クラシックの世界は大変映画『蜜蜂と遠雷』感想文(悪口あり注意)

投稿日: カテゴリー 居眠り映画館タグ , , ,

《推定睡眠時間:20分》

なぜかと言われても自分でもハッキリとはわからないので答えようがないが俺は松岡茉優という人が苦手で、逃げを打たずに正直に言えば苦手というか嫌いなのだが、その根は深く『桐島、部活やめるってよ』のDVDにまで遡る。DVDです。『桐島、部活やめるってよ』本編じゃなくて『桐島、部活やめるってよ』のDVD特典映像。

その何に嫌いアンテナが反応してしまったかというと舞台挨拶の様子が確かDVDには収められていて、登壇した松岡茉優がそこで感極まって泣いてしまう。でナレーターかプロデューサーが「映画の中では嫌な女を演じきったが、実は本当に心の優しい真面目な茉優さん」みたいなことを言う。
一気に冷めてしまった。映画の外でも嫌な女であってほしかった。これはなかなか理解されにくいところだと思うので説明しておくと俺は沢尻エリカの「別に」事件に快哉を叫んだ人であって、端的に言えばマゾ寄りである。

『桐島、部活やめるってよ』の松岡茉優は素晴らしく嫌な人であった。それが実は良い人で…などというのは悪役レスラーの腰の低い普段の姿を見せられるようなものである。慕っていた冷酷な女王様がちょっとヒールの踏みどころを誤って「大丈夫?」と素で心配してくれた時の落胆と同じである。女王様であるならば! その心配を押し殺してあえて気にしないでいてくれるのが奴隷に対する優しさなのではないですか…! そもそも松岡茉優は女王様ではないし俺は松岡茉優の奴隷ではないのでその喩えは完璧に間違っているのだがニュアンスで理解していただきたい。ニュアンスで。

というところが最初の躓き、人の好悪は一度どっちかの方に躓くとそう簡単には変わってくれないので、以後どんどん苦手だなぁ嫌いだなぁの印象だけが募っていく。たいへん演技の達者な人で俳優としてすばらしいとは思う。理性の方ではまったくもってそう思うのだが『万引き家族』を見ても『蜜蜂と遠雷』を見ても感情の方ではそう思ってくれない。いや演技の巧さは感情でもわかるのだが、それがあざとさとしてとにかくネガティブな方向に転がってしまうのだ。

たぶん、過剰にフェミニンなところが受け付けない。暴論は承知しているが女優の人はみんな沢尻エリカみたいに無愛想になればいいしパンクスみたいにモヒカンとかスキンヘッドにすればいいしムカつくことがあったらアツアツのコーヒーぐらい平然と目の前の相手にぶっかければいいぐらいに思っているんだこっちは。やさしさなんていらない。真面目さもいらない。熱意はあってほしいと思うがその熱意は芝居に対してだけあればいいのであって、要するにだ、俺は、俺は! …俺は女王様を求めているのか? なんなんだこの感想は。

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ていう個人的な趣味嗜好の問題があるのでこれは今一度言っておかなければならないと思うが松岡茉優の演技は今回も素晴らしい、素晴らしいがその素晴らしさゆえに見ていて嫌になるし、助演ならともかく今回主演なのでそれは映画全体にも及んでしまう。
相槌を打つときのたおやかな「うん」とか、浜辺での少女のようなけんけんぱとか、真っ直ぐに前を見据える眼差しだとか、とにかく全部がフェミニンで嫌なのだ。そのフェミニンを許容する映画の空気が嫌なのだ。別に松岡茉優に文句が言いたいわけではなくこれは俺の問題でしかないというのは念を押しておくが、嫌なものは嫌なのだから仕方が無い。そこは理解してもらいたい。

内容。音楽コンクールのお話。松岡茉優はじめピアニストを目指す才能ある人たちがたくさん集まってくる。で敵対したり友情を育んだりしながらピアノを弾く。イイ話ですね。イイ話です。イイ話としか言いようがないお話ではあるがこの透徹した空気の中で躍動する純粋さ、が俺にはやはり耐えられない。あまりにもナイーブ。ポエティックとも言えるかもしれないが俺にはこのポエムは読めない。

