感情が行方不明映画『PITY ある不幸な男』感想文

《推定睡眠時間:5分》

他人の不幸は蜜の味と言うが場合によっては自分の不幸も蜜の味らしくこの主人公の男は事故で妻が昏睡状態に陥ったことにより不幸転落、ところが。真面目で手がかからなかったのかどうやらあんまり人に構われたことが今までの人生でなかったらしいこの男、突然の不幸転落により周囲の人間が急に自分に同情してくれるようになって味を占めてしまった。妻が昏睡状態でと言えば誰もがお気の毒にと言ってくれるし近所の人はよくお見舞いケーキを作ってくれる。病室のベッドに横たわる昏睡状態の妻に泣きながらキスをする時の気分は最高である。他人に同情されるのと同じように自分で自分に同情することも気持ちがいいものだ。

そんな憐れむべき身勝手な男の哀しき幸せな日々が妻の覚醒によって徐々に崩れていくサマを描いた乾いたブラックユーモア漂う悲喜劇がこの映画だが、日本での配給はアルバトロスの衣鉢を継ぐ(アルバトロスまだありますが)ゲテモノレーベルTOCANAということでなんかちょっと懐かしかった。昔のアルバトロスこういう感じの悪趣味だけどアーティスティックなヨーロッパのサスペンスみたいのよく配給してたよな。

だから意外性とかはそんなにない。脚本家がヨルゴス・ランティモスの『ロブスター』とか『聖なる鹿殺し』の人ですけどそれと比べれば遙かに大人しい小品で、シンメトリーを多用したミニマルな絵作りとか劇伴の唐突な挿入はヨルゴス・ランティモス風なので(監督は監督はバビス・マクリディスという人)なんかフォロワー感っていうか若干のパチモノ感も出てしまった。そう見えるのはアルバトロスの記憶が残ってるせいなので悪いのは映画ではなくアルバトロスなのだが。

メンヘラオッサンの幼稚さ描写の数々は面白かったけどな。もうすごいんだよ、母親が回復したら近所の人がケーキもってきてくれなくなって「なんでケーキをくれないんですか。息子は楽しみにしてるんですよ」って厚かましくも押しかけるし、病院の待合室とかで誰かが隣に座るといちいち「私の妻は事故で昏睡状態なんです」ってアピールするし、ピアノを習ってる息子が家で軽快なピアノ曲とか弾いてると「そんな明るい曲を弾いたら同情してもらえなくなるからやめなさい。お父さんは昨日お母さんの回復を祈る歌を作りました。歌います」って松本人志のコントじゃないんだから!

でも切ないよね、そうやって段々とオッサンが自分は本当の意味で人から同情されてるんじゃないんだって気付いていくところとか、それは同情テクニックを使いすぎている自分のせいなので自業自得なんですけど、世の中と感情の波長がズレちゃった人の切なさがありますよ。なんかパターンがあるじゃないですか、家族が病気になったら悲しむとか、人から罵倒されたら憤慨するとか、仕事で失敗したら落ち込むとか、そういう状況と感情のセットをだいたいの人はインプットしててある状況に陥ればある感情が自動的に出てくるからそれを疑うことがない。

でもこのオッサンは弁護士っていう仕事柄そういう状況と感情のセットを疑うし、逆にそのセットを利用して普段から仕事に役立てたりしてるから、ある状況に対して自分が何を感じているかっていうことが自分でわかんなくなっちゃってるんですよね。それで妻の昏睡っていう事件に対して過剰なほど悲嘆する夫っていうキャラクターを演じるし、そのことで過剰なほどの同情を食らって自分を見失っちゃう。本当の自分の本当の感情なるものを求めてオッサンは暴走してしまうわけで、感情優位のコミュニケーション至上主義社会の戯画として見れば、なかなか味わい深い映画であったと思う。

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考えてみればこれもコミュニケーション至上主義を皮肉った映画だった。

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