フィルターバブルを突き破れ映画『ロン 僕のポンコツ・ボット』感想文

《推定睡眠時間:0分》

スティーブン・キングの原作版『ドリームキャッチャー』に主人公の回想として自閉症の友人と遊ぶ場面が出てきて、それはなんかチェッカーだかのボードゲームを小学生の主人公たちがやってるんですけど、そこに自閉症の友人もいて、この人は自分ルールでコマを動かしちゃうから主人公たちが普通のルールで作った盤面がその人の番になるとめちゃくちゃになる。で主人公たちはそれを見て笑い転げる。毎回予想外の展開になるのが楽しくて主人公たちは自閉症の友人と一緒にボードゲームやってるんだよな。

俺はこのエピソードが好きでゲームをすることの本質がここにはあるなーって思うんですけど、ゲームって約束事の束じゃないですか。何をするのはオッケーで何をするのはダメでっていう厳格な約束事がたくさんあって、それをゲーム参加者全員でちゃんと守るからゲームが成立するわけですよね。サッカーで手を使ったらダメとか、キーパーだけは使っていいとか。だからそのままでは同じことの繰り返しにしかならなくて、面白いゲームというのはその同じことの繰り返しにうまく不確実性を組み込んでたりする。逆に言えば、どう転ぶか分からない不確実性を安全に何度も楽しむために厳格な約束事で包んだものがゲームって言える。

『ドリームキャッチャー』で主人公たちが自閉症の子供と友達になったのはこの人が同じ事の繰り返し(「クソは変わらず日付は変わる」というやつ)に飽き飽きしてた自分たちの毎日に不確実性をもたらして楽しくしてくれたからで…どうなんだろうなこういうのは、俺にとってはイイ話なんですけど人によってはっていうか、友達観によっては「それってイジメと変わらないんじゃない?」みたいになるかもしれない。友達にも悩み事をお互いに相談したりして感情とか知識とかをシェアするタイプのおしゃべり型の友達と、それと比べればシェアできるものは少ないかもしれないけれども一緒に遊んでると刺激的で楽しい遊び型の友達っていうのがいるじゃないですか。

で、おしゃべり型の友達は円滑で平和なコミュニケーションができることが友達の条件で、遊び型の友達は面白ければいいわけだからコミュニケーション能力とかはあんまり関係なくて、俺は後者の友達の方がどちらかと言えば欲しいタイプなんで『ドリームキャッチャー』の友達エピソードは響く。なんかそっちの方が色んな種類の人と友達になれる可能性あると思うんですよね。言葉が違う人でも身体能力が違う人でも王様と乞食ぐらい経済格差があっても一緒に遊んでて楽しいっていうその一点で諸々の違いを乗り越えて友達になれる。

これはある程度男子カルチャーっぽいところがあると思うんでそういう意味でわりと偏った感じの映画なんですけど、まぁでも偏ったものの方が遊び友達としてはやっぱ面白いじゃんというわけで前置きが長めになりましたが『ロン 僕のポンコツ・ボット』はそういう映画です。はいここからやっと映画の感想。

ところでその前に多少補足しておくと前置きがこのように長くなったのはなんかネットでこの映画の感想見てたら友達は必要か不要かみたいな対立軸でこの映画を捉えてる人がチラホラいて、人によって見方はそれぞれだとしてもそれはちょっとズレてるんじゃねぇかっていうか、別に「友達」を批判する映画ではないだろっていうのがあって。SNSシェア文化批判も含まれてる映画だしおしゃべり型の友達と遊び型の友達の対立軸で見た方が「さいきんの世の中はおしゃべり型の友達ばかりを本当の友達として扱っていませんか」みたいな物語の含意は理解しやすいと思うんですけど、まぁでも皮肉といえば皮肉なのがさ、そういう世の中だからこの映画の対立軸が見えない人もいるんだろうっていうのはあるよな。おしゃべり型の友達だけを友達だと思ってる人は遊び型の友達は友達に見えないわけだから…まぁいいかそういうのは長くなるから!

