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良い映画の条件って何かなと考えた時の答えとして最近これがいいんじゃないかと思ってるのが「撮るべきものがある映画」というもので、どんなに面白くても「これを撮らないといけない!」みたいのが感じられないとなんとなく空虚な気がするし、逆にどんなにつまらない映画でも「これを撮らなければいけない!」と画面から感じられるシーンやショットがあればなんとなく満足感がある。だから作り手にこれは撮るべきなんだというものがあってそれが画面から伝わってきさえすればそれは良い映画なのだと思考を固めようとした矢先に『バケモノ』という映画を観てしまったのでそういうのやめていただきたいとおもいます。
なぜなら『バケモノ』、これはダグ・ルースというアメリカのインディペンデント監督が東京のマンションの一室で撮った映画であるが(IMDbを見たら製作国が日本になっていたので日本の人が出資しているらしい)観客に見せたいもの、撮るべきものは明白すぎるほどに明白で、ゴアと特殊造型である。それをゴア村と呼んだ人もいるがアメリカやドイツなどにはゴア&特殊造型に完全特化したインディペンデントというかほとんど自主制作の映画を作り続けている人たちがいて、アメリカだとブライアン・ポーリンとかドイツだとアンドレアス・シュナースとかがその代表格でしょうけど、この人たちの映画というのは一にも二にもゴア&特殊造型、ゴア&特殊造型、ゴア&特殊造型……とにかくひたすらそれしかない!
もちろん中にはもう少し器用に映画を作れる人もいて、その人たちはたとえば『キャット・シック・ブルース』みたいにシナリオも凝っていたりするし、ポーリンの『クリプティック・プラズム』も巧緻なシナリオではまったくないとはいえラブクラフト風のコズミック・ホラーとして面白かったりしたが、しかし基本はやはりゴア&特殊造型、シナリオであるとか演技であるとか音楽であるとかそれ以外の要素も副産物的に良く出来ていることもあるとしても、撮るべきものはあくまでもゴア&特殊造型という、そこに特化してしまっているために映画の体を成していない作品も決して(決してである!)珍しくないのがこのおそるべき自主ゴア&特殊造型映画の世界なのである。
そうした作品の典型的な1本といえる『バケモノ』は例によってゴア&特殊造型以外のすべてが崩壊していた。シナリオ意味不明、演技完全素人、音楽……音楽あったかこれ? カメラワーク、以下同様。こういう映画は西新宿の輸入ソフト屋さんビデオマーケットに行けば産業廃棄物のように並んでいるのでさほど珍しいものでもないが、それが一週間限定とはいえ映画館にかかるとなれば話は別である。すごいなぁこんな映画でも普通の映画館に流すことができるんだなぁと思わずしみじみ。日本の映画館でかけるからには日本語字幕が基本的には必要となるが、この映画の日本語字幕は一般的な字幕ルールをかなり逸脱しており、やたら字幕サイズが小さいとか一行の文字数が20文字ぐらいあるとか雰囲気重視でレトロ映画風フォントを利用したらダーシと呼ばれる継続記号が繋がらず「――」とするべきところが「--」になっているとか、明らかに専門外の人が字幕を作っているしクオリティ・チェックもやっていないようなので、そんなところまでトラッシュ! そこは感激するポイントではないと思う。
いや、トラッシュなのはいい。全然いいですよ全然。しかし……こういう小規模な映画だし映画館で上映する用にカラーグレーディングを行っていないことは明白なのだが(冒頭にこの監督のものと思われる他作品の宣伝映像が流れるのでBlu-rayソフト用の映像素材をそのまま使ってないか……?)そのためにこの映画が作られた目的のすべてであるはずのゴア&特殊造型が、暗すぎて見えない……! たぶん元の照明が暗いというのもあるだろうし、それにカッティングが細かすぎるので何が映ってるのか把握する前に次のカットに行ってしまうというのもあって、いやもう本当にゴア&特殊造型がよく見えない、見えてもよくわからないのである。
たしかにこの映画には「撮るべきもの」はあるが……しかしその撮るべきものが見えないとなると、これはいったいどう評価すればいいというのか……? もしゴア&特殊造型がちゃんと見えていたら他のすべてはカスだけどゴア&特殊造型で90点! とか晴れやかに言えたかもしれないが、それが見えないんだからさしょうがねぇじゃんだって見えないんだから。そこは監督の側も配給の人も気を使ってせめてゴア見えるようにしてほしかった。別に高いところに頼んだりしないでも今は民生用の編集ソフトでグレーディングとか出来るわけですし……ということでどうやら俺の良い映画とは何か論には多少の修正が必要なようである。良い映画とは、撮るべきものがあり、そしてそれがちゃんと画面に映っている映画である……そんなところまでレベルを下げないといけないの!?