こわい映画を見た感想二本立て:『裁き』と『ウィッチ』

夏なのでこわい映画見て感想書くシリーズ。社会派インド映画『裁き』と魔女ホラー『ウィッチ』です。
『ウィッチ』はともかく『裁き』はどこがホラーかって感じですがむしろこれがホラーなんじゃないすか。つまり魔女であれ反体制歌手であれなんであれ、名前なんかどうでもよくて、反乱分子の徴を帯びた何者かを追放することでしか我々の日常生活は成立しないのだと平然と暴露してしまうという点で。
例外なんて一人もいなくて、明日になれば自分にもその番が回ってくるかも知れないと冷酷に言い放ってしまうという点で。

『裁き』

《推定睡眠時間:30分》

いわゆる踊って歌わないインド映画。いや違うな裁かれるのが反体制ご近所シンガーなので歌って踊りますが大規模ミュージカルじゃないつーことですね。
いつものように人もまばらな公園かなんかで歌ってたら突如しょっぴかれてしまった歌手の人。警察の人が言うにはお前が自殺推奨ソング歌ったせいで自殺者が出たので治安なんとか法みたいなやつで逮捕しましたとのこと。
つーことで裁判が始まって、親欧米リベラル派の弁護士、保守的な女性検察官、次から次へと公判が押し寄せる中で苦慮する裁判官などなどが絡み合って現代インド社会のダークネス(雑な表現)があぶり出されていくんであった。

まぁかなり寝ているので詳細不明というのはこういう真面目な映画なので感想を書くに当たって言っておかなければならない気がしたので書いておくがまぁ眠くなる、本当に眠くなる映画だとおもうよ。
もう、とにかく遅々として裁判が進まない淡々とした映画で。あのアメリカ流の裁判映画とかだとわりとどんなものでもピリっとしたところビシっとしたところあると思いますが、そういうエンタメ裁判映画ばかりが裁判映画じゃねぇだろつーんで、まぁ諦念と倦怠が漂う裁判映画だったよね。眠かった。

裁判の結末に関しては触れないが、それも全く一切スッキリする感じがなかったな。所詮は下級裁判所の数多ある公判の一つに過ぎなくて、こんなものは誰にとってもどうでもいい話で、だいたい歌手の逮捕だってなにか巨大な意志とか権力とかあるいは悪意があったわけでもない。仕事だからやっただけ、という身も蓋もない話。
警官も弁護士も検察官も裁判官も仕事だからやっただけ。各々思うところはあるけれど、表面にはあまり出てこない。エンタメつー意味で盛り上がるはずないでしょそんなの。

でもそれが我々の日常じゃんて話ですよね。それが日常だから問題じゃんて話で。だから、裁判が終わってそこが映画が終わるのかなと思ったら、全然関係ないようなどうでもいい日常風景がエピローグ的にダラダラ続く。不条理に思える裁判よりも実はそっちの方が怖くて、強烈。
そのへんの日常感覚は歌って踊って的なメジャーなインド映画に対するアンチテーゼなのかなって思いましたね。マジ眠い映画なんですけど面白かったす。

あと逮捕される歌手の人、公式サイトのあらすじに民謡歌手と書いてあったので穏やかなお爺ちゃんかと思っていましたが実物はマルコムXみたいなアジアジな人でした(か、かっこいい…)。

『ウィッチ』

《推定睡眠時間:20分》

で、『ウィッチ』も裁判から物語が始まるわけです。詳しいことは分からないがー、どうもある一家が神に背いたと、いや事実は分からないけれどもとにかくそういう嫌疑を掛けられて、村落共同体から追放されてしまった。1630年のニューイングランド地方でのこと。
仕方なく村人が近寄らない森の近くで新生活を始める一家。が、ほどなく大事件勃発。赤ん坊が行方不明になってしまった。これはきっと魔女の仕業に違いないてぇことで、徐々に魔女の恐怖が一家を覆っていく。なんか黒山羊生まれたりとかして。

まーダークファンタジーとかいうキャッチはかなり苦しい、これは暗黒(アンチ)コスチューム・プレイという感じで、だから会話劇だったな基本的に。英語わからないなりに聞き取りにくい英語だなぁと思ったら古語。つまり物語りということ。
“売りにくい作品という意見もあったが”とか公式アカウントがツイートしてる意味、見たらよくわかったよな。そうだよな売りにくいよな。めちゃくちゃ渋い映画っすよこれは。

ていうか、魔女映画ってホラー映画の原ジャンルのくせに渋いの多過ぎだ。ロブ・ゾンビの『ロード・オブ・セイラム』とか、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』とか、それから先般亡くなったロメロの『悪魔の儀式』とか…観念的でなんだかよくわからない映画ばかり。
そういうものなのか、魔女。実態のはっきりしない漠然とした自然への恐怖が魔女映画の描く魔女なのか。まぁなんでもいいがとにかくこれは『裁き』同様、眠い。魔女の呪いということにしておく。

おもしろポイント。魔女の初登場シーン、めっちゃ怖い。満月に向かって空を飛ぶのとかめっちゃ怖い絵面。音楽も怖い。暗黒女声コーラスが荒涼とした森に響くの怖い。かなりこわいかったですかなり。
あと面白いなぁと思いましたのは魔女絡みの文献からネタを採集してる映画なので出発点は全然違うんですが、構図としてはロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』みたいな密室ホラーに段々似てくる。

つか、そこで思い当たったのは『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』とゾンビシリーズ第二弾『ゾンビ』を中継する狂人ウィルスパニック映画『ザ・クレイジーズ』が『ウィッチ』と同一の物語構造を持っていたなつーことですね。共同体からの追放、森への逃走、誰が狂人かわからない疑心暗鬼と裁判(検査)。
ロメロという人は『マーティン』で吸血鬼を、『悪魔の儀式』で魔女を、『ナイト・オブ・リビングデッド』でゾンビ(ただし劇中ではそう呼ばれないが)を現代的に解釈して脱神秘化しているから、『ザ・クレイジーズ』も『ウィッチ』的な魔女恐怖を狂気とウィルスとして具象化したのなんだろうと思えばちょっと味わいが増しませんか、なんか。

ロメロの話はどうでもいいか。放逐一家の長女が『スプリット』のアニヤ・テイラー=ジョイ。微妙な違和感の漂う怪しげルックスをフル発揮。この人は『スプリット』でもある種の魔女的ポジションとして生け贄に供されようとしていたが、この映画を受けて『スプリット』出演の運びとなったそうな。
なんか知らんが納得感しかない。『ウィッチ』においてアニヤ・テイラー=ジョイが邪悪視されるのは奔放な想像力でもってホラ話を紡いでしまったからなわけで、阻害されたホラ話の語り部というのは常にシャマラン映画の主役なんである。

シャマランの世間的復活作の『ヴィジット』もあれ、そういえば一種の魔女映画だね。なんか色々繋がるな。あるいは、『ウィッチ』の図式を極端に推し進めればフェミニズム映画の極北にして超絶大傑作の『ザ・ウーマン』に行き着くわけだ。

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追悼ロメロと言いながらアフィリエイトで小銭を稼ごうとする己の業を感じながら貼る『ザ・クレイジーズ』のアマゾンリンクです。映画はおもしろいです皮肉が強くて辛辣で。

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