糞リアリズムに殺される映画『アボカドの固さ』感想文

《推定ながら見時間:15分(vimeo鑑賞)》

このままではこの糞リアリズムがすごい2020上半期の受賞作品が決定してしまう。さすがにこのまま受賞というのは味気ないので映画館および配給会社の方々にはなんとか頑張って他のすごい糞リアリズム映画を6月中に持ってきてもらいたいものだが、まぁ、ともかく、すごい糞リアリズム映画であったよ、『アボカドの硬さ』。

お話はぶっちゃけインデペンデント邦画恋愛映画のいつものやつ。売れない役者が失恋して迷走、未練タラタラで準精神崩壊。その模様を糞リアリズムで描くわけですがそれがもう本当に心から心からつま先から頭のてっぺんまで嫌がらせのような糞リアリズムで脱糞。最近ニュースになった某プロレスラーの件でリアリティショーの出演者が抱える多大なリスク、つまりは、リアリティショーに出ればバカにめっちゃ好かれる可能性もあるが同じくらいバカにめっちゃ嫌われる可能性もあるし、バカはその日の気分で好きと嫌いを変えるしバカは現実と虚構の狭間で遊ぶことができないから画面の中で起こったことは全部リアルかフィクションのどっちかで解釈してしまうし、バカ商売はとにかくたいへん。

こうしたリスクが共通了解とまでは言わずともみなさん多少なりとも一連の報道から感じ取れたと思うのですが、かくいう私もバカであり、リアリティショーではなくあくまでフィクション映画であるにも関わらず、あまりに糞リアリズムなものだからこの映画の主人公のことが演じる俳優ごと本気で嫌いになりかけたぐらいで、私生活を切り売りする芸能商売は本当に命を削るなぁと身に染みて感じた次第。主人公の前原瑞樹さんは役名同じ、実体験に基づいて脚本も執筆! 切り売りしてますなぁ実体験。あー嫌いになるわ。ごめんそれは嫌いになるわ。テラスハウス事件に一家言のある人はみんな自分は絶対加害者側にならないと思ってるかもしれないが、そんなあなたに観てほしい。