たぶんそれは俺の生活実感から離れすぎていて、かといって理想化されたお伽噺の世界からもやはり遠く、あくまで日常の延長線上に置かれたあり得そうな美しい世界だったからだろうと思う。これがもっとデフォルメされていたらまったく別の世界として楽しむことができたかもしれない。でもそうとして楽しむには世界が近すぎる。美しいものがいちばん残酷な色合いを帯びるのは届きそうで届かない位置にある時だ。それは「生活者の音楽」を標榜してコンクールに臨んだ松坂桃李の見事な芝居がよく伝えていたように思う。

端正な画作りと繊細な音遣いはその抑制と一貫性において特筆すべきところかもしれない。俺はそこに魅力を見出すことはできなかった。この場合は届きそうで届かない美しさではなく、誰にでも感性の手が届く無印良品的な美だったからで、身も蓋もなく言ってしまえばウェルメイドなのだ。そのウェルメイドな美を引き受けるのが松岡茉優というわけで、こうして俺にとってはつまらないものとつまらないものが見事にドッキングしてしまい、その上で宙吊りの美しい世界が提示されるという…つまりめっちゃ嫌な映画体験になったんである。

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松坂桃李は良かった。松坂桃李の平凡さがさっさと逃げ出したくなるこの映画の世界に俺を繋ぎ止めてくれた。福島リラもよかった。なにもかもがウェルメイドな世界に福島リラの異貌は小さな風穴を開けてくれた。俺が手で触れることのできる美しさというのはこの歪んだ穴なんである。
まぁ、合う合わないってありますからね。あるんです。今まで色んな映画を観てきたが、それでもやっぱり慣れるということはなくて、絶対に足を踏み入れられない領域もあるってことを再認識させられる、俺にとってはそういう『蜜蜂と遠雷』でありました。

追記:
あえてこういう俺の拒絶感を説明しようとすれば、それは松岡茉優(の役)の少女時代の回想シーンで、彼女が世界に耳を澄ませてそこに音楽を発見する、というシーンによく現れていたように思う。彼女はそこで様々な音を聴く。鳥の鳴き声、沸騰したヤカンの音、したたり落ちる水滴、等々。世界はそれらのシンフォニーなんである。
今ためしに俺も目をつむって世界の音を聴いてみたが、そこにはパソコンのハードディスクの音もあるし、冷蔵庫や照明器具の立てる低いノイズもある、風の音に混じって遠くを走るトラックの走行音もあれば、秋の虫の鳴く音、隣の部屋のオッサンの咳も聞こえる。世界の音楽とはシンフォニックというよりは、そのような猥雑なものではないかと思う。そこから心地の良い音だけを無意識的に拾い上げ、あたかもそれが世界の奏でる音楽であるというような美の欺瞞が、俺にはどうにも嫌らしいものに感じられたのだ。ピアノの映画なんだからノイズとかいらねぇよむしろ意識的に排除してんだよと言われたら返す言葉は一言もないが。

追記2:
最近は『もぎりさん』のショートムービーでもお馴染みの片桐はいりがもぎりならぬ受付嬢で、高潔な異空間にちょっとした生の空気を吹き込んでいて良かった。片桐はいりの顔面ドアップとか、片桐はいりが休憩時間にタバコを吸うだけの場面とかそういうのがあればまただいぶ受ける印象も変わっただろうと思うが、まぁでもそういう映画じゃないすからね…美しいものは美しいままにしておこう。合わないヤツは黙って去るべしだ。全然、黙っていられずぶちまけてしまったが。

追記3:
松岡茉優がピアノを弾きながら森の中の馬をイメージする場面は『ブレードランナー』オマージュの可能性あり。

【ママー!これ買ってー!】


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比べるものでもないかもしれませんがこういうのが好きなんです。こういうのが。

↓原作


蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

500