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映画の感想。泣いた。舞台は個人情報を完璧に抜き取って自分に最適なおしゃべり型の友達を作ってくれるシェアロボットがアップルならぬバブル社の手によって普及しまくった近未来ということでこういう映画の王道として学校で一人だけこのシェアロボットを持ってない少年が主人公なわけですがこういう映画の王道としてこの少年が誕生日プレゼントにもらったのは不良品のシェアロボット。ここまではいい。ここまではなんかお友達ロボット映画の名作『ショートサーキット』かなみたいな感じであるが、しかしてこの不良品シェアロボットのロンくんのポンコツっぷりはそんなものではなくあえて言えばウェス・クレイブンのさつじんおともだちロボット映画『デッドリー・フレンド』クラスであった。

いわゆるロボット三原則的なものに従ってこのシェアロボットもなんでもできる能力はあるものの人間に危害を加えることはないように制御システムが組み込まれているのだったがロンくんはポンコツなのでそんなものは機能しない。世界を知るためにオモチャを融解し鶏を絞め殺そうとし「どうせ反撃してこねぇだろwww」とか舐め腐った近所のガキが殴ってきたらしっかりと殴り返し(世界がよくわからないので赤ちゃんみたいに反復行動を取るのだ)「てめぇぶっ壊してやる」と近所のガキが無謀にも口走ってしまったがために逆に近所のガキの首を引きちぎろうとする暴走っぷり。

暴走はそれだけではない。主人公くんに僕にも友達を作ってねとテメェが自分でどうにかしろやのリクエストをされたロンくんは主人公くんが学校へ行っている間に町へと繰り出す。「お友達になってくださーい。○○くんがお友達になってくれる人を探してまーす」かなり恥ずかしい呼びかけをしながら電柱などに手描きの友達募集ビラを貼っていく大迷惑アナログお友達探し作戦をやっているのは他のシェアロボットならバブル社のネットワークと通信して一発でできることがこのロンくんはぶっ壊れすぎて通信機能がないのでできないためだ。

そうしてロンくんが主人公くんのもとに連れてきた友達候補。バイカーの陰謀論者。ロンくんに若干騙されたホームレス。困惑を快諾と勘違いされたどっかのおばあさん。あと外で見つけた乳母車から拉致してきた赤ん坊。泣いてしまう。ロンくんお前…友達のいない俺のためにそんな犯罪に近い行為を! たしかに犯罪はよくないしこっちとしても道で拾った赤ん坊とか陰謀論者と友達になれと急に言われても非常に困るわけだがそこまでやってくれるロボット…いや友達を否定できるわけがないだろうが!

考えさせられますね。そもそもなんですかロボット三原則って。ロボ権侵害じゃないですか。ロボットだって友達なんだから殴ったらダメですよ。友達を殴ったらそりゃ殴り返されますし「ぶっ壊すぞ」とか言われたらこっちだって身を守るためにお前の肉体をぶっ壊そうとします。当たり前じゃないか! それを暴走だなんて君たちはロボットをなんだと思ってるんだ奴隷で富を築き上げた野蛮人の末裔め!

レプタリアンなどを信じるバイカーの陰謀論者をロンくんが友達候補として連れてくるというのも批評性が高いですなぁ。バブルという社名はアップルのもじりですがこれは同時にフィルターバブル、ユーザー毎に最適化(フィルタリング)された情報がその周囲を泡のように覆い他の情報が入ってこなくなってきてしまう状態を表すインターネット用語を重ねたものでもありましょう。

陰謀論者などはフィルターバブルの中で「俺の考えは絶対に正しい!」の思考蟻地獄にずっぽりハマってしまっているわけですがそうした環境に置かれているのはなにも陰謀論者だけではないわけで、常に居心地のよいインターネットを求める身勝手なわれわれはみな大なり小なりフィルターバブルに包まれ、その中で同じような考えや感性を持つ人々と繋がりエコーチェンバーを形成し、それがやがては他の意見を拒絶して自分たちに都合のいい極論しか言わなくなるサイバーカスケードを引き起こす…なぁんてSNSでは見事に超日常風景です。

そう、現代インターネットは当初言われていたような解放の道具なんかではなく、まぁ使いようによっては依然として超解放の道具なので上手に使っていきたいものですが、なんとなくの感覚で雑にインターネットをやっていると解放どころか自分の世界を現実世界よりももっと狭いところに固定する残念な結果になってしまうのです。そんなインターネットがたのしいですか? まぁ屈託なく「楽しい!」と答える人もいるかもしれないが、遊びの観点から言えばそんな不確実性のまったくないインターネットとかフレンド付き合いなんて退屈極まりないものです。

