コントとしても成立してないだろ映画『新解釈・幕末伝』感想文

《推定睡眠時間:0分》

『新解釈・三国志』に続く福田雄一の新解釈シリーズ第二弾らしいが『新解釈・三国志』を観た時にはシンプルなつまらなさに意表を突かれ、いや、これはネットによくある福田雄一の悪口とかではなくて、福田雄一がわざわざ新解釈と銘打って芸人やら喜劇系の役者やらを大量投入して三国志映画を作るからには当然ギャグ満載パロディ満載わるふざけ満載でたとえばだが董卓が宇宙人でUFOに乗って攻めてくるのをムロツヨシがオナラで撃退とかそういうのかと思っていたらそうではなくて、場面場面は当然アドリブ連発のギャグ映画なのだが大筋のストーリーは普通に三国志のすごい最初の方をやってるだけで、いや新解釈じゃねぇじゃねぇか、強いて言うなら大泉洋の劉備がチャランポランとかその程度の新解釈しかなかったので、福田雄一からテレビバラエティのノリの悪ふざけを抜いたら何が残るんだってことで面白くなく、意表を突かれたんであった。

俺の記憶ではまったく好評ではなかったこのシリーズの第二弾が作られたということも驚きだが今回もまた意表、前作も別に大作然とはしていなかったとはいえ一応それなりの野外ロケとか合戦シーンとかはあったような気がするのだが(確認する労力を割く気はない)、今回はどっかの砂浜と太秦のオープンセット以外はすべて簡素な屋内セット、それも福田雄一の映画なので凝ったカメラとか照明とかは一切見られず基本的にはテレビコントの撮影スタイルで役者たちの芸……というかなんかぎゃーぎゃー騒いでいるだけみたいのが大半だったが、それを捉えていくわけで、ようするにびっくりするほど安っぽかったのである。

それでそうかー福田雄一映画もいよいよ予算が付かなくなったかー予算はなくてもテレビコントのスタイルでスタジオ使ってチャチャっと映画撮っちゃうから福田雄一のオファーは途切れないんだろうなーとか思っていたらエンドロールは大作級、たいへん多くのスタッフが関わり出資も東宝とか日テレとかうんたらかんたらとか大手が何社も相乗りしていていろいろわからなくなってしまった。まずこんな映画にそれだけ予算が付く意味がわからないし、その潤沢な予算を使って出来上がったのが予算10万にしか見えないこれというのもわからない。予算がいくらか知らないがなんだかんだ1億くらいは行ってそうなのにその膨大なお金はいったいどこへ消えてしまったのだろうか。マネーロンダリングか? 福田ロンダリング? おそらく事実は予算の9割が完全に無駄な豪華キャストの出演料で溶けたのだろうが、それはそれでやはり謎。それをやる意味はなんなの的な意味で。

内容に関しては書くことというか書きたいこととかとくにない。ムロツヨシ演じる平成のテレビ業界人みたいなノリの坂本竜馬(坂本竜馬というよりも竜馬ラバーである武田鉄矢に似ている)を中心に幕末のいくつかの出来事をコントにして繋いだだけのオムニバス映画、いやオムニバス映画というよりもたとえば『笑う犬の冒険』の2時間スペシャルみたいなコント集だが、どうした福田雄一、このコントがやたらと間延びしてギャグのキレも悪くアドリブも精細を欠いてという感じで全然面白くなくてですね……昔の福田雄一映画はなんぼなんでもこうヒドくはなかったよな。いや、昔からヒドかったと言う人もいるとは思うけどさ、『銀魂』とか『勇者ヨシヒコ』は少なくともテレビバラエティノリのコントとして楽しめるものだったと思うんですよ。でもこれはなぁ……なんでこんなつまらなくなっちゃったんでしょうね?

つまらなさの理由を分析するのも気力を使うことなのでそれも本当はしたくないのだが少しだけしてみると、一つのネタとかシチュエーションを引っ張りすぎ。どうも役者のアドリブおもしろを引き出そうとして無駄に引っ張ってるぽいのだが、残念ながらムロツヨシとか山田孝之のアドリブ力は本職芸人に比べて高いとは言えないので、この演出方針は根本から間違っていた。つまらないアドリブに更につまらないアドリブを重ねるのだから天丼どころか白けるばかりだし、アドリブ以外のギャグは数が少なくパワーも弱いのでそもそもこれは福田雄一の手になるコント台本がダメ。この台本で役者に面白いアドリブをやってくださいと他力本願するのはそりゃあんた無茶ですよ。にもかかわらず編集でそのつまらないコントを切らない。それでも序盤はまだいいが薩長同盟コントなんか山田孝之とムロツヨシと佐藤二朗の三人だけで30分ぐらい延々とコントを回すので……そうなると映画監督の才能だけではなくテレビコントの才能も福田雄一には無いんじゃないかと思わざるを得ないところだ。

言うまでもなく笑いながらカジュアルに学べる幕末史としてのニーズも満たしてはくれない。なぜなら物語の半分以上はコントではなく各コントを繋ぐ市村正親演じる歴史学者のなぜか淀川長治を模した長い語りで説明されるからで、物語の展開という点でいえばコントは市村正親の語りのオマケに過ぎないからだ。いったいこれはどういうことなのか。たとえつまらないとしても幕末のダイジェストをコントで語るというコンセプトなら理解はできるのだが、コントで幕末を語る気さえないのだから、じゃあなんなのこれは?

いやはやこれは、ムカつくよりも多方面に謎が多すぎて弧につままれたような不思議な感覚になる映画だ。西郷隆盛を演じる佐藤二朗がこんな茶番にもかかわらずかなり西郷どんのキャラを作り込んで身を入れた芝居をしているというのも謎の一つ。佐藤二朗は立派な役者さんだとおもう。

Subscribe
Notify of
guest

0 Comments
Inline Feedbacks
View all comments