倫敦労働2本立て映画感想文『ザ・ゴールドディガーズ』(1983) &『ナイトシフト』(1981)

「倫敦労働」というキャッチコピーが付いているとはいえ同じ監督の作でもないしどちらも労働がテーマの映画という感じでもないしあまり関連のなさそうな1980年代前半のアート系イギリス映画2本『ザ・ゴールドディガーズ』『ナイトシフト』がセットで劇場公開というのでなんで? と思ったが、配給を担当しているプンクテというところは以前ウンリケ・オッティンガー特集を配給したところだそうで、おそらく埋もれた女性監督の作品を劇場でというフェミニズム的な目的でこうしてドッキング公開されたぽい。たしかに映画サイトを見てみると『ザ・ゴールドディガーズ』の方はスタッフがほぼ全員女性のフェミニズム映画と書いてある。『ナイトシフト』の方はそうでもない気がするが、ある意味『ザ・ゴールドディガーズ』の方はスタッフの大半が黒人で占められた『黒いジャガー』のようなものなのかもしれない。

『黒いジャガー』の方はカッコイイ黒人ヒーローが活躍する単純な娯楽作だが(ただし監督のゴードン・パークスは写真家であり、1969年の監督作『知恵の木』はアート感覚のある黒人ヒューマンドラマであった)、『ナイトシフト』と『ザ・ゴールドディガーズ』は前衛映画である。1980年代のイギリスというとやはりポストパンク/ニューウェーブの時代、音楽に限らず表現の分野で様々な実験が試行され、映画監督ではデレク・ジャーマンやピーター・グリーナウェイといったスキャンダラスな作風の前衛監督が脚光を浴びたのであった。

この『ナイトシフト』と『ザ・ゴールドディガーズ』もアラン・ロブ=グリエやゴダールなどの先輩前衛作家の影響を所々感じさせつつそうしたイケイケな時代の空気の中で制作された気配むんむんであり、『ナイトシフト』の方はおそらくロンドンにある汚い安宿の物言わぬ夜勤受付女性を狂言回しに、宿を訪れる様々な奇人変人を捉えたワンシチュエーションのシュールな舞台劇風映画ということで、ちょっとエンキ・ビラルの初監督作品『バンカー・パレス・ホテル』を連想させられるなんとも変な映画である。夜勤の宿屋受付の退屈と倦怠を観客に体感させるためか映画自体もあえてドラマ的な盛り上がりを排した退屈さ、というのは手法としてはブレヒトの言う異化効果のようなもので、その先駆者にはファスビンダーのような巨人がいたりするのでいささか安直ぽい気がするが、この退屈と倦怠と奇妙な安らぎの同居する空気感は元コンビニ夜勤アルバイターの俺にはわりあい馴染む。

『ザ・ゴールドディガーズ』の方は明確なストーリーもなくパロディ的なイメージの数珠つなぎで輪を掛けて前衛前衛しているが、それよりも冒頭の「楽しくやってたのに男が入ってきて最悪だ!」みたいな歌のアジテーションが強烈である。前衛映画なので展開などはよくわからないが、男という不快な性別にこの世から消えて欲しいというメッセージは伝わってくるので、その意味では『ナイトシフト』よりもわかりやすいというか、その思想に共鳴できる人にはキャッチーな映画と映るかもしれない。『ナイトシフト』の方はたぶんセットとか組んでないと思うのだが、『ザ・ゴールドディガーズ』はカフカの原作をオーソン・ウェルズが映画化した『審判』(こちらも近日リバイバル上映とのこと)を思わせるSF的で誇張されたセットとかが登場して、わけはわからないが画的に楽しい感じである。

しかし、労働をキャッチコピーにしているわりにはどちらの作品も労働者目線であるとか労働のリアリティが感じられるものではあまりなかったな。このへん『ナイトシフト』は別に声高に何かを訴える映画ではないので構わないと思うのだが、『ザ・ゴールドディガーズ』は途中から剰余価値が云々とマルクス経済学っぽい会話が始まってしまい、フェミニズムと労働と資本主義批判を接続しようとしているだけに(日本の代表的なマルクス主義フェミニストである上野千鶴子が著述活動を始めたのがこのへんなので、どうも1980年前後はマルクス主義フェミニズムが盛り上がった時代らしい)、労働のリアリティの欠如は気になってしまう。

たとえば、この映画の主要登場人物はデータセンターのようなところでデータ入力の仕事をしていて、その仕事中に「この数字はいったいなんなんですか? 気になります、教えて下さい」と男の上司に要望して「君はそんなもの知る必要ない。ただ言われた仕事をしていればいいんだ」なんて突き返されてしまうのだが(そこからこの人の世界の真理を知るための冒険が始まるらしかった)、もちろんこれは前衛映画だから意図的に戯画化されたものだとしても、実際の労働者たいていそんなもんじゃないだろう、という発想と所作で、テーマを語るために雑に造型された理念系としての労働者像という感じがある。

マルクス主義フェミニズムとマルクス主義は似ているようで異なるものだろうが、マルクス主義においては労働そのものではなく生産労働の搾取が問題とされているのであって、生産労働そのものはむしろ人間の本質であり力として称揚されているのだから、データ入力は狭義の生産労働とは呼べないかもしれないとしても、それを資本の移動に関する非生産労働としていささか露悪的に下らないものとして描く人は、口では剰余価値だなんだとマルクスっぽいことを言っているが本当にマルクスの労働思想を咀嚼しているのだろうか? なんか都合良く自分の気に入ったところだけ切り貼りして使ってないだろうか? とマルクスの本なんか一冊も読んだことのない俺は思ってしまう。

とかなんとか思うところはあったりするが、『ザ・ゴールドディガーズ』は超ハイコントラストで水墨画みたいになってる冒頭の雪山シーンとか映像はカッコイイので、ゴダールと同じでなんかよくわからんが所々イイ画がある、ぐらいの感じで観ればいいのかもしれない。どちらも知らないが映画だったが『ナイトシフト』と『ザ・ゴールドディガーズ』、面白かったです。推定睡眠時間はどちらも15分ぐらい。

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