その惹句ギリでアウトじゃないの映画『追想』の感想(ネタバレ爆発)

《推定睡眠時間:25分》

たった一日で終わってしまった結婚生活が云々みたいな公式ネタバレはどうなのよと思わないでもないのは別れるか別れないでかなり最後の方まで引っ張るんですよこれは。
回想形式なんですけどどこを起点にした回想って初夜を控えた新婚旅行の初日で、そこからまた一ひねりあるとはいえ、別に言わなくてもこいつら別れるんだろうなぁって思いながらだいたいの客は観るんだろうとはいえ、建前っちゅーものがあるじゃないの…セガール映画のビデオジャケ裏解説だって「最後はセガールが全員ぶっ殺す!」って書いてあるの見たことないですよ俺は! いやまぁ建前的に「セガール絶体絶命」みたいなあらすじ書かれてもそれはそれで嘘つけよって感じになりますが…。

いいんだよ。そんなことはいいんだよ。ある意味ではネタバレがネタバレとして機能しない映画だったから。公式がネタバレするなら俺もネタバレするよ。
それで別に面白さが減じるわけでも…いややっぱ減じるかもしれないから前知識童貞で見たい人はさっさと帰れ。消えてしまえ。真っさらなこころでこのメロを全身に浴びてもう目の前には存在しない記憶の中の誰かによよと泣き縋ってしまえ!

そうそれで、ラストシーン。いきなりラストシーンの感想ですけどこれは超マジ素晴らしいな。撮影監督は『シェイム』とか『それでも夜は明ける』のショーン・ボビットという人だそうですが、例のメロカップル、シアーシャ・ローナンとビリー・ハウルがはじめての性交渉に失敗しちゃって、原題にもなってるチェジル・ビーチの長い長い砂州の砂利浜でお別れをするっていう場面。

合体失敗ごときで新婚早々結婚解消することはないだろうという気もするがそれは後述するとして、このふたりをまずカメラが画面いっぱいに収めてるんです。落胆して砂利浜に立ち尽くすビリー・ハウルとその背後に立って許しを請うシアーシャ・ローナンね。
で、ややあって仲直りを諦めたシアーシャ・ローナンがビリー・ハウルに背を向けて歩き出す。するとおもむろにカメラも引きながら横に移動していって、どんどんビリー・ハウルから離れていくシアーシャ・ローナンを画面の際にワンカットで捉え続ける。

そのダイナミックな構図の変化! 最初にふたりの顔があってさ、それが段々と画面左端にシアーシャ・ローナン、右端にビリー・ハウル、下部に波打ち際がふたりを繋ぐ線を引いていて、それから上部にはふてくされた曇り空が広がっているんですけれども、離れていくシアーシャ・ローナンを追いながらカメラは少しずつ上を向いていくんで、そうすると波打ち際が姿を消して二人の心象を無言で代弁する灰色の空ばっかりになっていくわけですよ。ふたりの姿はどんどん小さくなってあの空の灰が画面を覆ってしまうんですよ!

で! そこで! ついにカメラが動きを止めてシアーシャ・ローナン画面から消えるわけ! もうジャコメッティの彫刻みたいに小さくなって一面の灰の中で立ち尽くすビリー・ハウルを画面右端にポツンと残してシアーシャ・ローナン消えちゃうんですよ画面から!
映画こうやって終わるんですけど超最高だったですよこれ。俺は全ての映画がこんな風に終わってほしいと思うよ。

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というラストシーンのスーパーなメロ詩情はしかし撮影の技巧にのみ帰すことのできるものではなくて二人の演技もそうだし、むろんむろん見事なシナリオもあってのものというわけでこの部分がつまり邦題の『追想』だったというオチ。
この仕掛けがあったから「たった一日で終わった」云々のネタバレ宣伝がギリで許容範囲と判断されたんじゃないか。この映画は二度始まる…は別の超ヒット映画のキャッチコピーですが。

仕掛けとはなにかと言うと新婚旅行のドキドキ初日、ふたりが前戯的イチャイチャトークを繰り広げながらその半生から馴れ初めから…を回想しているというのはラスト30分ぐらいまでで、これも大いに唸ってしまったがチェジル・ビーチでの例の破局シーン後、急にですよ急に、なんの前触れもなくT.REXの『20センチュリー・ボーイ』のイントロが入ってきてテロップに1973年、10年ぐらい時間が飛ぶ(新婚旅行は1962年設定)
そこからはシアーシャ・ローナンを見捨てた後の落ちぶれビリー・ハウルの視点から物語が綴られるわけですが10分ぐらいしたら今度は2007年のテロップが出てしまった!

