バトルドキュ映画『ニッポン国VS泉南石綿村』の感想(ネタバレ含)

《推定睡眠時間:0分》

アスベスト被害者たちの国を相手取った集団訴訟に密着したドキュメンタリーなんですけどこれアスベストだけの話じゃないよなぁ、というのは作る側も大いに考えてたんじゃないですかやっぱ。
精度はともかくアスベストによる健康被害の可能性は国外ではわりあい早く戦前から指摘されていた、と信用できないウィキペディアには書いてある。アメリカの大手アスベスト会社ジョンズ・マンビルは70年代よりそのかどで大量の訴訟に曝されて事実上の倒産に至ったとか(その後ウォーレン・バフェット率いるバークシャー・ハサウェイに買収されたらしい)

この分野には真っ暗なのでその以上はどうとか書けないし信憑性もわからない引用も控えるが、映画の中で描かれる裁判の本質(実際のとか、原告一人一人の、という意味ではなく)はそのへんなんだと思った。
少なくともアメリカじゃあ一大メジャー企業がぶっ潰れるくらいアスベストの危険性が周知されてたわけでしょ70年代には、既に。でも日本でアスベスト超やべぇがようやく社会的に認知されたのは2005年のクボタ・ショックというやつ。
その間にアスベストの使用や取り扱いに関する法整備は着実に進んでいたらしいが、工業素材として優秀だから使われ続けたし、健康被害が大っぴらになることもなかったわけだ。

こんなのどうしても別のことを思い浮かべずにはいられないじゃないすか。戦前からの一大石綿供給地だった大阪・泉南の元石綿工場労働者による集団訴訟の動きが出てきたのはクボタ・ショックの直後で、そこから8年に渡る長い裁判闘争が始まるわけですが、その間に日本に何があったかという話で。
映画は石綿訴訟の顛末と原告団一人一人の生活以外のことには一切触れないけれども、あえて触れないことで(だって不自然でしょ、触れないと)そこらへん逆に鋭利な形で浮かび上がってくる気がしたな俺は。

別個の問題じゃないんだと。被害の形はそれぞれ違うけれども底に流れる問題は共通なんだと。どうせ既に報道されてることなので結論から言ってしまうと、完全勝訴とはいかなくとも最終的に原告側が勝訴して国は責任を認める。
けれども原告の「泉南地域の石綿被害と市民の会」代表・柚岡一禎さんの表情はスッキリとしない。というか映画はそこを切り取って強調する。
裁判に勝って国家賠償と担当大臣の謝罪を引き出したところでアスベストだろうが原発だろうがその被害を生んだ日本的社会風土は何も少しも変わりはしなかったんである、ってな感じで。

なにせ4時間弱なので長い映画だったが意外と見やすいサクサク編集、笑いあり怒りあり悲しいありでかつ急展開の連続だから寝る暇がなくて困った。エンターテインメントだ。
その表現はお前失礼だろう、とお怒りになる方もいらっしゃるかもしれませんが、文句ならこういう題材でエンタメっぽく作ってしまった監督の原一男に言ってほしいね…しょうがないだろう、だって面白いんだから…。

二部構成の映画の前半は日常編で、原告の石綿被害者の人たちの生活模様とかインタビューが中心。なんか退屈そうな気もしたがのっけから腹パンチ食らったので退屈どころではなかった。
まずは仲間集めだってことで原告数人と弁護団とか支援者の人たちは隠岐に向かう。なぜ隠岐か。泉南の石綿工場労働者は地方出身者と在日韓国人の人たちが多かった。

映画の冒頭は「泉南地域の石綿被害と市民の会」の結成集会かなんかの映像なのだが、そこで原告の一人が言うのは当時は石綿に助けられた面もあるということだった。
石綿で潤ってた頃の泉南といえばそらもう地方出身者からすれば都会だそうで、とにかくそこに行けば石綿仕事があったし、勤務先によって程度の違いはあったとしても待遇だって悪くはなかった。
戦前から戦後にかけて社会から見捨てられた最底辺の人々の民間救済措置として泉南の石綿工場群が機能していたってわけで、当時の思い出話に花を咲かせる元石綿工場労働者の老婦人たちの場面だけ見ればまるで日本版『ドリーム』の観。

というわけで裁判に向けて隠岐の元工場労働者たちを訪ねるのだが、ドキュメンタリーは嘘をつくのであくまでそういう風な意図を持って編集されているという前提の上で、訪問先の家族の人たちの対応超すげない。
アスベストの健康被害があった人もなかった人も、あったとしても認知していなかった人もいる。石綿工場で働いた過去が美しい思い出になった人もいれば過去を掘り返されたくない人もいると。
なんにしても昔の話で、せっかく平穏な日々を送っていたところに勝手に入って来ないでくれってなわけであった。

うーん、この重層的被害状況搾取構造の凝縮っぷり。まだ始まって10分ぐらいしか経ってないのに。冒頭からこんな飛ばしてるんだからそれは寝てる暇もない。とにかく一つの物事を表からも裏からも横からも上からだってカメラに焼き付けてやろう一つも捨てずに全部強引に詰め込んでやろうって感じだ…。
そこから続く元石綿工場労働者たちのインタビューはさすが関西人な面白しゃべくりで、どの人もキャラ立ってるなーとニヤニヤして見ていると画面が急に静止画になる。で、テロップに享年が出るわけである。