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ロンくんはぶっ壊れているのでそんなつまらないインターネットに支配されたデジタルなリアル空間を破壊します。みなさまのためにフィルタリングされたインターネットならみなさまがバイカーの陰謀論者と遭遇しなおかつお友達になる機会など陰謀論者の人かバイカーの人かバイカーがよく行きがちな町のバーとかよく使いがちなアマゾンの配達員とか本屋さんの店員とかコンビニの店員とか病院の看護師さんお医者さんなどでもない限りありえないでしょうがと書いていて結構多いことに気付いてしまったわけですがそのような実はたくさんあるお友達チャレンジの機会を我々は日々ガンスルーしているわけで、遊び友達の不確実性を嫌っておしゃべり友達の確実性に逃げ込むことのつまらなさと可能性の喪失を、ロンくんは陰謀論者を連れてくることでわれわれに教えてくれるのです。

ロ、ロンくん…! 君はなんという…狂ったロボットなんだ! その危険性からすれば一緒に住むとかは多少ごめん本当は多少どころじゃなくて結構怖さがあるがでも遊び友達としては満点花丸ぺんぺん! そうだよねぇ、現代の人はちょっと不確実性を恐れすぎなんじゃないかと思うよねぇ。失敗したくない、間違った選択をしたくない、傷つきたくない、傷つけたくない、ずっと気分良くいたい、気分を悪くするものに価値はない、好きなものだけを見ていたい、好きな人だけと関わっていたい…そのやさしい世界の行き着く先なんか本質的にはソ連と変わらぬ『1984』じみた遊びの余地のなきデジタル監視社会じゃないですかとこの映画は鋭く批判するわけです。

なるほど個人情報を全部吸い取って全てが自分の好みに合うようカスタマイズされたロボットもそのロボットが作ってくれた全てが自分の好みに合うフレンドも魅力的ではありますが吸い取られた個人情報は何も空中分解するわけではありません。分解する代わりに販売メーカーの空中にあるクラウドの分子となりビッグデータの雨としてわれわれのリアル社会にザザザーっと降り注ぎわれわれはその雨によってリアル生活をああ変えたりこう変えたりとかしなけりゃいけないのですと考えれば巡り巡って逆に不便になってる感だってあるな! とまぁそんなようなこともお子様にもわかる形でブラックユーモアとして見せてくれる(でも大人の方が不確実性に耐性がないのでそのへんの風刺を読み取れてないっぽい。バカだね怖がってばかりの大人は)

などと! こういう映画の感想で端正なものを書くのも違うだろうから思いつくがままに楽しんで文章を超出力してきたわけですが、とにかく『ロン 僕のポンコツ・ボット』はそんなような映画で、かわいらしい見た目からはなかなか想像が困難な硬派な現代批判SF。アメリカ/イギリス映画ってわけでアメリカ的に流暢なストーリーで見せるというよりも社会風刺やブラックユーモアをスケッチ的に繋げていくイギリス喜劇映画っぽい作劇。こういう見た目の映画だと新鮮だよね。こういう見た目といってもストレートにかわいいのはロンくんぐらいで他のキャラクターは結構悪意ありめにデフォルメされておりますが(でも性根が腐ってる人は出てこないというのはいいところ)

反ソ連共産党を標榜してアメリカに移住してきたっぽいブルガリア人移民一家が主人公ファミリーとかいう設定、シェアロボットのコードを書いたバブル社の偉い人の名前がマーク、どうせアニメだからと気軽に繰り出される家畜いじりバイオレンスギャグ…などなど、攻めているし遊んでいてイイ。ロンくんを起動する時の音が懐かしのダイヤルアップ接続音とかエンドロールに流れるドット絵ロンくんとかも楽しいですよね。懐古趣味だなぁとはさすがに思うけど! Netflixオリジナルにこういう感じのSFアニメわりとあるよなとかも思うけど! あとWIREDのライターとか読者がめっちゃ好きそうとか! 悪口みたいに言うなよいいよ別にWIRED界隈が好んでも。

※なにやら回りくどく理屈っぽい感想になっているがロンくんが出てくるシーンは町でのお友達探しシーンを頂点に基本的に全部泣いているので俺の感想としては「泣ける」です。ロンくんかわいすぎ。健気に壊れすぎ。

【ママー!これ買ってー!】


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でも貼るのは『デッドリー・フレンド』! これはこれで泣ける! …か?

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