《推定睡眠時間:40分》
これを観た日は寒かったし周囲に他のお客さんはいなかったし何より場内がぽかぽかと暖かくそのうえに映画の内容もぽかぽかとしていたので心地よく寝てしまったのだがそういうエピソードはたぶんくどくどとあれこれロジックとレトリックを駆使して書く感想よりもこの映画のなんたるかを雄弁に物語ってくれるだろう。そんなにガッツリ観なくていい映画なのだこれは。派手な音楽もびっくり展開も超絶アクションもネットミームにできるキャッチーな要素もない。なにもない映画なのだこれは、最近流行っている日本のアニメーションにあるものが。もちろん、だから良かったという話。
トリツカレ男というのは主人公ジュゼッペくんのことである。この人は一つのことにハマったらもう他のことは何も目に入らなくなってしまう。探偵にハマれば実際に探偵となって事件を解決までしてしまうし、ネズミにハマればネズミ語を理解し会話ができるまでになる。何かにハマると取り憑かれたようになってしまうのでトリツカレ男。ある種の特殊技能かもしれないが取り憑かれた時のジュゼッペくんはレストランでの勤務中にもそのことしかしなくなってしまうので雇い主はいろいろと諦めている(解雇しないやさしさ)
そんなトリツカレ男のジュゼッペくん、ある日のこと公園で見かけた風船売りの女の人ペチカさんにハマってしまう。例によってペチカさんを振り向かせることしか考えられなくなってしまうジュゼッペくんだがどうにもペチカさんの反応は芳しくなく、なにやらこの人には悩みがあるらしいとおそらく気付く。おそらくというのはこのへんで寝ているからだが、とにかくジュゼッペくん、今はペチカさんに取り憑かれているので、ペチカさんを喜ばせようとあれこれ頑張る。そしてペチカさんが抱えているものの正体を知ったとき、ジュゼッペくんはペチカさんの悩みを取り除くためにの、持ち前の取り憑かれスキルを駆使したあることを思いつくのであった……。
こういう素朴なお話が今の日本のアニメでどれほど貴重なことかと思う。昔の世界名作劇場だよね、こういうさ、人間の善性を信じる心温まるイイ話みたいな。イイ話なんだけど泣かせにかかってきてはいない。感情をどーんと揺さぶろうともしない。テレビでボーッと見てそのときはふーんで終わっちゃうけど、もっとずっと後になってふと思い出すとあれイイ話だったなって気付くやつ。意識したことはなくてもあれが自分の道徳観とか世界観の礎になっていたなーとか思ったり、そして後から振り返れば、子どもの目には単なるアニメとしか見えなかったが、実はベテランたちの見事なアニメーション技巧とそれに裏打ちされた遊び心の光る、なんとも贅沢な作品だったことがわかるやつ。これはそういう映画だよね。
いつか片渕須直が今の日本には児童アニメがなくなってしまった、全年齢向けの子どもも大人も見るアニメばかりになってしまったというようなことをインタビューで言っていたが、テレビはともかく映画ということになるとたしかに児童アニメはほとんど頭に浮かばない。その数少ない例である『ポノック短編劇場 ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』なんかも俺はとてもよい試みだと思ったけれども興行的には失敗してしまった。新作にして名作の貫禄をまとった『窓ぎわのトットちゃん』はわりかし話題になって良かったけれども、後に続く作品があったかといえばなかったように思う。何も刺激的な作品が悪いとは思わないというか、血みどろホラーとか大好きだし普段は刺激的な作品ばかりを観ている俺が言っても説得力があやしいが、なんか、そういう映画ばかりじゃダメだよね。さりげなく教育的で子どもに安心して見せられて、でもアニメ職人たちの見事なアニメーションがあるから退屈じゃなくて、子どもが大人とは違った目線でわくわくしたりうっとりできるようなアニメ、動く絵本や動く童話としてのアニメってやっぱあった方がいいっすよ。それが多様性であるとか想像力であるとか他者に対する優しさなるものを育むんじゃないかと思いますよ俺は。
そんな児童アニメをこれまで数多世に送り出してきて今でも先細りする一方の日本の児童アニメを支え続ける『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』等のシンエイ動画(『窓ぎわのトットちゃん』もシンエイ動画制作)の、これは実に肩の力の抜けた、職人芸と職人の矜持を感じる見事な快作。小さな親切や他愛ない心意気に満ちた下町的な世界観、軽やかで夢見るような背景(俺の大好きなラウル・デュフィという画家の世界を彷彿とさせた)、懐かしいようで新しい児童アニメの伝統息づく絵本アートなキャラクター造型、みんなわりかし身勝手なのに誰一人憎めないおおらかなユーモア、と、たのしいミュージカル・ナンバーの数々。ここには過度な善人も過度な悪人も存在しないし、大きなドラマも葛藤も、説教もない。でも空気のようにスッと入ってくる楽しさはある。人々の意表を突いて感覚と思考力を麻痺させることを「没入体験」などと呼んで推奨するばかりの昨今の映画業界であるから、こういうオモチャの宝石のような映画は大事にしていきたいもんである。