金のためならモラルも仁義も全部捨てろ映画『グレイ・ミッション』感想文

《推定睡眠時間:0分》

世間の9割はストレス解消の楽しい破壊ムービーとしてこの映画を観るんじゃないかなぁと思うんですが俺はお前ら早く全員死ねと思いながら観てました。主人公は弁護士資格を持つ凄腕の取り立て屋。そのスケールはデカく世界有数の脱税系大富豪みたいな人からすらも借金だの未払い金だのを取り立ててしまうということでそこだけ取れば『ナニワ金融道』っぽい気もするが取り立てのためなら殺人辞さずのスタイルなので自前の傭兵軍団を持っており銃火器を大量に調達し大量虐殺と破壊工作を行うためもはや取り立て人の粋を遙かに超えている。映画の冒頭、主人公はモノローグで語る。私はホワイトとブラックの間……グレーゾーンの住人なのだ……。98分というコンパクトなランタイムの中でトータル100人弱を部下に命じて殺害させている上に建造物破壊や盗聴収賄地雷敷設なども当たり前のように行っているのでグレーゾーンどころかアメリカ刑法で裁かれることになれば懲役800年とかになる完全なドスブラックだろう。

やってることは要するに『ミッション:インポッシブル』みたいなスパイアクションないし『ネイビーシールズ』みたいなコマンドアクションである。主人公は忠実なるコマンド軍団ジェイク・ギレンホールとヘンリー・カヴィルを取り立てターゲットたる世界的大富豪が居城としている島に派遣する。スペイン領と思われるこの島は大富豪が住んでいるといってもプライベート・アイランドではなく普通の民間人も住んでいる一般の島である。警察は大富豪によって買収されていると説明されるが買収されているとしても警官は一応警官である。

ところがこのコマンド軍団この島の畑に巨大落とし穴を勝手に設置し町外れの道路には地雷を勝手に敷設し拠点には大量の銃火器をかき集めRPGまでも備え、そして大富豪から金を取り立てるそのためだけに大富豪の傭兵だけでなく警官を十数人殺害し街中のカフェでも民間人がいる中銃撃を始めて明らかに巻き添え死傷者を出すのだ。いくらリモコン式とはいえそこらへんの地雷なんか子供が遊んでる時に踏んじゃって爆破死亡しちゃったらどう責任を取るというのか。なんという異常者集団なのか。

たとえばこれがスパイ映画や特殊作戦系の映画ならまだ一応そうした暴力の行使もわからないでもない。世界支配や極悪テロを目論む巨悪を倒すためなら多少の巻き添えが出ても街中で銃撃戦をやってしまうというのもいや本当はそれも俺の倫理観ではアウト寄りだがとはいえ一応まぁそれならしょうがない感が出るというものだ。ところがこの映画にはそうした正義が一切ない。主人公の行動動機は徹底して金であり、とにかくただ金が欲しいというそれだけ理由でもう一度繰り返すがトータル80人の人間を警官や民間人も含めて殺すのである。

世界はしょせん金と暴力、金で買えない人間は存在しないし金でどうにかならないことがあったら金のために何人何十人と殺そうが全然容認されるというモラルの終わりきった世界観はガイ・リッチー作品としては珍しくはなく、近作では『キャッシュトラック』『ジェントルメン』がそのような荒廃した世界を描いたものだった。ただ『キャッシュトラック』そうしたモラルの荒廃の冷たさとそれがもたらす無残な死を描いていたし、『ジェントルメン』は金と暴力だけしか持たない空虚な人間たちのまさしくジェントルメンなき群像劇として風刺的な色合いを帯びていたように見えたのに対してこちら『グレイ・ミッション』には金と暴力の世界に対する批判的な視座がまるで欠如してしまっている。

最後は部下に命じて民間人を含む100人弱を殺害した主人公がのうのうとヒーロー面、主要メンバーが死ななかったから「取り立て人レイチェル」シリーズとして続編を10本ぐらい作って金を稼ごうとしている気配である。ピカレスクというジャンルとして理解すべき作品であることはわかるが、それにしてもこういう映画を恥も外聞もなく撮ってしまうとは、ガイ・リッチーは金で魂を売ってしまったのだろうか。近作を見れば愛国アクションみたいなものも2本撮ってるのでそんな気もするし、あるいは最初からこの人に映画作家としての魂などなかったのかもしれないが、あえて言えば少しだけ判断を保留できる余地がある。

主人公が取り立て依頼を受けるというか強引に受けさせる別の金持ちを演じるのはロザムンド・パイクだが、パイクの主演作に『パーフェクト・ケア』という映画があり、これは金を稼ぐために法を悪用して人身売買じみたことを平気で行うカス法定後見人を描いたブラックコメディであり、ブラックコメディであるからにはそこには批評性がある。そのパイクが同じような役柄で今回キャスティングされたことには何か意味があるのかもしれない。ちなみに『パーフェクト・ケア』ではこのカス主人公がラストでしっかり極悪非道な所業の報いを受けて死んでくれていた(死ななかったら許せない映画になっていただろう)

いつも人がザクザク殺されるホラー映画をニコニコしながら観ているのだからガイ・リッチーの暴力映画で人が死ぬのを見て憤るのはダブルスタンダードではないのかと思われるかもしれない。しかし、ホラーというのは人が死ぬ瞬間を怖いものとして見せているのだから、そこには人を殺すのは良くないことであるという前提があるわけである。翻ってガイ・リッチーとかタランティーノ(巻き添え)の映画を観てみれば、その軽薄な殺人シーンから「人を殺すのは良くないこと」というモラルを取り出すのは難しい。スパイアクションやコマンドアクションはそうしたモラルのなき殺人の愉しさを正義のためという偽善によって誤魔化しているわけだが、少なくともそこには「これは誤魔化さないといけない」という作り手の気後れぐらいは見えるものである。でも『グレイ・ミッション』にはそんな気後れはない。しょせん世界は金が全てだし、人をプチプチ殺していくのはとっても楽しいことじゃないか。俺は高貴なる貧乏人なので、そうした青年誌的な露悪性には一切乗りたくはない。

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