人生大反転映画『皮膚を売った男』感想文

《推定睡眠時間:0分》

主人公のシリア難民の背中を美術品として買う(ビザの入れ墨を入れて展示するつもり)モラルの死んだ金持ち現代アーティストは役名がジェフリーうんたらと言い、それだけだと繋げるに苦しいのだがこのアーティストの個展ではカメラとプロジェクターを使って鑑賞者の背中を額縁に入れて鑑賞者に見せるという作品があり、現代アート界で最も経済的に成功している一人であるジェフ・クーンズをちょっと連想してしまう。

クーンズの代表作といえばツルツルに磨かれた鏡面仕上げのウサギの彫刻。この人は皮肉っぽいキャラクターなのでどこまで本気で言っているのかはわからないが、そのウサギに反射した鑑賞者自身の姿を見せることが鏡面ウサギの制作動機だとかなんとか本人は語る。難民としては国境を全然越えさせてもらえず困窮生活を送っていたのに美術品としてはあっさり国境越えを認められ、品質管理の名目で超高級ホテルに泊まり仕事として毎日ヨーロッパの美術館に飾られるシリア難民の生きた彫刻を見た鑑賞者はさぞ居心地の悪い思いをしたことだろう。奴隷的シリア難民の背中は嫌でも安全地帯で無責任に暮らすヨーロッパ人の見たくない現実を、見たくない自分たちの偽善的な姿をクーンズの鏡面ウサギのように映し出すのだ。まぁそうじゃない超鈍感なバカ鬼畜どももいましたが。

『皮膚を売った男』はそんなようなお話。恋人へのプロポーズの際にうっかり「自由を我らに!」みたいなことを興奮して口走っちゃったもんだから当局に捕縛、なんとか隣国レバノンに逃げることには成功するものの恋人は在欧シリア大使に「買われて」離ればなれ、自らはヒヨコ仕分けの底辺仕事をやりながら金持ちパーティに紛れ込んでオードブルを漁ったりするなどの限界生活を送っていたシリア難民の男が、メフィストフェレスたる例の現代アーティストに出会う。「君の背中を私に売ってくれれば、君はどこへでも行けるだろう。美術品として」

最近は『ザ・スクエア 思いやりの聖域』『ベルベット・バズソー』『ある画家の数奇な運命』なんかの現代アート映画の傑作が多いしドキュメンタリー映画でも『アートのお値段』とか『美術館を手玉に取った男』とか『バンクシーを盗んだ男』等々の現代アートを題材にした秀作・怪作・労作がよく映画館にかかるが、そんな現代アート映画ブームの中でもこの『皮膚を売った男』は最悪クラスに気分をどんよりとさせられる素晴らしい映画だった。もう嫌! こんな辛いの観るの! 早く映画館から出たーい! なんて思いながら観ておりましたがそう思わせたら映画の勝ちだよね。だってそういうお話だし。嫌なことからは目を背ける人たちのお話ですからこれは。

逆にほっと胸をなで下ろすラストが俺にはちょっと不満でしたよ。そこで客を安心させちゃっていいのかな!? って感じで。地獄を描くなら最後までやるべきなのではないのか。もっと悲惨に絶望的に…アーティストと観客のどっちが悪魔なんだ。ま、その倒錯も含めて「アート」なのでありましょう。皮膚を買った現代アーティストは言う。「システムに搾取されるよりもシステムに無視されることの方が辛い」。いささか言い訳じみているがそこには一抹の真実もある。

搾取という時に大抵の人は悪い奴とか悪い奴が得をするシステムが持たざる者を使い倒す光景をとりあえずは想像するのではないかと思うが、だったらそんな悪い奴とか資本主義システムなんかぶっ壊しちゃえばいいじゃんみたいな『ファイトクラブ』とか『マトリックス』が提示する革命的ビジョンが一向に実現しないのは、単一の要因に帰することはできないにしても悪い奴とかシステムが結局のところ不完全だからではないかと思う。

もしも完全なる搾取システムが作動していればそもそも搾取される側はそこに疑問など抱くことさえできない。この不完全で未完成なシステムはその意味で搾取をしきれていないし、明確に形が定まっていないからこそ打倒することのできない、逆説的な不死性を帯びている。し、その未熟さをシステムに利用される人々だって利用し返すのだ。持つ者はシステムを出し抜いて投機的な金儲けに走るし、持たざる者もシステムを出し抜いてかりそめの自由を獲得する。

良いシステムであれ悪いシステムであれシステムが人々を包摂する可能性を今や誰も本気では信じていない。個々人が自らの利益を優先すればシステムは疲弊するばかりだ。だからシステムはヒヨコを選別するように搾取可能な人材と不可能な人材の選別を行う。その見え方とは裏腹に、今や資本主義システムには、独裁システムには、ほか様々なシステムには、グローバル化と情報化の進行で根本的な打撃を受けて、人間を資源として活用するだけの力がほとんど残されていないんじゃないだろうか。だからシステムは人を搾取するよりも無視するんじゃないだろうか…。

などというのは脇道にも程があるわけですが映画の中ではこの現代アーティストとシリア難民(主人公の男と恋人の女)はシステムを利用してなんとかこの過酷な、システムさえもが人を見捨てる世界をサバイブしようとするわけです。鏡を印象的に用いた幻惑的な映像が特徴的なこの映画ではいろんなものが反転してしまう。背中を売って美術館に生ける彫刻として飾るなんて人身売買じゃないか! それはそうだがそのことで主人公は生きるか死ぬかの日々から脱出することができた。在欧大使の男に身売りしてのシリア脱出なんて性奴隷と同じじゃないか! それもまったくその通りだがそれがいちばん安全に渡欧して生活する手段だった。あんな現代アーティストは人間のクズじゃねぇか死ね! 俺も死ねとはめちゃくちゃ思うが、でもああいう露悪的なトリックスターの存在が、激しいショックを伴って難民問題を社会の目に焼き付けたのは事実だ。

最高に痛々しくてその反面スカッとするのは美術品として脱法的にオークションにかけられた主人公の反転だった。あの反転を見た時のオークション金持ちどもの目ときたら! システムは、一見盤石に見える。すべてを覆っていてひっくり返すことなど誰もできないように見える。でもそれは嘘で、システムは本当は脆弱極まりないシロモノで、ちょっと脅かしただけでもヒビが入ってしまう。だからそんなシステムを恐れる必要なんかないし絶望する必要だってない。

楽しく生きようと思えば必ず…とはまぁ言い切れないとしても、楽しく生きる道はいつだってシステムに塞がれている、ということはないんである。システムに無視される棄民なら尚更だ。皮肉で嫌味で鬼畜で最悪な現代アート映画だが、なんかね、そういう希望を感じましたよ。この題材で希望を感じさせる作りの偽善性をチクチクと感じつつも。

【ママー!これ買ってー!】


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『皮膚を売った男』に比べればあんなにイヤな映画に見えた『ザ・スクエア』も思いやりにあふれた真心の映画に見えてしまう。

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