ちょっと飛びすぎじゃないかと思うがそこがキモで…この1973年とか2007年というのはビリー・ハウルの人生に再びシアーシャ・ローナンの影が入ってきた時。
学者の夢なんてすっかりどこへやらでレコード屋を営んでいた1973年にはシアーシャ・ローナンの娘がそれと知らず店を訪れた。2007年には自前の楽団を率いていたシアーシャ・ローナン(バイオリニストを志していた)が引退するっていうのをラジオで聴いて矢も盾もたまらず引退公演に走った。

あの素晴らしいラストはその公演の場で舞台に立つシアーシャ・ローナンと客席のビリー・ハウルの視線が交わってそこから繋がる場面なので二度目のチェジル・ビーチは老ビリー・ハウルの回想だったわけです、が、そっから考えたらさ、1973年の場面も老ビリー・ハウルの回想として見れるわけじゃん。
めっちゃ切なくないそれ。老い先長くなさそうな2007年のビリー・ハウルが俺の人生どんなことあったかなぁって振り返った時に出てくるのがあの別れの日と、そっから一気に飛ばしてシアーシャ・ローナンの娘と邂逅を果たした1973年のなんでもない一日のことでしかないんだよ。

それはたまんねぇなっていう感じなんで俺『3-4X10月』方式のフラッシュフォワードかと思ったんですよあのラストシーンが始まった時に。
つまり1973年も2007年も今まさにシアーシャ・ローナンを見捨てようとしている若ビリー・ハウルの脳裏を一瞬の間に駆け巡った逆走馬灯みたいなものということ。

だから言うんじゃないかと。今度は言ってくれるんじゃないかと。悪いのは童貞喪失に失敗して超機嫌が悪くなった狭量早漏のビリー・ハウルなんで、それでも許しを請うシアーシャ・ローナンに対してお前とりあえず謝ってくれよと。謝ったら復縁まで行くかどうかは知らないけれども仮に別れてもわだかまりは残らないかもしれないじゃん。そんな何も無い人生にならなかったかもしれないじゃん。

でも言ってくれないんだなだって回想は回想だもの。SFでも妄想でもないもの。ていうところであのラストシーンが劇的なすばらしメロになったというわけです。メロのコアは諦観だ。

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いやぁそれにしてもチェジル・ビーチの別れの場面は本当にうっとりしてしまうな。ビリー・ハウル、シアーシャ・ローナン、これがまたびっくりさせられるのはさっきまでホテルの一室でケツ青カップル丸出しだったのに(ビリー・ハウルのケツも丸出しになる)ビーチで言い争う姿は十数年も連れ添って疲弊しきった夫婦みたいに見えんのよ。
でまたその一助になっているのがホテルでの時間の流れで、もうとにかく遅い。なにか台詞を言う度に、なにか動作をする度にふたりの回想に入るから遅々として進まない。

巧い作りよね、あのスローな時間には様々な含みがある。親密ムードを醸成して夫婦の印象を焼き付けるし、初体験にビビりまくるビリー・ハウルの主観的な時間でもあるだろうし、あるいはその後のふたりの想い出の中の出来事としての弛緩した時間でも、ビリー・ハウルとは別の意味で初体験を恐れて少しでも引き延ばしたいシアーシャ・ローナンの願望のこもった時間でもあるように見えたりする。

最後の部分はことのほか大事なところでシアーシャ・ローナン、なんでそんなにセックスを恐れるかというと父親から性的虐待を受けてきた。
合体に向けてセックスマニュアルを読みながら妹とはしゃぐ愉快な場面があるがマニュアルを読みながらピーニスが充血!? とかなんとか思わず声に出してしまうということは挿入はなかったっぽい。ごく短いフラッシュバックから察するにこの父親は寝ている幼シアーシャ・ローナンを触ったりなんかしながら出していたんじゃないかと思われる。

父親は寝ていると思って行為に及んでいたが幼シアーシャ・ローナンは気付いてたんだよね。気付いてたんだけれどもでもずっと寝てるふりをしていたわけですよたぶん、この人は。
手を触れることの躊躇い。唇を重ねることの抵抗。とか最初の方はイチャイチャ描写っぽく見えるがそうなってくるといやもう全然見え方が違ってしまうからぐへぇって感じだ。

