今度は神話的大戦争だ映画『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』感想文

《推定睡眠時間:60分》

資源強奪のためにあの手この手でアバター惑星に侵略をかける米軍艦隊の地球の科学力を背にした大攻勢に対してアバター族の人たちがララララララァァァァァとネイティヴ・アメリカンそのままの雄叫びを上げながらメビウスの漫画に出てきそうな飛行生物を駆って決死の反攻をかけるシーンで映画館の隣の席に座っていたヒジャブ着用のガールズたちの一人が小さくパチパチパチと拍手していたのでおおなんか良い光景だなとか思ってしまった。このムスリムガールはエンドロールが終わった時にも小さく拍手していたので拍手にとくに深い意味もなく単に律儀な人なのだろうが基本的にイスラム教圏にとって米軍は敵である(イスラエルに多額の軍事費援助をしているし勝手に領空侵犯して空爆で民間人殺したりするので)。オバマの大統領就任とMCUの成功によってアメリカは進歩的な正義の国とかいう仮に正しいところがあるとしても3ミリぐらいしかないと思われるかなり誤った悪しき認識が広まってしまったというのが俺の根拠なき妄想持論なわけだが、その観点からすれば『アバター』は米軍とそれを指揮するホワイトハウスは悪の組織であるというとても正しい認識(※個人差があります)に立つ映画なわけで、ブチキレたアバター族が最新鋭の兵器で武装した米軍をナチュラルパワーでボッコボコにしていく光景には俺も心の中で拍手であった。

もっともそれを撮っているのが超金持ちアメリカ白人のジェームズ・キャメロンというのがこの映画の妙味、アバター族はしきりに調和だなんだと言うので作品のメッセージとしては平和推しなのだが、キャメロンの関心は明らかに米軍とアバター族のスーパー全面戦争による破壊と殺戮のスペクタクルにある。たぶん前作を観たときにもそんな感想を書いているのだが、この言っていることとやっていることの埋めがたい乖離がキャメロンという映画監督のとても面白いところではないだろうか。マイケル・ベイみたいに無邪気に破壊しまくるのでもなく、ローランド・エメリッヒみたいにアメリカ社会風刺の道具として破壊を利用するのでもなく、キャメロンはなにせ『アビス』の人なわけだしスピリチュアルの入った平和主義の人なのである。スピリチュアルな平和主義者なのに戦争大好き。思えば『ターミネーター2』も核戦争による世界の崩壊を幻視した人が来たるべき終末に向けて武装し始めるというよく考えたらかなりどうかしているキャラ設定だったが、キャメロンのこの二重人格っぷりは米軍兵士がアバター族に転生するという『アバター』の基礎設定からも伺うことができるので、そう思えばこれはなかなかどうしてビョーキなシリーズである(そして映画はビョーキなほうがおもしろいのだ)

と、普通書くべきさまざまな前提や説明を一気にすっ飛ばしてここまで書いてしまったが、『アバター』をストーリーとかキャラクターの面白さとか目当てで観に行ってる人なんか世界に6人しかいないだろうからどうでもいいだろう。俺もお話よくわかんないしっていうか興味もないしっていうか寝てるし。あれでしょだから悪の米軍がアバター星を狙ってるからアバター族が怒って米軍帰れーってやってるわけだよね。それを5部作15時間かけてやるわけだ。狂っているな! なんか最初の1時間はアバター族の誰かが米軍艦隊に誘拐されたっていうんで取り返しに行く流れになってそれ前作『ウェイ・オブ・ウォーター』でもそんなのやってただろカットしろよとか思うのだが、『アバター』シリーズはもはやキャメロン教の聖典にして神話、聖書がそうであるようになんぼ無駄とか繰り返しとかがあってもそんなことは作ってる方も観てる側も気にしないのだ。

てなわけで今回の、というか毎作そうなのかもしれないが、見所はなんといっても後半1時間を費やして展開される米軍とアバター族の大戦争に尽きる。これは素直にすごい。画面いっぱいに広がる米軍メカとアバター星の巨大生物たちの殺し合いは黙示録的スケール、さながら宗教画のようである。とにかくいろんなものが破壊されてたのしいとでも言えばかなりバカっぽくなってしまうがこの映画に関してはしかしそれしか言いようがない。他に何か言うとすればSFメカとハイファンタジー生物の入り混じる世界観が『ファイナルファンタジー』のⅥ~Ⅷぐらいまでと近くてそこも厨二心にグッと来たとかそういうことか。あと誰かがこれはキャメロンのデビュー作である『殺人魚フライングキラー』のリベンジだみたいなことをSNSに書いてたんですがたしかにアバター星の殺人イカ群団が海から飛び出して米軍兵士を次々と捕食していく恐怖シーンは『殺人魚フライングキラー』でした。

俺はこのシリーズの1作目は観てなくて前作もまぁSFメカはカッコイイけどみたいな感じであまりピンと来てはいなかったのだが、「今度は戦争だ」を地で行くこんな大破壊を見せられては次回作に期待を寄せずにはいられない。次はいったいどんな頭のおかしいデストロイ黙示録を見せてくれるのであろうか。1980年以降、ハリウッド映画の美点といったらデカいものを大量に爆破し破壊することぐらいしかなくなってしまったにもかかわらず、最近のハリウッドときたら無駄に優等生ぶって(まぁつまりお金のかかるシーンを撮りたくないわけですね)安易な爆破&破壊をやらなくなってしまった。『アバター:ファイヤー・アンド・アッシュ』はそんなハリウッド黄昏の時代に残された最後の希望かもしれない。最後の希望がこれでいいのかと言われたらいいわけなどないが、でもまぁこの破壊と殺戮をアメリカ人も日本人もムスリムガールズもみんな楽しんでいるわけですから、あんがい映画の中の安全な破壊と殺戮というものは、逆に世界の人々の心をちょっとだけ繋ぐのかもしれません(?)

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