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劇場公開直前に出演者がリアル緊急取調室に入れられたために全面撮り直しになってしまったと全国8000万人が思いつくが人格が疑われるので言わないことをそれでもあえて言いたいしあと天海祐希だいすきなのでというだけの理由で観に行ってるのでテレビドラマ版なんかひとつも観たことがなかったのだが検索してみたらなんとこの『キントリ』2014年から約10年に渡って放送された刑事ドラマの長寿シリーズ。スピンオフを含めた映画版が何本もあるので単純比較はできないとはいえ『踊る大捜査線』よりも長寿シリーズではないかそれでは。
出演者が逮捕されたらされたでそんなん代役立ててチャッチャと追撮したらいいじゃないなんでこんな公開延びてんのとか思ったが足かけ10年の長寿シリーズともなるとそんな軽はずみなこともできなかったのか。一から作り直した結果2023年の公開予定から2年以上が経過してようやくの劇場公開、しかも一部報道によれば当初は2022年に公開予定だったものの安倍首相銃撃事件があったためにその内容から公開延期になったというのだから二度の消滅危機を乗り越えた関係者執念の作品である。出演者がリアル緊急取調室に入れられてしまい……とかしょうもないことを言うために観に行ってしまってすいませんでした。
しかし、執念を燃やした甲斐はあったよな。『劇場版 緊急取調室 THE FINAL』、超おもしろかったです。でけぇ台風が二連続で列島上陸という緊急事態発生。高い支持率を誇り日本のケネディの異名を取る首相(石丸幹二)はさっそく独裁的リーダーシップを発揮して事態収拾に当たるのだが、なぜか災害緊急対策会議に10分間遅刻してしまう。そのたぶん翌日、被災地の病院に視察に訪れた首相が何者かに襲撃される。ということで天海祐希率いる緊急取調室のメンバーが招集である。佐々木蔵之介演じるこの何者かが首相を襲撃した動機とは何か。そして首相の空白の10分間には何があったのか。未曾有の台風が列島に甚大な被害を及ぼす中、チーム天海はどういうわけか公安の監視を受けながら捜査に着手する。
てな具合に劇場版に相応しく今回は災害パニック×刑事ドラマのダブルインパクト。今回はといってもテレビの通常回を観てないのでいつもがどうなのかわからないが、まぁたぶんいつもは普通の天気の下で事件解決にあたっていることだろう。このダブルインパクトがまず面白い。なんといっても『緊急取調室』というだけあって主眼はあくまでも取り調べなわけで、災害要素はあくまでも副菜に過ぎないのだが、パニック映画のオモシロと刑事ドラマのオモシロを合体したらおもしろい×おもしろいでダブルおもしろいじゃねぇかよ! という韓国映画的な力こそパワーのアイデアの勝利と言うほか無い。実際おもしろかったので。
おそらく韓国映画の影響はそうしたプロットだけではなく演出やキャラ造型など広い範囲に及んでいることだろう。感心したのが(とか上から目線で言いたくないが!)カメラの機動性がかなり高く編集も切れ味が鋭いだけでなく、よく言われることだがテレビドラマというのはわかりやすさを重視してベタッとした平面的な照明になりがちなところ、この映画では照明をしっかり演出に組み込んでドラマティックな陰影を画面ってか主に人物の表情に作り出していたことである。いやこういうのね日本映画ができないことだったんですよ。そりゃ別にやろうと思えば技術的にはできるだろうけど現場の効率とか見やすさを好む観客の要求を汲んでカメラはフィックス、ポジションはアイレベル、編集テンポは一定、照明はフラットっていうのが日本の現代の娯楽映画の基本になってて、でもこれはその安易さを退けて韓国娯楽映画がやるような過剰さやケレン味を導入してるわけ。