8年の裁判闘争は長い。地裁でも高裁でも原告側の訴えは概ね認められたが、どんなに訴えようが何度訴えようが、その間に政権与党が代わろうがなんだろうが国は控訴の構えを崩さなかったので、ダラダラと訴訟は長引く。
そうしているうちに一人また一人と元石綿工場労働者は亡くなっていくのだった。

二部構成の後半は行動編で、前半を見ているこっちとしてはこんなに人死んでるのになんで控訴して訴訟長引かせるんだ民主党コノヤロー自民党コノヤロー厚生労働省コノヤロー死ねば黙るとでも思ってんのかお前ら死ぬの待ってんじゃねぇのか的に怒り心頭なのであるが、そこから弁護団の穏便方針に業を煮やした柚岡さんの『ゆきゆきて神軍』的直接アクションが始まる。

具体的には弁護団に内緒で、あるいは反対を押し切って、厚生労働省に直接押しかけて当時の担当大臣にアポなし直談判を仕掛けようとするんであった。
闘争戦略を台無しにしかねない柚岡さんのスタンドプレーに他の原告も弁護団も困惑気味だったが、あまりにもあんまりな柚岡さんのたらい回されっぷりを見かねてか、次第に同調して国への怒りを露わにしていく。

この展開は超燃える。けれどもどう受け止めていいのかわからなくなる。なぜなら誠にエンターテインメントとしてよく出来ているから。出来すぎてしまっているから。
要するに、原一男が原告の人たちを感情をぶちまけるよう煽っているように見える。煽っているように見えるし、煽っているように見える自分をあえてフレームの中に入れてるように見える。
なんせ休憩を挟んでの第二部は原一男のキャラ紹介で幕を開けるんである。

俺がこの映画の中で一番好きなシーンは元石綿工場労働者の江城正一さんに原一男がインタビューするところで、江城さんは韓国にルーツを持つ人なのだが原一男は無神経にもこんな質問をぶつける。江城さんは自分を日本人だと思ってますか? それとも韓国人?
そりゃねぇだろと思う。そりゃねぇだろと江城さんも思ったらしいのでアスベスト被害とその質問関係あるのかよ的に軽くキレるわけである。そりゃそうだ。

失礼だったり無様だったり狡猾だったりする、決して中立でも潔白でもあり得ない運動の参加者として、下世話で無責任な観客の共犯者として原一男は映画に混ざってる。
まぁそういうことをされるとやっぱ色々考えてしまいますよね。これ見てる俺なんなんすかねみたいな。これ見て一時的な義憤に燃えてそれで終わりにしちゃっていいんすかみたいな。あるいはこれを単純な裁判記録としてストレートに見ていいのかとか。そういうの、考えたつもりになって安易に消費しちゃっていいのかとか。

だからどう受け止めていいのかわからなくなる。一義的な被害も一面的な被害者も一枚岩の原告団も一辺倒の抵抗戦術もない。勝訴の中には敗訴もあるし、謝罪することによる逆説的な権力の行使もある。
(少なくともカメラの魔力によって)原一男が煽ったと見える原告団の抵抗パフォーマンスに対しては、国がアスベスト被害の責任を認めることの政治的パフォーマンスが対置される。

大臣との会見を阻止すべく原告団の矢面に立たされるはめになった厚生労働省の若手職員二人の表情を見ていると、彼らもまた気の毒な被害者に思えてくる。
勝訴の喜びも束の間、賠償金の分配と賠償の対象外となった原告の一人の忖度から見えてくるのはあらゆる抵抗運動は政治であるし、政治から逃れられる社会的な行為はひとつもないという厳しい現実だ(もちろん映画撮影だって)

そのうえ虚実皮膜のあわいを漂っちゃうんだからもう、まったく重層的な万華鏡のような映画で、でもってエモーショナルなことこの上ないので、なかなか整理が付かずにこうやって感想もダラダラ長くなるわけですが、でもまぁどう受け止めていいかわからない忖度不可能なものを無理に忖度する必要もない。

俺は見て良かったと思いましたよ。見て良かったけどあぁ良かったでは終わらないし、原告団を煽っていくような態度とか隠岐の元石綿工場労働者家族の若干の悪意を感じる切り取り方とかどうなのかと思うし、で、そういう疑問なんかは腹に溜め込まないでちゃんと言っておくことが複雑怪奇で不条理不可解な現実に抗するにはそれなりに必要なんだっていう映画なんだと思いましたね。
アスベストあぶねぇんじゃねぇのっていう疑問をどこかの段階で誰かが大声で言ってたら多少被害減ってたかもしんないわけで。

【ママー!これ買ってー!】


阿賀に生きる [DVD]

巨匠・佐藤真が3年の歳月をかけて撮り上げた水俣病被害者ドキュメント、と書くと肩肘の張り方がすごそうですが中身はハイパーアットホームな田舎生活日記。(撮影カメラの)フィルム切れちゃった! とかスタッフが言って村人と一緒に爆笑したりする。
そのアットホームの中に公害の痕跡が見えるから水俣病がリアルに迫ってくるという映画。

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2 Comments
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匿名さん
匿名さん
2018年6月9日 4:35 PM

気になった映画なので、タイトル検索から訪問して批評を読ませていただきました。長いドキュメンタリーですが観に行きたくなりました。ありがとうございました。