この映画。この糞リアリズム。このつまらない人間たち。バカじゃねぇか面倒くせぇもう全員死んじゃえよと一言言いたくなってしまうに違いな…いや違うと思うますが! みなさまのようなご立派人格の方々の脳裏には決してそんな邪悪な考えはよぎらないであろうと察しますが…まぁね、怖いよね。人間って怖い。嫌いな奴には容赦ない。糞リアリズム演出の中で己の「厭」を徹底してさらけ出した前原瑞樹さんには全力でリスペクトを捧げたい。ただ、やっぱりまだうっすらと嫌いである。
< 嫌いっていうか怖いんだよね、この人。表面的には良い人で普通の人なんです。ちゃんと気を遣うし礼儀もなってるし。駆け出しの役者でささやかなファンもいる。金がないわけでも先行きが暗いわけでもない。でもその人が突然の失恋でおかしくなるわけです。おかしくなって、自分の厭なところを隠せなくなってくる。現場では物わかりの良い役者を演じるしバイト面接では営業マンみたいな受け答えをするし、でも外面をあまり作る必要のない後輩の芸人たちの前では少しだけ高圧的な態度を取って礼を欠くつまらないイジリを連発したりするようになる。 厭ですネェ~。それを本心では全然面白くないと思っているくせにヘラヘラ受け流す後輩芸人たちのリアル過ぎるつまらなさも相まって超厭! 芸人仲間と一緒に池袋でナンパした彼女(もうそのエピソード自体がつまらなくて本当に厭であるが)と今度家で『スターウォーズ』を観るという童貞若手芸人(その作品チョイスがまた糞だなおい!)の話に嫉妬しつつも嫉妬を笑いでカバーできる余裕な俺を気取ってかつ、自分の失恋&復縁相談を聞いてほしくて躍起になるのだが、実のところ自分の話を聞いてほしいだけで後輩たちのアドバイスなんざ聞いちゃいない主人公の器の小ささと幼稚さと…あぁっ! みみっちくて厭な主人公! 孤独を癒やすためにデリヘルを呼んだ主人公はとりあえず手マンから入るのだが、だいたい手マン好きの男なんて全員ろくでなしなんだよ! ものすごいセックス差別だ! 厭シーンは数多くあるが中でもこんなシーンは特筆に値する。前に花を買いに花屋に行ったら売ってなかった。失恋後、再び店を訪れると探していた花が今度はある。なぜ失恋前には無かったのか? 女性店員に詰め寄る主人公。いえ、謝って欲しいんじゃないんです、ぼくはなんで前はなかった花が今はあるのか知りたいんです。申し訳ございません。いやいや、そうじゃなくて。あのぅ、そうですね…その時は入荷がなかったもので…。え、なんで入荷がなかったんですか? …お花は生き物ですので…。え、僕も生き物なんですけど? うぜえええええええええええええええしそれに怖えええええええええええええええ! マジ糞クレエエエエマアアアアアアアア!!!!! でもね、ちょっとだけやさしくなれたよ。俺もコンビニで夜勤バイトしてる時に酔ったリーマンみたいな客になんでマルちゃん(カップラーメン)置いてないんだよって執拗に絡まれて「すいません」「は?」「あの、私は発注担当ではないもので…」「なんでマルちゃん置いてないんだよ、おい」「すいません」「なんでって聞いてんだよ」みたいなエターナルやりとりの末に警察に来て貰ったことがあったが、あいつもなんか辛いことあって捌け口探してたんだろうなみたいな、約十年越しの気づき。まぁ気付いたところでクレーマーはクレーマーだし、クレーマーは自分に歯向かって来なさそうな奴を選んでクレームをつけるので同情する必要などないのだが。 < 脱線したが失恋によりモンスタークレーマーと化した主人公の日常はギシギシ軋んでいずれこいつ近所の女子中学生でも殺るんじゃないかと観ているこっちは悲喜劇とサスペンスの狭間で大いに不安、『アボカドの固さ』というタイトルは風邪を引いた主人公が外を歩いてたら坂の上から何故かアボカドがコロコロ転がってきた…という奇妙な心象風景(?)に由来するが、そのむかしチュンソフトの実写ノベルゲー『街』にダンカン演じる精神の不安定なテレビドラマのプロットライターが坂道を転がってくる大量のミカンという超現実的な出来事に遭遇し、それは現実の出来事であったのだがプロットライターは大量の坂道ミカンと共に妄想の世界に踏み込んで現世に帰って来られなくなってしまう…というなかなか強烈な場面があったので、なんとなくそれを思い出してしまった。 糞リアリズムだからこそちょっとした不条理が世界を揺さぶる。うっすらと霧の漂う埠頭に一人デートでやってきた主人公を引きの画で捉えることの異化作用! 明らかに現実なのだが現実によく似たまがいものの現実に迷い込んでしまったようでひじょうに不気味だ。だがその不気味も次のシーンともなれば一瞬で糞リアリズムな現実に引き戻され、どう感情をチューニングしたらいいのか皆目わからない。これはなかなかおそろしい映画体験であるが、恋愛体験もまたそんなものなのかもしれない。 ところで糞なのは主人公だけではない。おもしろくない後輩芸人もそうだし(あくまで個人的な偏見なのだが飲み屋の若手芸人はこの世に存在するすべての人間の中でいちばん面白くない。合コンでもないのに笑わそう笑わそうと常に探っている感じは不快ですらある。酒ぐらい黙って飲め)、主人公がバイト面接を受けるピザ屋の店長とかもマジ糞である。やたら呼吸荒いんだよあのデブ。で横柄なんだよ。横柄だし距離が近いんだよ。プライベートな領域に躊躇なく踏み込んでくるしこっちの話聞かねぇし、したくないっつってる土日出勤を勝手に決めて既成事実化するしな。でその場で採用するの。多少は熟考しろよバカ。いやそれは俺が決めることではないのだが…またなんか思い出したよ! 居たよそういうやつ! スーパーの精肉担当とか中古ゲーム屋とかに! うわほじくられたわぁ。厭人間記憶ほじられたわぁ。いらないわぁそういうのぉ。 って感じでね、とにかく糞リアリズムですから。貧困ではないけれども高級ってわけでもない凡俗人の凡俗生活を糞ハイパーリアリズムでお届けされるものですから100%悪い意味であるあるの嵐、共感したくない共感で感情が死ぬ。めちゃくちゃ嫌いな映画である。 が、そう思わせるだけの力を持った映画であることは間違いない。この映画はつまらない。つまらない人間を描いているのだから当たり前だ。そのつまらなさに冷や汗をかいて、自嘲するように力なく笑って、自分も一皮剥けばこうなるんじゃないかと不安に苛まれる…俺にとってはそんな、糞リアリズム・恋愛ホラーでありましたな、うん。もっとも恐ろしい映画は恋愛映画だって、誰か言ってませんでした? 【ママー!これ買ってー!】


南国フルーツ メキシコ産 アボカド 12玉(200gx12玉) 

『アボカドの固さ』が映画タイトルとしてアリなら『ニガウリのディルドー』とかもアリなんじゃないですか? なにが!?

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