《推定睡眠時間:20分》
それにしても男というかおじさんばかり出てくる映画で女の人なんか一人しか出てこなかったんじゃないかと思うがそんなことはともかくとして観に行ったのは初日舞台挨拶付き上映、といっても舞台挨拶は求めていないどころかむしろ嫌いな方なので(あくまでも映画を観たいから映画館に行っているのであって演者とか有名人の話なんか映画の余韻を壊すだけだと思ってる)狙って行ったわけではなく単館系上映の公開二日目とあってすべての上映回に舞台挨拶が付いていたので仕方がなくなのだが、舞台挨拶のいらない俺とは逆に舞台挨拶だけを観に来ているらしい人たちが映画の終わり近くになって最前列にポツポツ入ってきたから、知らんが主演の人はアイドルかなにからしかった、
アイドルの追っかけならたぶん前の回の舞台挨拶とかにも行ってて既に映画は鑑賞済みということなのかもしれないが、とはいえ映画なんてどうでもいいと言わんばかりに上映終了間際に座席に着くとか良心が咎めないのであろうか……などと思いつつ、でもまぁこの映画なら鑑賞は飛ばして舞台挨拶だけ観たい気持ちもわからないでもないのだった。なんでもぴあフィルムフェスティバルのスカラシップ作品というから監督はおそらく20代とかの若い人だと思うのだが、それにしてはちょっと渋すぎる映画である。
こういう映画はなんと形容すればよいのかな。確たるストーリーがあるわけではなく、一応は奈良に移住してきた青年が町のいろんなところを撮ったりいろんな人に話を聞いたりして最終的に町のZINEを作るみたいなプロットはあるものの、劇映画的な演出は廃されドキュメンタリーのようなシーンも少なくないので、慣れてない人には苦痛しか感じられない映画じゃないだろうか。似たものといえば『嵐電』とか是枝裕和映画、奈良繋がりで河瀨直美映画とかかもしれないが、そうしたアート寄りの作品と比べてもケレン味はかなり少なく、しかもモノクロのスタンダードときた。まぁアート映画として観るのが正しいんだろう。
こちらとしては主演の人も知らないし元からそういう目的で観に行ってるのでなかなか楽しい映画であった。カメラは常にフィックスで奇を衒ったショットなどまるで見られないのだが、これがなんというか抜けの良い画の連続、とくに日本家屋の撮影がスバラシイ。地震が来たら秒で沈むと思われる古風な木造家屋の陰影と空気を見事に捉えて、舞台は現代なのだがそれを見ていると戦後映画を観ているような錯覚に囚われてしまう。冒頭のインタビューでは日時計が出てきて昔はいろんな時間の計り方があった、というようなことが言われるから、観客の時間を揺らがせるというのは作り手の裏テーマだったのかもしれない。デジタル技術によって時間が一つに統合される以前の世界には様々な異なる時間があって、それは豊かさだったんじゃないだろうか……というような問いかけが画面から響いてくるかのようだ。
まぁせかせかしないでたまにはこういう映画をだらりと眺めるのもいいではないですか。テーマ曲はゆるゆると心身を解毒するハワイアン。寝てもいいし最後らへんだけ観てもいいし途中で帰ってもいいかもしれない。これは温泉のような映画だな。温泉に浸かるような映画。映画と観客の関係性を一から作り直す、とまで言えばさすがに大袈裟なのだが、他ではなかなか得られない心地よさがあってよかったです。
※そういえばこれエンドロールがなかったんですけど今の映画でもエンドロール付けなくてオッケーなことあるんだ?