アートは告発する映画『ある画家の数奇な運命』感想文

《推定睡眠時間:30分》

前に現代美術関係のドキュメンタリー映画(美術品に値段を付けたりつり上げたりする仕事を追ったやつ)を観てたらゲルハルト・リヒターの作品が今いちばん高値が付くとかなんとか言われていた。そんな高価なものでも1000円かそこら払えば見られるのだから美術館システムとはありがたいものだ。おそらく企画展で今まで二回見たことがあるんじゃないかと思う。

一つは東京都写真美術館で写真の上に絵の具塗って元の写真をあんま見えなくしたやつ、もう一つは東京都近代美術館の「窓展」(これは面白い企画展だった)で『8枚のガラス』、なんかでかいガラスを角度をズラして一定間隔で並べたインスタレーションで、角度が違うので周りをぐるぐる歩いていると色んな方向に反射する自分が見えたり、このガラスは完全透明じゃなくて若干黒みがかった半透明なので、いくつかのガラスが重なってその部分だけ暗く沈んでしまったり、像が乱反射して思いがけぬ光景が現われたりする。たのしい。

基本的にキャプションの説明読まない派なので(字が小さすぎて照明が暗いと目が疲れるので)果たしてこういうものに一体どんな意味が込められているのかは知らないが、映画のラストでリヒターをモデルにした主人公が辿り着いたフォト・ペインティングなる表現法とは共通するものがあるというか、百聞も百読も一見にしかずというもので、実像と写像のズレみたいなものがこの人のテーマとしてずっとあるんだろうとは思える。例のドキュメンタリー映画でもリヒターはあまり積極的にメディアに露出しない実像不詳の謎めいた人として語られていた。

そういうわけでリヒターの伝記(?)映画と思って観に行くと主人公の名前は違うし実録ものにしてはあまりにドラマチックな展開だしそのくせやたら軽快な上に拍子抜けなほどあっさりとフォト・ペインティングの意味とか文脈をネタばらし的に開示しちゃってそれがなんというかあまりに分かりやすく腑に落ちるものであったから逆にこれ本当にちゃんとしたリヒターの映画なのってなりましたが、リヒターをモデルにしてはいてもカメラが切り取るのはどうせリヒター本人ではなくて若い役者なのだし、その実像と写像のズレこそリヒターの作品を特徴付けるものであろうということであえて事実と創作を織り交ぜた映画と思えば、映画的に腑に落ちすぎていることの腑に落ちなさもなるほど感が出る。

ナチスドイツといえば(いえばなのだろうか)退廃芸術展ということで映画は情緒不安定で芸術家肌の姉的な人(厳密には違ったかもしれない)に連れられて幼主人公が退廃芸術展を訪れるところから始まる。映画からはカットされていたが退廃芸術展は誰にでも主題やメッセージがわかってみんなのためになる健全なゲージツ作品を国家公認で称揚する大ドイツ芸術展の踏み台として用意されたものであるから、退廃芸術サイドに付いているはずのこの映画の明瞭さは一種の皮肉であり、目くらましなのだろう。写像は実像を映し出すとは限らないのだ。

でもナチスも偉いよな。無理矢理奪ったものとはいえこの退廃芸術展ときたら超ハイパーなゴージャス展覧会、入場料がいくらか知らんが(晒し目的のプロパガンダだから無料で入れてくれたんだろうか?)モンドリアンとクレーとカンディンスキーが雑な感じに同じ壁にかかっていたりする。すごいなぁ、いま同じ事をしようとしたらいくらかかるんだろうなぁ。無理矢理奪ったものとはいえこんな気前よく先端アートを国民に解放してくれたのですからさすがナチス。

幼少期のリヒター…ではないがリヒター的な主人公が芸術に目覚めるのも当然というものだ。直感的な作品が多いから子供は楽しかったのではないかな。大人はどうか知らん。焚書と並んでナチスの文化悪行として語り継がれるくらいだから前衛アーティストへの八つ当たり的ヘイト(こんなわけわからん絵を描く奴らが大儲けしているぞ!俺たちは薄給なのに!)を焚きつけることには成功したんだろう。こういうのは今でもよく見るというかなんなら今年見た。新コロで苦しいのはどこも同じなのに文化事業だけ特別扱いするのかー! みたいなの。

