実家面倒臭い映画『読まれなかった小説』感想文

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《推定睡眠時間:0分》

大学は出たけれど。大学進学率のそんな高くなさそうな故郷の村に鼻高々で帰ってきた大卒青年シナンは早速出鼻をくじかれる。な、お前の父さんに貸した金貨、早く返してくれるようお前から言ってくれないか? いや催促じゃないんだよ、催促じゃないんだけど、ほら、忘れてるかもしれないからさ…。郷の土を踏んで最初に聞かされたのは商店のオッサンからの債権回収依頼であった。

どうもいつからか父親は競馬にハマってしまったらしい。えっへっへといつも情けなく笑っている人の良い教師だった父親がそんなことをするようには思えないが、情けなくて人の良い人間ほど胸裏に何かをため込んでいるというのも世の常だ。聞けば父親は村に井戸を掘っている。水が出れば萎びた村は一気に潤う、祖父をはじめ村人たちは一様に水は出ないと言っているが、何故かそこに水脈の存在を確信してしまった父親はDIY的に休日を井戸掘りに当てている。

だがいくら掘っても水は出ない。とすると競馬はその代替行為なのだろうか。確かに井戸を掘るより当たりは多そうではある。でも外れも多そうである。っていうか外れの方が多いから逆に借金をしてまで競馬沼にハマってるんだろう。水を掘り当てるつもりが出てきたのは泥沼。それにしてもどうして井戸など掘ろうと思い立ったのか。

そこにはどうも祖父との確執というか、経験則オンリーでできるできないを判断する保守的な祖父に対する反発があるらしいのだが、シナンは直接聞こうとしないのでよくわからない。何かを真面目に問われても父親はえっへっへで受け流す。シナンの方は世の中を舐め腐ったシニカルなふてくされ面で身をかわす。方向性は違うが正面から問題を受け止めたり己の本性を露出しなければいけない対話をできるだけ避けようとするという点でよく似たシナンと父親である。

よく似ていればこそ反発も強くなるのかもしれない。俺の本は親父の井戸なんかとは違う、と思ったかどうかは知らないが徴兵までの猶予期間を利用して教員試験を受けたりしつつ自作の回想録を出版すべく動き始めたシナンは日に日に父親への当たりを強くしていく。名も無きそこらの若造の回想録がこのご時世売れるかよってんで出版は難航、その腹いせの意味合いもたぶんにあったんだろう。

父親は父親でますます競馬にのめり込んで家計がどんどん細っていく。やっぱ息子を含めて家族から邪険にされてるからだろうか。折り悪く父親だけが可愛がっていた猟をしない猟犬も行方不明になっちゃったのでえっへっへの余裕すらなくなって、いつの間にか実家は険悪ムードに突入。こうなれば悪循環である。

果たして水は出るのだろうか。本は出るのだろうか。競馬は当たるのだろうか。教師にはなれるのだろうか。犬はどこにいったのだろうか。なんか知らんが遠いよその国のお話とは到底思えぬ強烈な身につまされ感にメンタルが痛い。

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というわけでトルコ映画の巨匠(らしいがよく知らない)ヌリ・ビルゲ・ジェイランのランタイム3時間オーバーの新作はやるせない実家もの。実家に帰ったらなんか父親がおかしくなってた。実家に帰ったら就職したり婚約が決まった地元の友人たちと微妙に距離ができてた。実家に帰ったら大学で培った謎のプライドがあっさり打ち砕かれた。実家に帰ったら実家は実家のままでなんかすげぇ嫌だった。実家の面倒臭さに国境はないらしい。

主人公シナンさんのダメさ加減もインターナショナル。何がダメって自分を天才作家だと思い込む根拠不明の自信を宿してるくせにその自信が甚だ脆弱な虚構でしかないことにもうっすら気付いているのでそれが壊れないようにあんまり表に出してこないところがダメである。ダメであるしあとこういう人めっちゃいる。天才作家だと思っているが積極的に作家になろうとはしない。すべり止め的に教員免許を取ろうとするが積極的に教師になる気はない。積極的には何もせずにただ自身の天才性をふわっと臭わせて誰かが自分を釣り上げてくれるのを待っている。めっちゃいる。

沁みてしまうなこれは。この普遍性。後半多少時間が飛ぶが基本的にはシナンさんが地元をぶらぶらしている間のお話。そこに挿入される他愛ないがしかし切実なエピソードの数々、些細な台詞の一つ一つが共感したくない共感でいっぱい。警官になった友人とスマホで長電話しながら町を目的もなく歩きながらデモ参加者を影でぶん殴ってやっただのなんだのいう若干引く武勇伝に曖昧な相槌を打つシーンとか絶叫上映だったら「あるわー!」と顔を歪めながら叫んでいるところだ。

地元ローカルルールに縛られて人生進路を自由に選べなかった幼馴染みの女からの突然のキスを好意の表れだと無邪気に勘違いしてしまえる若気のバカさ。井戸掘り作業に巻き込まれて踏まれないようにと父親がカエルを逃がそうとしていると祖父がカエルをぶん投げる。いい歳こいて夢見がちな少年じみたことをする父親に祖父は苛立って、粗野で無教養な祖父に反感を覚えつつも父親は正面から文句が言えなくて、そんな二人を見てどいつもこいつもバカばっかだと言わんばかりの気取り腐った無関心を装うシナンのイタさ。

これこれの皮肉なユーモアを帯びたヤングメンのすれ違いと空回りがトルコはチャナッカレの片田舎の紅葉した山々と廃れた町並みを背景に繰り広げられる3時間。役に立たない物を巡る役に立たない者の極小規模な大冒険。そこに仕込み刀のようなエルドアン体制批判があり、地元の慣習への疑義があり、惰性の人生への否があり、役に立たないから見えてくる風景と詩がある。
風景もバッハの音楽もうつくし。無能人間の哀感すらうつくし。よい映画ですね。滋味ありあり。

【ママー!これ買ってー!】


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トルコ田舎の実家風景、是枝裕和の映画のようだと思ってしまった。

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