《推定睡眠時間:70分》
エフティミス・フィリップがランティモス映画に帰ってきた! 誰なんだそれはという話だがこの人はヨルゴス・ランティモスの名を一躍映画界に轟かせた『籠の中の乙女』『ロブスター』、そして『聖なる鹿殺し』の脚本を執筆した人であり、ランティモスのブレインと言ってもきっと過言ではない。世間的にランティモスといえばわけわからん変な映画を撮る人であろうがあの変さというのは実はランティモスの個性というよりエフティミス・フィリップの個性であり、エフティミス・フィリップが脚本を書いてないランティモスの近作『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』は映像的には奇抜なところがあるもののストーリーはストンと腑に落ちるもので物足りなさがあったが、それは要はエフティミス・フィリップが脚本を書いていなかったからなのだ。
というわけでエフティミス・フィリップ帰還のこの映画『憐れみの3章』はう~ん面白いかどうかはともかくそうそうこれがランティモス映画だよな! て感じ。このね、まぁ世の中にはさまざまなルール、道徳だったり慣習だったり法律だったりといういろんなレベルでの「法」があり、世の中に生きる人は基本的にそれを守って生きているわけですが、そうした現代社会の法が無効化されてしまうところ、そうした現代の法の代わりに人間にはよくわからない太古の法が蘇って否応なしに人間を動かしてしまうところ、こういうのがランティモス映画の面白さですよやはり。
しかし残念ながら俺爆睡! 3章立てのオムニバス構成でエマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォーといったクセモノ役者たちがそれぞれのエピソードで違う役を演じつつもなんとかという謎の人物だけは3章に共通して登場する(らしい)ので物語的には繋がっているという変則的な作りは興味深いがなにせ大部分寝ているからよくわからなかった! これも映画は起きて観るべしという現代の法を暗くなったら寝るべしという太古の法が覆してしまった結果だろうか…。
とはいえ俺は合理主義的現代人なのでこの謎の睡眠現象を分析したところ次のような仮説が得られた。『ロブスター』や『聖なる鹿殺し』などこれまでのランティモス×エフティミスの映画では物語の到着地点が明示されており、『ロブスター』ならいついつまでに恋人を作らないと動物化、『聖なる鹿殺し』ならいついつまでに生け贄を捧げないと全員死亡(でしたっけ?)、みたいな「法」に従って物語が展開するため、アイディアは奇抜なのだがアート映画という感じではなくこれからどうなるんだろ~と結構サスペンス映画っぽく観ることができた。
ところが『憐れみの3章』はオムニバス構成。各話それぞれには起承転結があり3話通すとそれまでは見えなかった大きな物語が見えるという仕組みなのだが、その仕組みのために映画全体を貫く「法」がわかりにくく、よって物語の到着地点の見えないために、ミステリアスなムードはあるもののこれまでのランティモス×エフティミス作品のようなサスペンス映画的な牽引力に乏しかったのだ。おそらくそれで緊張感が途切れて爆睡してしまったのではないだろうか。この仮説は有力なので学会に提出するつもりである。
までも温熱療法で強姦毒素を排出とかエマ・ストーンのやったぜダンスとか変なシーンとなんでそうなるの展開盛り沢山で楽しい映画だったとは思います。ラストは壮大なブラックジョークというか脱力ギャグというかはたまたモンティ・パイソン風の奇蹟と言うべきか…あぁそうだ、そうそうこういう変なユーモアもランティモス単独作品にはちょっと足りないエフティミスの持ち味、ランティモスが監督していないエフティミス脚本作『PITY ある不幸な男』も構われ中毒に陥ってしまった甘えん坊中年男性の表情一つ変えずにの構ってちゃんぷりが大いに笑えるシュール編でありました。こういうの好きなので今後もランティモス×エフティミスのコンビでよろしく頼むな!