どんどん映画から離れていってしまう。映画の話に戻そう。それでその退廃芸術展に主人公を連れてってくれた姉、ある日のこと全裸でピアノを弾いていたら何かが閃いてしまったらしく「この音だ!」とか言いながら血が流れるまで灰皿でガンガン自分の頭を叩いてしまったので強制入院させられてしまう。ナチスは精神病者とか知的障害者とか身体障害者とか大っ嫌いだから党の人に知れたら大変だ、そんな奴らの汚れた遺伝子を麗しきアーリア人の血に混ぜたら民族が滅びるじゃねぇかという完全なる疑似科学に則って断種はもちろん医師の判断次第ではガス室送りにさえされてしまう。ホロコーストに先立つナチスの(自)民族大虐殺「T4作戦」の名残である。

映画なのでもちろん姉もガス室送りになってしまうが主人公はまだ子供なのでそんなこと知らない。しかし知らないからと安穏としているわけにもいかない。姉がガス室に入れられたその日、主人公が住む街が空前の大空襲に見舞われる。ドレスデン大空襲であった。姉の安楽死的虐殺に加えて空襲で祖母だか親戚だか知らんが主人公の保護者枠っぽい人まで焼け死んでしまうこの悲劇っぷり!

しかし電波妨害のために連合国の爆撃機が散布したチャフ銀箔はまるで紙吹雪のようで、主人公の目には空襲の惨劇がなんだか現実味を欠いて美しく見えたりもしたのであった。実際に起こっていることと目に見えること。その体験が主人公のアート感性にどのような影響を与えたかは不明だが、目に見えるものと真実の間には溝があるというような世界観の形成には一役買ったことだろう。

かようにドラマティィィックな子供時代を送った主人公であったが意外にも戦後は結構平凡、ドレスデンは東ドイツに組み込まれたので期せずして社会主義体制を生きる羽目になったわけだがとくに障害も事件もなくなんかわりと馴染んでしまう。しかしアート面では別である。美術学校に進んだ青年主人公の前に立ちはだかるのは社会主義リアリズムだ。

俺は身も蓋もない現実を特に志向するものなくただひたすらリアルに描き出すくそリアリズムという言葉が好きなのですがあれ元々は社会主義リアリズムの対抗概念だったみたいすね。リアリズムとは言うが社会主義の理想を大ドイツ芸術展の画家よろしく人民どものためにわかりやす~く描いてなるほどこういうものなのかやっぱり社会主義は正義だわと理解してもらうための昔のゲームに付いてたりした説明書漫画のアート版みたいなものが社会主義リアリズムであるからリアリズムの本義に照らし合わせれば矛楯も甚だしい概念、ある意味とってもリヒター的ではあるがしかし若い芸術家志望のリヒター…的な主人公の目には退屈なものとして映ったのであった。

そういうのもあって主人公、新たなるアートを求めて美術学校で出会ったフィアンセの一家と西ドイツ移住を決意。まだ壁もなかったしギリで東西の往来が緩かった頃の決断だったからラッキーであった。るんるん気分でデュッセルドルフの芸術アカデミーに編入するとそこはナチスが入ってきたら火炎放射器で建物ごと丸焼き間違いなしの退廃芸術、もとい現代アートの天国もしくは地獄! 退廃芸術の比ではないくらい新しいは新しいが全然わけわからんアート実践に明け暮れる若きアーティストたちが校内の至る所でアート的に狂っているのであった(ナチスに殺された姉もこの環境にいたら素晴らしいアーティストに成長していただろう。彼女は誰にも認められなかったパフォーマンス・アートの先駆者だったのだ)

というわけで社会主義リアリズムの拘束から解かれた主人公も意気揚々とアート実践を開始するが、そこに運命のいたずらと言うには軽すぎるので運命の通り魔殺人ぐらい言ってあげたい出来事が…と三時間の映画だからあらすじを書いてるだけでも予想外に長くなってしったがなんかそういうお話が『ある画家の数奇な運命』。たしかに数奇ですね、うん数奇数奇。

