核抑止なんて机上の空論映画『ハウス・オブ・ダイナマイト』感想文

《推定睡眠時間:10分》

プロレスラーの映画みたいなタイトルのキャスリン・ビグロー最新作は『デトロイト』に続く緊急事態シミュレーションだが今度の緊急事態は核弾頭搭載弾道ミサイルだというので緊急度合いは暴動の比ではない。ある日のこと米軍が出所不明のミサイルの飛行を捕捉。位置からいって当初は日本海に落下と思われたが後に修整、アメリカ本土に着弾の可能性が高いことが判明してしまう。着弾予想時刻までの時間はたったの20分。迎撃できるのか、できないのか。報復攻撃(核ミサイル発射)を行うべきか、行わないべきか。報復攻撃を行うとすればどこの国に対してなのか。事の重大さに反して思考時間があまりにも短すぎるし判断材料もなさすぎる中、大統領は決断を迫られることになる…。

この映画はアメリカに核ミサイルが向かってる設定だがほぼ全編室内で展開される群像サスペンス会話劇ということでネタ元は間違いなく『未知への飛行 ファイル・セイフ』、機器のちょっとした誤作動により核爆弾搭載の米軍爆撃機がソ連上空に向かってしまい全面核戦争までのカウントダウンが始まるという巨匠シドニー・ルメットによる絶賛冷戦下1964年の会議型戦争映画最高傑作(と断言したい)である。圧迫感のある映像や展開の冷酷なダイナミズムはさすがに本家に敵わないとしても監督がハードボイルド派のキャスリン・ビグローだけあって『ハウス・オブ・ダイナマイト』も最初の20分の緊張感は『未知への飛行』に迫る。それにしても、1964年は緊急事態となっても全面核戦争まで90分の猶予があったのに、2025年現在は20分しかないのだから今の人はコスパタイパを追求し過ぎである。

おそらくこの二本の映画の面白さの核になっているのは核抑止力批判なのだが、引くも地獄進むも地獄ということが丁寧に観客に示される『未知への飛行』に比べれば『ハウス・オブ・ダイナマイト』はそのへんやや説明不足の観もある。これは良い選択と悪い選択のお話ではない。大統領が報復核攻撃を行って行わなくても結果は大して変わらないというのがポイントである。どこの国だか知らんが報復攻撃を行った場合の破局はわかりやすい。攻撃先がロシアだとしても中国だとしても北朝鮮だとしても報復攻撃を行われたら向こうの核防衛システムもまた報復核攻撃を行うのではい核戦争先進国みんなオワタ。

では報復攻撃をしなかったらどうか。何も即座にアメリカと対立しているロシアや中国がアメリカ本土に侵攻をかけてくるとは考えにくいが、そうだとしてもアメリカ本土への核攻撃に乗じて、アメリカの抑止力が無効化されている間にロシアはウクライナに再び全面攻勢をかけるかもしれないし、中国はこれまでアメリカとの軍事関係を深めることで独立状態を保っていた台湾の武力による併合に出るかもしれない。アメリカが報復攻撃を行わない=アメリカの核の傘が無効であるとわかれば、核による世界の力の均衡は一挙に崩れて同時多発的に世界各地で戦争が勃発するだろうし、9.11を大幅に超える規模の本土攻撃を受けて何十何百万もの犠牲者が出ても報復攻撃を行わない大統領を、アメリカ国民は許すはずがない。自衛思想の根強いアメリカであるからクーデターが起こるかもしれず、奇跡的に選挙による民主的な政権交代で済んだとしても、新しくホワイトハウスに入る大統領は歴代の誰よりも苛烈に戦争を推し進める超ウルトラスーパータカ派大統領になる以外に考えられない。ついでにアメリカ分裂。

要するに報復攻撃をしてもしなくても第三次世界大戦への道は避けられないので、アメリカ大統領がどちらを選ぶかなんてのはどうでもいい問題なのだ。どこか誰かが一発でも核ミサイルを発射したその瞬間に今の世界の形は完全に崩れ去る。それが核抑止力の作り上げるおぼろ豆腐よりも脆い世界なわけで、三章構成になっているこの映画では各章の冒頭に南北戦争の再現イベントやサバンナのライオン(あと一つは忘れた)など過去や野生を感じさせるイメージ映像のようなものが流れるが、おそらくそれは世界の崩壊と何世紀にもわたる退行を暗示している。着弾予想時刻まで20分しかないから、三章というのはその同じ20分を現場の軍人たち、軍のトップや軍事アナリスト、大統領らホワイトハウス組を主な被写体として、超緊急事態における作戦の実行過程、立案過程、意志決定過程をそれそれ見せていくのだが、そうした意図を超えてこれが文明世界の走馬灯のように見えてくるのは『未知への飛行』にはない『ハウス・オブ・ダイナマイト』独自の面白味である。

核抑止によって成り立つ世界で核攻撃に対する良い判断も悪い判断も存在しない、あるのはその後の破滅のみ。と同じことを映画に倣ってか三度ぐらい書いてしまっているが、だから核兵器は野蛮であり文明の敵であるという中学教育を受けていればわりと誰でもわかりそうなことが案外わかられていないようで、ネットで感想を見ていたら大統領の判断がどうのみたいなのが多い。その肝心の大統領の判断を、俺は映画のラスト10分寝てしまっているので見られていない。たぶん報復攻撃をするかしないか不明なままエンドロールに入ってたんじゃないかな。そんなものは、どっちだっていいことだから。核抑止理論の空疎さと核兵器の非人道性をクールに捉えた力作、超面白かったとおもう。

※『ハウス・オブ・ダイナマイト』の「ハウス」はホワイトハウスとかかっていると思われるが、原題では『A HOUSE OF DYNAMITE』で、THEではなくA。ダイナマイトでいっぱいの危険ハウスはアメリカだけではなく世界中にあることを示しているんでしょう。

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