だからね取り調べシーン、とくに首相の取り調べシーンなんか演じる石丸幹二の好演もあって恐かったですよ。こいつが良いイヤなキャラなんだよなぁ、いつも自信満々で笑顔を絶やさず二言目には「国民の命」、誠心誠意頑張ってますアピールに余念がないのでパッと見ではとても良い為政者に見えるのだが、何か都合の悪いことを聞かれると例の「国民の命」論法で情に訴えかけてはぐらかすし、追い詰められると怒鳴り恫喝で屈服させようとする。それこそ韓国映画の『アシュラ』に出てきたファン・ジョンミン演じる暴力市長を彷彿とさせるキャラクター造型と演出で、これがファイナルならキントリ10年最後の敵として申し分ない、保身のために公安まで動かす独裁的権力者(良くも悪くも日本にそんな強い首相おらんやろというツッコミはまぁしないでおこう)にチーム天海も大いに苦戦しあのパワフルウーマン天海祐希も首相の圧に押されそうになってしまうのであった。
それでも警官としての職務を果たそうと怯えを隠して一歩も引かずに果敢に立ち向かう姿のカッコイイこと。天海祐希の魅力というのは『女王の教室』で見せたような取りつく島の無い完璧さというよりは『黒の天使 VOL.2』で見せたような本当はおちゃらけが大好きな庶民派の楽しいおねぇさんなのだがそれを隠して気丈に振る舞うところ、そしてその気丈さの下におちゃらけ好きな素の姿がちょっと見えてしまうところにあるんじゃないだろうか。キャラクターの魅力という点でいえばさすが10年続いたシリーズだけあってもうすっかり各キャラが固まっていて、一見柔和だがその反面したたかなリアリストの小日向文世、塀の中で不気味な存在感を見せる草刈正雄、シリーズ途中で逝去した大杉漣の魂が半分憑依したかのような面従腹背の副総監・大倉孝二などなど、いやー、みなさんええキャラ持ってますねー。なんといってもこれはチームものの刑事ドラマなわけだから、そんな味のある面々が各々の役割をプロフェッショナルに果たして少しずつ権力者を追い詰めていく図式はサスペンスフルでありつつ痛快である。
という感じで刑事映画として申し分の無い面白さの『劇場版 緊急取調室 THE FINAL』だが、映画の後半に突きつけられる倫理的問いかけが現代日本社会をアクチュアルに照射している点で、これは単に面白いだけの映画ではない重みと価値を持つ作品となっていたように思う。その問いかけというのは「大義のために小さな悪に目をつむるべきか、100人の命のために1人の命を見捨てるべきか」というものであった。SNSというかほぼツイッターなのだが、SNS以後の世界は大義や100人の命によって引き裂かれてしまっているように俺の目には見える。SNS上では誰もが大義ばかりを主張してそのための小さな犠牲を見なかったことにしてしまうし、リツイートといいねが可視化する100人の命が、身もフタもない数字の暴力として1人の命を不可視化してしまう。誰が悪いとかどちらが悪いとかの問題ではないんだよな。何らかの問題を巡って、SNSではそれに賛成の人たちは「大義のために」と自分たちの意見を正当化するし、一方でそれに反対の人たちも「大義のために」と自分たちの意見を正当化するわけだ。
この映画はSNSとかいうヴァーチャル空間でのその不毛な大義合戦、お互いに自らを100人の命だと主張する平行線の言い争いに待ったをかける。お前らまずは事実と現実をちゃんと正面から見ろ。事実と現実を無視して大義と大義を戦わせようとするな。まず現実と事実をその目で見ること、話はそれからだ、というわけである。思えば刑事ドラマというのは常に取るに足らない庶民の現実を映し出すものであった。誰もが大義とバズりに夢中のSNSでは決して顧みられることのない無名の庶民のごくごく小さな問題と取り組んできたものであった。そんな刑事ドラマ製作者やキャストの矜持の詰まった執念の劇場版がこの『劇場版 緊急取調室 THE FINAL』。いやぁこれはケッサクじゃないですかねぇ。