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映画開始と共に現れる主人公の小4・嶋田鉄太の顔面があまりにもタイトル通りに普通の子どもすぎる! この子どもの普通の顔面を長回しで捉えたファーストシーンでもはや心はすっかり奪われているわけだがその後に続く生き物がかりの仲間たちとのワラジムシ集めのシーンで露わになる「なんでダンゴムシじゃいけないんですかッ!」「ダンゴムシは殻が硬いから!」など同級生共々あまりにも普通の子どもな思考および会話ときたら爆笑もので、この主人公が夏休みの作文発表で環境問題の責任は大人が取れよ! とアントニオ猪木の現役時代のマイクパフォーマンスぐらい強い圧で他のバカ小学生どもとは一線を画す青年の主張を繰り広げた女子児童ココアちゃん(瑠璃)に一目惚れ、みんなから賢いやつと思われたくて絶滅動物危惧種データ本などを図書館で借りてきてっわざとらしく教室で読んでいた小4時代の俺のようにココアちゃんも他のバカ小学生どもと違って休み時間もやかましく騒いだりせず一人で環境問題のむずかしい本を読んでいるのだが、主人公は小学生の浅知恵でココアちゃんとお近づきになるためにまるで関心などないのだが表面だけ環境問題を意識し始め「いや~、サステナブル、良いよね~」とか言ってみたりして気を引こうとするのだから、これはもう抱腹絶倒といってよかった。
ところが他愛のない小学生喜劇と思わせておいてクラスにこういうヤツ一人はいるよな~な教室内外を落ち着き無く走り回り人が集まっているところに突撃しては「はいドーン!」と物とかを崩して走り去っていく(小学生行動すぎる!)多動小学生男子が主人公とココアちゃんの間に入ってきてしまったことから自体は意外な方向に進展、「で、あめーらなんもやんねぇの?」とワイルドな魅力を振りまく完全に無駄に活動的なこの多動小学生男子の言動にココアちゃんは恋愛感情とかではないだろうが主人公よりも断然心引かれてしまい、その行動力を得ていくら警告を発してもちっとも環境問題を改善しようとしない大人たちに猛省を促すべく小学生運動家に変貌、環境問題告発のためのさまざまなわりと非合法なアクションを行っていくのだ! そのアクションは主人公たちの住むさして面白いこともないそこらへんの町を刺激しおそらく他校の生徒による対抗的連帯アクションも引き起こすのだが、それを見たココアちゃんと多動小学生男子はちくしょう真似しやがってウチらも負けてらんねぇよと発憤してしまい活動過激化。そんな過激派小学生活動家二人の横で主人公、完全に「う、う~ん…」の顔、ということで小学生喜劇は主人公の普通の小学生すぎる言動による抱腹絶倒はそのままにいつの間にやら学生運動映画に姿を変えていくのであった。
いやぁ、素晴らしいですね。小4のリアルな言動と生態、それに振り回される大人たちの反応もとにかくいちいち面白いのだが(いろんな人の板挟みになる学校の先生の風間俊介が気の毒ながら笑える)、学生運動映画としてもこれは傑作なんじゃないでしょうか。近頃なぜか68年学生運動ブームっぽい気配がありおそらく背景にはSNSを介してアメリカより広まったアクティヴィズムの思想があるのでしょうが、そうした風潮の中で制作される68年運動題材の映画(たとえば『三島由紀夫VS東大全共闘』とか公開中の『桐島です』とか)などは敗れはしたが運動自体には意味はあったと運動を肯定する立場というか気持ちから68年運動をやや美化して抽象的に捉えることが多いように思われ、その意味で68年運動に対する切り込みはむしろ浅いといえる。でも『ふつうの子ども』は違うのだな。序盤に登場する環境活動家グレタ・トゥーンベリを模した動画を見るにどちらかといえば学生運動に懐疑的な立場を取っており、どうして学生活動家たちは過激化していったのだろう、何が彼ら彼女らを学生運動に駆り立てたのだろうと、安易に賛美するのではなく頭ごなしに否定するのでもなく、学生活動家たちの心理を俯瞰的に分析しようと試みる。
いや、いや、これは俺が今1968年ものの本を読むのにハマってるから牽強付会しているわけじゃないんだ。そもそも熱心な活動家風情の女子になんも考えてない軽薄男子がお近づきになろうとして運動に関心を持つというプロットは学生運動を扱った映画の代表的な一本である『いちご白書』。それを踏襲したとしか思えないこの映画が68年運動をまったく意識していない方が不自然だろう。そしてその分析は概ね正しいように思われる。つまり、学生活動家が学生運動を行う背景には、大義名分とは別にもっとパーソナルな問題や不満があり(たとえば、日本における68年運動の起爆剤の一つは戦後の急激な学生増に対応できていなかった当時の劣悪な大学環境にあったと指摘されており、東大闘争と並んで大きな里程標となった日大闘争は当初学生たちの待遇改善や地位向上を求める運動であった)、運動の方針や要求は目的ではなくしばしばセクト間の勢力争いに影響されたこと、など。活動家本人たちの意識としてはそうだったかもしれないが、学生運動は決して正義に燃える学生たちが理想の実現のために戦った、というだけではないわけで、それをよく描いててちゃんとしてると思ったな~これは~。まぁかつての大学生の運動を現代の小学生の運動に置き換えているわけだからそこらへんは意地悪かもしれませんが!(でも、68年当時の学生たちの純真や熱量を持てるのは、どいつもこいつも金儲けといいね集めしか頭にないすれっからしばかりになった現代日本では小学生ぐらいだろう)
抱腹絶倒の子ども喜劇でありつつ舌鋒鋭い学生運動批評の映画でもあるという相当なアクロバットを事も無げに実現してしまっているというだけでも尋常ではないが、そこに蒼井優や瀧内公美といったお芝居オバケの女優さんの巧みなお母さん演技も入ってきて、大人の世界と子どもの世界の静かな摩擦を胃の痛くなるようなスリルで演出したりもする。こんなに笑わされて同時にグサリと心を刺される映画は『こちらあみ子』以来じゃないだろうか、と書いてそれ結構最近だろと思うのだが、ということは現代の邦画界は若手監督たちが子ども映画の珠玉作をなかなか恐ろしい速度で送り出しているひそかにすごい時代ということかもしれない。先週観たばかりの『海辺へ行く道』も子ども映画の傑作だったしな。ってなわけで『ふつうの子ども』、監督の呉美保と脚本の高田亮に俺デミー賞10個贈呈! 主人公から同級生のおかっぱ女子まで全員がナチュラルな名演を見せてくれた出演小学生たちにはうまい棒を一本ずつ贈呈だッ!