老人は大変映画『アミューズメント・パーク』感想文

《推定睡眠時間:25分(一回目)、0分(二回目)》

モダンゾンビの帝王ジョージ・A・ロメロが初期の傑作『ザ・クレイジーズ』と『マーティン』の間にルーテル教会の依頼で手掛けた老人の手助けをしてあげてください啓発映画で、これ夏の先行上映の時に観てその時は結構寝てたんでわりと重要なところを丸ごと見逃してたりしてまぁ啓発映画ですよねみたいな失礼な感想しかなかったんですが、せっかくだからということで本公開後に今度は寝ないでちゃんと観てみたらいや、面白いじゃないですか!

その一回目で寝てたところっていうのはざっくり言えば未来と現在が主人公の老人の混乱した意識の中で混じり合うところ。断片化された主観的な映像群はアシッド映画の趣があり、ノイジーな音響効果と相まってかなり悪夢的で、ある意味アンソニー・ホプキンス演じる認知症の老人が記憶の迷宮に陥るアカデミー主演男優賞受賞作『ファーザー』の先駆け。目の前の現実と自分の存在が足元から崩れ落ちていくような実に嫌な不安感があった。

啓発映画でどうしてこうなるのよと喜ばしくも面食らったわけですがでもまぁロメロ元々PR映画出身の監督だから暴走してこうなったとかそういうことではたぶんなくて、主人公とはまた別にヤングカップルが絶望的な老後を幻視するシークエンスがあるんですが、そのあたりから見てもこういうアシッドな演出って当時の若者向けのものっぽい。依頼した側が誰に見せたいかってこれは若者に見せたいわけで、この映画で老人の置かれた悲惨な状況とかあんたらだって歳取ればこうなっちゃうんだよっていうのを学んで、様々なプログラムにボランティア参加することで老人をサポートをしてくださいそれは未来のあなたのためでもあるのですっていうのが作品のメッセージなわけですが、そのメッセージを教育ビデオ的に撮ったところで若者そんなの観ちゃくれないですよね。

カウンターカルチャーに共鳴しつつも一定の距離を置いて、ニューシネマを自分なりに吸収・解釈したジャンル映画を撮っていたのがこの時期のロメロなので、映画を若者にどう見てもらうかの方法論はある程度確立していたと言ってもまぁそこそこたぶんきっと過言ではない。そう考えれば一見してなんでロメロを監督に呼んだんだよと思わずにはいられない人選も実はかなり的確だったのかもしれず、この映画が当時の観客にどう受容されたのかはよくわからないが、とまれ一般的な(?)老人の置かれた境遇とそれに伴う不安・混乱、コントロールが効かず速度の落ちた身体や思考の外界とのズレが生む認知的不協和を観客を退屈させることなく見せることには、今観てもなかなか面白いわけだからかなり成功しているんじゃないかと思う。

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しかしまぁとはいえ、二回目を観て俺がオオッと思ったのはそこもあるがもう一つ、実はこれがちょっとプロト『ゾンビ』みたいな映画だったというところで、作品内容の連関のみならず、ロメロ本人も確かそんな風に説明してたし一般的には大量消費社会の大衆のアレゴリーとして受け取られてきたっぽい『ゾンビ』のゾンビ表象が、もちろん大衆の寓意でもあるにせよ、その動作や行動パターンの面では老人のイメージで形作られているんじゃないか、というゾンビ新学説(でもないかもしれないが傍流っぽい)も『アミューズメント・パーク』を観るとかなり濃厚になってくるのだ。

なにせここには『ゾンビ』を彷彿とさせる場面がいくつも出てくる。特定の商業施設を舞台にしてその様々な側面をフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーを思わせる乾いたタッチで俯瞰していく構成がまず似ているし、個々のシーンでは無人のパークにバイカーが入ってきて主人公の老人に殴る蹴るの暴力を加え金品を奪っていくシーンであるとか、老人集団がよたよたとパークを後にするシーンなんかが『ゾンビ』とよく似ている、更には『ゾンビ』のショッピングモール内BGMとして使われたライブラリー曲がここで既に屋外レストランのBGMとして使用されてさえいるのである! ここも先行上映時には寝過ごしていた箇所だったので思わず感嘆符を付けてしまう。

『ゾンビ』と接続して観れば『アミューズメント・パーク』は啓発映画に留まらないホラーな相貌を帯びてくる。これは冒頭と結末が円環を成している映画で、まだまだ俺やれるよ人生たのしいよっていう主人公の老人が謎の白い部屋に入ってくるとそこには何もない…外の世界には何もない…と呟くばかりのズタボロの自分がいる、でそんなことはないだろってんで元気な方の主人公がパークに出て行くと(そこは現実にはあり得ないような様々な寓話的風景が広がり時空間もデタラメになったシュールな世界である)ズタボロの自分が言ったとおりヒドいことばかり、いつしか自分もさっき会った自分と同じようにズタボロになって白い部屋に逃げ込むのであったというストーリーなんですが、なんか、これが、老人の心象風景ってだけじゃなくて、ゾンビの心象風景に見えてくる。

ロメロのゾンビ映画では『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のゾンビは純粋に意思を持たない怪物ですけど『ゾンビ』から先はゾンビなりの思考が垣間見える場面が出てくるようになって、『ランド・オブ・ザ・デッド』になるともう人間が腐ったやつっていうか人間とは別の社会性動物って感じですが、『ゾンビ』のショッピングモール徘徊ゾンビたちはまだ何かを考えているかもしれないが外からはそれがよくわからないっていう微妙なラインにある。で、そのラインのゾンビが考えてることが『アミューズメント・パーク』の不安と混乱なんじゃないかとか、『ゾンビ』のゾンビには世界がこんな風に見えてるんじゃないかとか、『アミューズメント・パーク』を観るとそんな気がしてくるんですよね。

『ゾンビ』といえばバイカー集団の一員のどうしても血圧を測りたいメキシカンファッションマンが血圧を測りながらゾンビの集団に食われるブラックユーモアが強い印象を残すが、もしかするとあれは健康な若者に対するゾンビとしての老人たちの復讐だったのかもしれず。あるいはプエルトリコ移民のアパート地下に捨てられたゾンビたちもまた社会に見捨てられた老人をイメージしたものだったのかもしれず。ロジャーがゾンビになってムクっと起き上がる時の表情は老人のようにシワシワだったし…って考え出したら止まらなくなるので、だから『アミューズメント・パーク』、面白いし興味深い映画だったなぁ。

※ロメロのフィルモグラフィー上では『アミューズメント・パーク』と『ゾンビ』の間に位置する『マーティン』が自分をスーパー年寄りの吸血鬼だと認識している(真相は定かではない)若者の物語だったことも、『アミューズメント・パーク』を観た後にはなにやら興味深げ。

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ゾンビには複数バージョンがあるが『アミューズメント・パーク』との連関が一番わかりやすく表れているのはやはりこのバージョン。

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