まぁしかしこの題材にこのあらすじ、上映時間も三時間だしめちゃくちゃ重厚感ありそうですがむしろ逆で、ユーモアいっぱいのよくあるアート青春譚の色彩が濃い。主人公もなんだか飄々としているのでナチスの安楽死政策とかドレスデン大空襲とかシュタージの暗躍とかナチス(関連)の逃走犯とか関わる事件の重さ暗さに反して爽やかな感じである。

主人公がフィアンセの家でイチャついてたら家族帰ってきちゃって全裸で外に飛び出すみたいな古典的性春ギャグが出てきたり。ドレスデン(ではなかったかもしれない)の美術学校でソ連のシンボルマーク的な鎌を持った農民女と鎚を持った労働者男をモデルに絵を描いてる時に生徒がふざけて出す指示なんか笑えますね。すいませんその鎚もうちょっと身体の正面に持ってきてくれませんか…そうですね下腹部のあたりに持ってきてもらって…はいそれからちょっと鎚を前に突き出したり後ろに引っ込めたり…モデルで遊ぶな!

基本的にそういう愉快な映画なのですが、ある種のミステリーの趣もあって、というかミステリーが軽妙な青春コメディにずっと暗い影を落していて、その解決の仕方にはわりと鳥肌が立ってしまった。三つのミステリーがあるんです。なんでリヒター…的な主人公は写真を模写してわざとブレを出すフォト・ペインティングの技法を編み出したのかっていう文脈のミステリーと、それからもう一つは主人公がフォト・ペインティングに込めた含意のミステリーで、もう一つはわりと結末に絡むところなので書けませんけど、こう、なんというかですね、アートは告発する的な。

退廃芸術の原体験、姉の喪失の記憶、ドレスデン大空襲の光景、社会主義リアリズムの教育、父の悲惨な最後とそして現代アートの大冒険…などなどを経て主人公はフォト・ペインティングの絵画を完成させるわけですが、それが思いもよらぬ真実をあぶり出してしまう。たぶんこれはリヒターが実際に言ったことなんだろうと思うんですが、ある数字の並びはそれ自体に意味はなくてもロトの当選番号だったらものすごい大事な意味を持つ数字になりますとか主人公は言う。

フォト・ペインティングも同じで、リアルなリヒターは匿名の証明写真とか新聞から適当に取ってきた写真を使ったとかなんとか言っているようだからその写真自体には意味はないんですけど、でもそれが見る人とか飾られる場所によっては突然、運命の一撃というぐらいな強烈なものになる。だから様々な記憶や出来事が偶然にも一点に重なって残酷な運命に復讐を果たした瞬間は痛快を通り越して怖いぐらいだったし、見ようによってはゴミの塊に見えなくも無い現代アートの持つ力を感じるところだった。

いや面白かったですね。笑えるアート青春としても面白いし、アートの変遷から見た現代ドイツ史としても面白い、リヒター作品のひとつの謎解きとしても、西では退廃芸術の烙印を押され東では社会主義リアリズムに押しつぶされた前衛アートの名誉挽回ものがたりとしても面白いし、あとこれも劇中での名前は違ったんじゃないかと思うんですがデュッセルドルフ芸術アカデミーでリヒター的な主人公を見出す教授がヨーゼフ・ボイスで、映画の後半はボイスのアート実践にもスポットライトが当たる。

スポットと言えば「あいつが前に描いてたスポット・ペインティングは面白かったのに」みたいな台詞もあり、描き続けていればダミアン・ハーストのポジションだったのに的なネタだと思うが、こんなのがよく出てくるのでモダンアートとかコンテポラリーアートにそこそこ興味がある人にもたぶんきっと面白い。よい映画でしたよ。よかよか。

【ママー!これ買ってー!】


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レンブラントの代表作的な「夜警」にはこんな隠された意図があったのだとアート監督ピーター・グリーナウェイが超読解。たぶん真実ではないと思うが想像するのは自由すからね。真実っぽい虚構を楽しむアート映画という感じ。

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