映画『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』感想文

《推定睡眠時間:20分》

去年12月には『Orange オレンジ』がありましたけど春先には『サクラダリセット』も控えてるらしいので邦画青春ジャンルに綿々と息づいている情緒系時間SF、その小松菜奈&福士蒼汰編。
おもしろかったりおもしろくなかったりしたのですがともかく一つだけどうしても言いたいことがあって小松菜奈の「私、みんなから癒し系に思われてるけど」みたいなセリフがあったんですけどいや癒し系じゃないだろむしろ爬虫類系だろ。
あとはもう爬虫類なので蛇足、ネタバレ込み。

時間SFとか書いてしまったんですが一応そのあたりはギミックになっているので既にしてネタバレといえばネタバレなんですが、不意を打たれたのはそういうネタをオチまで引っ張る映画かと思ったら開始早々にバラしてしまう。
曰く小松菜奈と福士蒼汰はどういうわけか住んでる次元が違い5年に1度しか会えないうえ生きる時間が逆方向になっている。だから小松菜奈にとっての明日は福士蒼汰にとっての昨日、福士蒼汰の明日は小松菜奈の昨日というわけで相思相愛なんですが記憶や認識がすれ違い続ける、とのこと。
そういう状況で不可能な恋愛を試みる男女のお話ということで諸々複雑ぽい設定はあるがつまりは織姫と彦星の一言でなんか済みそうな映画なんでした。大変だなぁ。

それでおもしろかったのは、こういう設定なので二人が記憶や認識を共有して対等な位置に立てる時間がほんの束の間しかないっていうところ。福士くんが小松さんに昨日のデートの話をしたりする。でも福士くんの昨日は小松さんの明日なので小松さんわからない。だから対等な関係になれない。
そこまではまぁよいのですが、この二人を結ぶ因果の糸は思いのほか太く、実はお互いが5歳の頃から出会いを宿命付けられていたというのが唸りポイント。どういうことかと言いますと5歳の福士くんの前にアラサーのカッチョいいお姉さんが現れて不思議な宝物を授ける。福士くんはその思い出を大事に胸にしまって今まで生きてきたのですが、そのお姉さんというのは当然のこと未来の小松さんでした。
小松さん的にはもう20歳のころの福士くんとの愛の日々は過去のこと。その思い出を壊さないように5歳の福士くんに将来自分と出会うよう仕向けたのですが、反対に小松さんが5歳か10歳のときには。ある日のこと見知らぬカッチョイイお兄さんが現れて…。

タイムパラドックスが云々などの問題はこれは情緒SFであるから一旦置いておくとして、つまり具体的な恋愛関係の相にいつまでも入らないでお互いがお互いにとって一目惚れした理想の人であり続ける、というようなところがおもしろかった。
二人がお互いの正体を知って記憶と認識を共有し始めるとあんなに輝いて見えた恋愛が大したものではなくなってしまう。普通なら相互理解が恋愛のドラマのピークになるようなところがこの映画ではならなくて、逆に二人の距離が遠ざかると、意識が乖離して互いを偶像化するようになると、そこがピークになる。
ずっと初恋気分のままでいたいとか上から目線で相手に色々教え込みたいっていうの、身も蓋もない願望ですけどでも願望としては正しいのでなんかこうその意味では変化球と思わせといてすげぇ豪直球な映画だなぁと思いましたね。

あと初デートで食べる屋台の「ピザ」がどう見てもチジミにしか見えなかったんですがあれなんていう食べ物なんだろうか気になる。

少女と田舎と前に進まない時間…という組み合わせは邦画SFにおいては『時をかける少女』(1983)に始まるかどうかは定かではないのですがとにかくこういうのありますよねっていうことで『Orange オレンジ』だって相変わらず地方ロケで祭り撮ったり名所撮ったりしてそして少女と進まない時間、となるわけですが。
『Orange』は、すごく好きな映画でこれがよく出来ていた。この映画は『ぼく明日』と共通する要素も多かったんですが微妙な扱いの違いが面白いところで、未来からの手紙に従うという似たような展開にしてもその行為の意味するところはだいぶ開きがあるような気がする。

どこからその違いが出てくるかというとたぶん現実の把握の仕方にあるんじゃないか。ファンタジックな導入のくせして『Orange』には厳格で揺るぎのないものとして土屋太鳳の目から見た一元的な現実がある一方、『ぼく明日』の方はあっさりと小松菜奈にもう一つの次元の存在を語らせたりする。
『時をかける少女』には醤油屋の息子の「肌に醤油の臭いが染み付いてる」発言があったことを思い出した。少女が時をかける必要があったのは尾道のノスタルジックな風景に支えられた伝統とか慣習がただ一つの不変の現実になってしまって、それが将来や身体性まで束縛していたからじゃないかなど考えたりもする。

ふにゃけた映画だなぁと思っていた『ぼく明日』には最後の最後で物語をひっくり返すギミックがもう一つ用意されていて、これがすごいのはそのようには見せていないという。小松さんとの出会いで福士くんは色んなものを得た。そして別れて数年後、まだ福士くんの存在を知らない少女時代の小松さんに会いに行く。
そこから映画は反転して今までの出来事を今度は小松さん視点で振り返っていく。見る側にしたら全部どうなるかは知ってるので驚きとか一つもないが走馬燈のようなものなので感情を揺さぶってはくる。そしてその先になにがあるかといえば。
アラサー小松さんと5歳の福士くんの出会いの再演を経て福士くんの物語が始まり、かくして映画は冒頭へと回帰するのだった。

これは視点をスイッチすることでエンドレスに続く一種のループものだったというわけで、そのことがまったくオチにならないようなふわふわしたリアリティがなにか不思議な余韻を生んでいたようにおもう。
今っぽい多様なリアリティの在り方が反映されてるんでしょうか。だとするなら小松菜奈が癒し系に見えるというのも誰かにとっての現実なんだろうと実に腑に落ちますね…!

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時間SFといえば一昨年のこれ超おもしろかったですね『ぼく明日』とセットで見たいです死ぬ。

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