊とか悪魔とか恐怖の対象が急に現れてギャー! みたいなアメリカン・ホラーの定番びっくらかしは瞬間的に超こわいですけどそれが済んだらもう終わりっていう安心感もあるじゃないすか。
そういう緩急のない、驚かすわけでも襲ってくるわけでもないけれどもただ幽霊的なやつがそこにいて、ずっと画面から消えてくれない…っていうのはめちゃくちゃ厭でしたね俺は。

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物語はエピソード1~5で一家の成長した子どもたちのキャラクターとか現況とか、ネルの死とかヒルハウスの謎を小出しに描いて、離散家族が一堂に会するネルの葬儀が舞台のエピソード6を挟んで解決編に移っていく。
この節目エピソードのエピソード6はすごかった。ネルの死体を前に大規模家族喧嘩勃発の居たたまれなさ具合もすごいがやはり長回しが。10分超の長回しを三つ四つ繋いでそれから細々したいくつかのカットで締めるのですが、この長回しの、いつどこに幽霊的なやつが出るかわからない緊張感たるや。

でまたすごいのがその長回しの中でシームレスに現在の場面と過去の場面をごちゃ混ぜに繋いでしまうという。
エピソード1~5までは過去と現在に共通するなにかしらの台詞とか小道具なんかを媒介にして過去→現在→過去→現在→過去→現在とこういう風に、キャラクターの思考の流れに沿った編集が成されているのですが、ぶっちゃけ申せばやや単調で飽きてくる(幽霊的なやつが出る場面は相変わらずこわいとはいえ)その杓子定規な繋ぎにふーんとしか思わなくなった頃にぶっ込まれるエピソード6の時制の崩壊。なんかえらい興奮してしまった。

シャーリィ・ジャクスンの原作にキングの『シャイニング』や『IT』を象嵌する、というかむしろキング成分の方が断然多くなっているということはキング流モダンホラー的な実はそういうことだったのか展開(※語彙の貧困)がエピソード6以降の解決編エピソードの核になる。
どのような実はそうだったなのかは口外不可ですが、手元のマウスがガッテンボタンに見えてきて志の輔がキューブリック版『シャイニング』の幽霊バーテンに脳内変換されるぐらいには衝撃を受けましたね。おわかりいただけただろうか(わかるか)

いや、つまり、それまでのエピソードに小出し小出しで散りばめられてきた謎ピースがピタッと一枚の絵を成す、その手並みの鮮やかさと完成した絵の厳密な幾何学模様に驚いた。
ラストのエピソード10はそうした謎解きカタルシスと、こわいものがこわくなくなって、また逆にこわくなかったはずのものがこわくなっていく感情の悪夢的混淆が、それからその静かな乗り越えが凝縮されたエピソードで、いやもうなんだか感無量の大団円。

ところでこの大団円、キューブリック版『シャイニング』のオチに対するアンサーのような趣があった。
シンメトリー多用の映像感覚はキューブリックの映画版『シャイニング』に近いがストーリーはキングの原作版『シャイニング』だから、マイク・フラナガンたぶんキューブリック版もキング版もどっちも大好きだと思うんですよ。
で原作から大幅に改変されたキューブリック版の『シャイニング』のラスト見てそこじゃ終われねぇだろって心の中でツッコミ続けてたと思うんですよ、原作も好きだから。

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だからそういう意味でも大団円感があるっていうか…なにを判定基準にするかで答えだいぶ変わってきますけど、『シャイニング』を映像化するならこれがベストの形だなって感じで、なんかそこもしみじみと感じ入ってしまったなぁ。
俺もキューブリック版『シャイニング』好きですけど原作の方を先に読んでるし、あれ結構良い話だから原作を頭の片隅に置いて冷徹なキューブリック版見たらやっぱすげぇ違和感あったんですよ。そのわだかまり、解消されましたねヒルハで。

という感じの『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』。いやぁこれは面白かった、こわかった。
全体的にたいへんよくできていたので書き残した面白いところもいっぱいある。超長台詞の怪談語りもよかったし、ヒルハウスのプロダクション・デザインも雰囲気抜群、ザ・ニュートン・ブラザーズの陰性サウンドは切な怖くて、ヒルハウスの恐怖体験が原因で累犯ジャンキーになってしまったルークの闘病っぷりは涙なしには見れないというかその模様に密着なエピソード4とかガン泣いた。よかったですね、ルーク役のオリバー・ジャクソン・コーエン。

どういう人なのか存じ上げないが何年か前、トラッシュ・マウンテン・ビデオというレーベルから出たカルト映画の二本立てDVDシリーズ(一枚のディスクに映画が二本入ってる)の『地下室の魔物/ガーゴイルズ』編で、藤本博之という人が家ものホラー『地下室の魔物』の解説を封入リーフレットに書いていた。
その一節が『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』の魅力と、マイク・フラナガンが描こうとしたものの核心に触れていたように思うのでDVD棚から引っ張り出して引用して終わる。

殺人鬼がひそむ湖畔も、吸血鬼の牙城も、あるいは宇宙のかなたの怪惑星だって、それがどんなに困難であるかはともかくも、そこから帰ってくる場所は存在している。その意味で逃げ道はあるわけだ。しかし“家”は違う。それは、そこで命を終えるしかない“死に場所”なのだから、家を舞台とした物語の終焉には端的に言って死しか存在しないことになる。ときに滑稽なまでの〈腑に落ちなさ〉と、そして名状しがたい〈腑に落ちる〉死への予感、これが家ものホラーに欠かせないアンビバレントな要素であるのかもしれない。

【ママー!これ買ってー!】


シャイニング 特別版 [WB COLLECTION][AmazonDVDコレクション] [DVD]

キングの長大な原作からそのエッセンスを抽出して2時間の映画に収めることはその冗長さが恐怖のフリとして機能するキング原作の特性上たいへんむずかしいことなので、粗製濫造が著しい玉石混淆な映画群と比べて『死霊伝説』とか『IT』(1990)とか『ランゴリアーズ』とか放送時間をたっぷり取ったTVミニシリーズの方が総じてキングらしさが生きていて出来も悪くない(私見)

中でもキングのオタ友ミック・ギャリスが監督した『シャイニング』はかなり面白い方だと思うがなにせキューブリック版があるので…という不幸な一本。
ギャリスといえば漫☆画太郎ばりの打ち切りラストが壮絶だったもはや懐かしドラマに属する『霊能者アザース』も手掛けているが、『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』もちょっとだけ、ちょっとだけだとしても『霊能者アザース』感があった気がしたのでそこもまた琴線に触れる。

↓原作というか原案というか呪いの震源というか


丘の屋敷 (創元推理文庫 F シ 5-1)

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