《推定睡眠時間:20分》
観て思った一番のことはアン・ハサウェイは足が速い。足が長くてストロークが大きいから咄嗟の時の走行距離がなかなかスゴイのだ。そしてアン・ハサウェイが全力ダッシュする映画は他に観たことがない。とすれば、これはアン・ハサウェイの走りを見る映画とさえ言えるかもしれない。恐竜と恐竜時代の巨大生物のたくさん出てくる映画だが、アン・ハサウェイの走りときたらそうした古代生物にまったく引けを取らないものであった。おそらく今後もこういう映画は出てこないだろう、アン・ハサウェイの走りが劇中最大の見せ場になる映画というのは……。
とはいえ一般的には2026年夏の恐竜映画の一本である(もう一本は『プリミティブ・ウォー 恐竜戦争』)。特報の時点では『クローバーフィールド』の仕掛け人J・J・エイブラムス製作の映画で『オークストリートの異変』という謎めいた邦題、何が異変なのかよくわからない映像で好奇心を煽ったが、これは『UMA レイク・プラシッド』が単なる巨大ワニ映画なのに日本版の予告編ではモンスターの正体が隠されていたようなもので、蓋を開けてみれば郊外住宅地がそこだけボヨンと大昔にタイムスリップして恐竜に襲われるという案外無邪気な内容であった。恐竜いっぱいでけぇのいっぱい。人間なんかたくさんムシャムシャ。たのしい。
監督はリチャード・ケリー系統のカルト映画『アンダー・ザ・シルバーレイク』のデヴィッド・ロバート・ミッチェルというクセモノだがこの監督の持ち味らしいところはあまりなく、どちらかといえば製作J・J・エイブラムスのカラーの方が強かったかもしれない。JJの『SUPER8』は8ミリカメラで自主映画を撮ってた少年たちがモノホンのエイリアンに遭遇するというノスタルジックかつスピルバーグ・タッチの牧歌的なジュブナイルSFだったが、『オークストリートの異変』もまた時代設定が1982年であり、ありがちな感じでギクシャクしていた家庭が恐竜サバイバルを通して絆を取り戻すという内容はJJが愛着を寄せる王道のアメリカン・ジュブナイル冒険譚だろう。
デヴィッド・ロバート・ミッチェルらしさを感じるところは序盤の郊外住宅地に住む子供たちの描写であった。寡作なのでそれがこの人の中心的なテーマかと言われるとフルスイングでの首肯はできないのだが、過去作の『アンダー・ザ・シルバーレイク』や『イット・フォローズ』などを見るに若者たちの生々しく複雑怪奇に揺れる心というのがどうもデヴィッド・ロバート・ミッチェル作品を少なからず特徴付けているところで、この『オークストリートの異変』でも両親の不仲に悩む姉弟の心の揺れを序盤20分+恐竜時代に入ってもまだたっぷり描く。
でもそれが良い方向に機能しているようにはぶっちゃけあんま思えなかった。だってこっちとしては人間が恐竜に襲われるところが見たくて観に行ってるんだから延々と少年少女の揺れる心みたいのを見せられたらいいからさっさと食われろと思っちゃうじゃないの。しかもそれ別に郊外住宅地が恐竜時代にタイムスリップする理由に全然関係ないからね。悩める少年少女が逃げるように入り込んだあやしい雑貨店でいかがわしい謎グッズを買ったところ時空の扉が開いてしまい……とか展開に繋がるお悩み描写ならわかるけど、そういうことではないわけで、となるとそうした描写が展開と有機的に結びつかないから心の中のキッズが心の中のおかあさんに「ねぇ恐竜マダー?」と言い出してしまうのである。
いささかかったるい序盤を乗り越えれば郊外住宅地は死屍累々、たくさんの恐竜時代生物がひ弱な人類を蹂躙して、その光景はまるで恐竜版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』。気付いたら後ろに恐竜等でっけぇ生物が立っていて捕食の危機! というシチュエーションが何度も反復されて普通おめーそんだけデカかったら音で気付くだろとツッコミを入れざるを得ないところはあるが、限られた武器で人類というかアン・ハサウェイ側も決死の抵抗を試みるのでゾンビ映画寄せの恐竜サバイバル映画としてなかなか見応えがあった。家を要塞化して籠城するくせに恐竜が家に入り込もうとしての籠城戦展開がなかったりとか期待のハシゴを外されるところもわりとあるとはいえ。
最後は時間SF展開になるが添え物程度というか辻褄合わせ程度のもので(結果として辻褄が合わなくなっている気がするが)大した意味はないし感動もない、家族仲良しヨカッタネぐらいのもんである。ネタバレになるのであまり詳しくは書けないが同じような展開を見せるアメリカのSF映画に『グランド・ツアー』というのがあって、これは俺の心の一本になっている実に隙のない見事な時間SFなのだが、これのような緻密なストーリー上の仕掛けは『オークストリートの異変』にはないわけで、まぁだから時間SFといってもそういうものを期待する映画ではないということだろう。時間SFとして序盤にもっと伏線を仕込んでおくこともできたと思うがそういうことはやらない。代わりに少年少女の揺れる心を長々とやるので、このへんデヴィッド・ロバート・ミッチェルという監督(兼脚本)の関心と恐竜パニック×時間SFという題材があまりマッチしていなかったのかもしれない。
とそんな感じで言おうと思えばいろいろ言えるところはあるが100分でサクッと終わる夏休みのファミリー向け恐竜パニック映画にそんなことを言うのも野暮だろうと散々書いておいて今更思う。恐竜が人間バクバクして楽しい、そしてアン・ハサウェイは足が速い。映画なんてそれだけで充分ということもあるのだ(あと、恐竜以外にも古代生物たくさん登場というのもポイント)