そういう過去を持った人を無邪気にベッドに連れてって性の不一致を理由に一方的に結婚を解消するビリー・ハウル酷すぎないという気もするがそれは映画を見ているやつの特権的な視点だからな。
最後までそのことに気付けなかったビリー・ハウルにも事情というものがある。保守的な家庭で育ったシアーシャ・ローナンとは対照的にユニーク歓迎なアーティスティック環境で育ったこの人はとにかく普通な自分を認めてもらいたかったし、普通な人でありたかった。

ビリー・ハウル家とはどんな家庭か。元から躁気質の母ハウルは駅のホームでそこ立ってたら危ないよの警告をガン無視して一心不乱にあの画家がすげぇ的な話をしていたらホームに入ってきた列車のドアに激突してブレインダメージャーに。
以来、家で絵を描いたり全裸で中庭の鳥たちと語らったりして過ごしているが誰も咎めたりしないのでめっちゃいい家庭環境じゃんと見ている側としては思いますがビリー・ハウルにはそのユニークが逆にプレッシャーになってしまう。

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大学ですげぇ良い成績もらったぞ! とか母親に言っても全然伝わらないから褒めてもらえない。悔しいからアート寄りの妹たちに自慢するのが可笑しいがアート寄りだからふぅん的な反応で終わってしまいこれはかなしい。
時代はスウィンギング・ロンドン前夜。周りがどんどんユニークになっていく中でユニークに適応できないビリー・ハウルは孤立してしまった。
頑なにノーマルなセックスに拘る童貞的というか童貞なしょうもなさの背景にはちゃんとそういう苦しさがあったのだ。

そのビリー・ハウルが心の拠り所とするのが保守な家庭で虐待されて芸術の世界に脱出口を見い出したシアーシャ・ローナンっていうんだから皮肉やらなんやらもうわかりませんがとにかく、メロい話。
ビリー・ハウルはシアーシャ・ローナンに理想的な普通の人を見ていたがシアーシャ・ローナンの目から見たビリー・ハウルはユニークな人だった的な視線のズレは滑稽でも悲劇的でもあるが、その交わらない視線がそろそろ棺桶に入ろうという時になったようやく、あのコンサートホールで交わったのだと思えば、切ないがハッピーエンドだったのかもしれないなあれは。

そうだ、流れで滑稽の語が出たので記しておきますが結構笑える映画だったんですよこれは意外や。母ハウルの列車ゴツンとか事態の深刻さからいって笑ってはいけない気がしますがでもあれ絶対笑わせようと思って撮ってる。タイミングとか絶妙なんだよ本当。
あと映画館デートの過剰さとか。ふたりの席の周辺の客がみんなまぐわってるんですけどそんな映画館いくらなんでもないだろ! みたいな。
でもその後の展開からするとこういうのは笑えない。いかにもギャグとシリアスの際を攻めてくる意地の悪い英国センスって感じ。良い意味でですけど。

とっちらかってきたのでそろそろ感想を終わろうと思いますが最後にショーン・ボビットの撮影が超イイっていうのをもっかい言っておく。
風景画的な場面が随所に配されていて、その明瞭な構図もすばらしいし、緑の豊かな濃淡とかターナー風の黄土色のくすみとかもーう綺麗で綺麗で。
かと思えば家族の食卓の場面が一人一人を正面から撮る『バッファロー66』スタイル、各々の人物の両側に風刺的に調度品とか美術品がポンと置かれてたりする遊び心もあったりして。

全部いいな。シナリオから俳優から撮影から…もう全部よかったですねこれは。超おもしろかったです。

【ママー!これ買ってー!】


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トッド・ヘインズの『エデンより彼方に』もギャグとシリアスの際を突く綺麗な画のメロドラマだったのでなんとなく似た空気がある。

↓その邦題もどうなんだよ的な原作

初夜 (新潮クレスト・ブックス)

1000
さるこ

こんばんは。サク裂ですね!よほど、お気に召したんですね。
あの映画は、許しを請うたフローレンスをはねつけてしまったエドワードの〝追想〟だったのですね…
彼を受け入れられなかった彼女の悔恨なのかと。C-9(でしたっけ?)の彼は幻なのかと思っちゃいました。
オンナは二番目に好きな人と結婚してしまうのです。

さるこ

ご存じでしたらすみません。

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これも良いです。(映画化した?する?ようでしたが…定かではない)