君ら何がしたいんだ映画『青くて痛くて脆い』感想文

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《推定睡眠時間:0分》

青くて痛くて脆いお話を撮ろうとしたら映画自体が青くて痛くて脆いかどうかは知らないがしょうもなくなっちゃってどうするの、と思うがこの筋立てならそもそも原作が悪いのかもしれない。こんなのコントにもならないがどうせやるんなら吉本芸人とか出してちゃんとバカみたいにやるべきなのだ。バカみたいなお話はバカみたいに撮るべきであって糞真面目ぶるべきではないのである。

とにかく全体的にしょうもない。とくにやりこともなくなりたい自分もなく傷つき体験を恐れてあんま人と関わらない生き方をしてきた距離感男子の吉沢亮はある日のこと大学の講義でイタい女を発見する。質問いいですか! 質問は後で受けますから…。しかし女は手を下げない。その講義がいったいどんな内容だったのかは講師の「平和の裏には暴力があるんですねぇ」という発言から察するしかないが(どんな講義なんだ)女の癇にさわったらしい。

はい、じゃあ、質問どうぞ。根負けした講師がその女、杉咲花に発言を促すと、杉咲花はその場に居合わせた全員に対して訴えかける。平和の裏に平和があったっていいじゃないですか! みんなが平和を願えば暴力なんかなくても平和になるんじゃないですかっ! 花を鼻で笑う講師。どよめく学生たち。やれやれといった感じで講師が口を開く。あのね、それは理想論です。はい、今日はここまでで~す。

もちろんそこからの展開次第というところもあるのでマイナス方向にはやる気持ちを抑えてとりあえず映画を見続ける。だが、しかし。開始5分のこのシーンで感じた嫌な予感を映画が超えてくることはついぞなかった。何が嫌ってあんまりにも子供騙しである。杉咲花のキャラに対してそう言っているんじゃないんだよ。理想と現実の相克を描くときの現実サイドの描き方が子供騙しなのである。その場面に必要だからというだけの理由で配置された「現実」の薄っぺらさがひたすら子供騙しなのである。

杉咲花は世界平和を実現するためのボランティア・サークル「秘密結社モアイ」というのを立ち上げる。モアイの直接の由来は吉沢亮が来ていた服の模様だが、語源的にはおそらくmore愛とかそういうのだろう。とにかく秘密結社である。楽しそうでいいですね秘密結社。ところが! 別にショッカー的な服を着るわけでもないし神秘主義的な儀式を行うでもないしなにが秘密結社なのかわからない。

これが何故か学内で大ヒット、意識たか~いとか宗教っぽ~いとか陰口を叩かれながらも一流の就活&飲みサーへと急成長していくのだが、そんな風に揶揄されるだけの怪しげビジュアルとか急進思想すら持ち合わせていないのだから、現実も子供騙しなら理想もまた子供騙しのハリボテであった。

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ほんで杉咲花と二人で秘密結社モアイを立ち上げたものの色々あって今は反モアイの急先鋒となっている吉沢亮はモアイをぶっ潰すために友人と行動に出るのですが、いやまったく馬鹿馬鹿しい、どうやって潰すってサークルのイベントにとくに考えもなく潜入して悪い噂集めてツイッターで拡散しようとするんです。その場面と来たらさながら『ミッション・インポッシブル』であったが、こんなに緊張感のないスパイ大作戦もない、たかだか大学の就活サークル相手に潜入も糞もねぇよバカっていう話である。

そんなもん普通にサークル部屋に忍び込んでなんかそれっぽいの盗ってくればいいだけだろ。現にその後、吉沢亮が深夜のサークル部屋に忍び込むという場面がちゃんとあるんである。そもそも忍び込んで何が見つかると思ったのだろう。どうせバカな学生どもだから未成年と飲酒とかデートドラッグ盛って女をハメ撮りとか糞みたいなことをやってるに決まってるんだよ。そんな情報がサークルのイベントとかサークル部屋にありますか? ないでしょう。

本当にサークル潰す気があるんだったらサークルの男子を騙して飲みに連れてって泥酔している間にスマホ奪って内々のグループLINEに侵入するとかモアイの誰々が誰々と付き合ってるらしい的な情報を集めてその話の通りそうな方にアプローチをかけてみるとかバイトが一緒の後輩をスパイとしてモアイに送り込むとかしろよ。最低でも「モアイの○○先輩が女漁るためにバーベキューやってるらしいよ~」「さいて~」とか言ってた生徒たちにはちゃんと詳細に聞くべきだったろ。お前なんでそれすらしないんだ。本気が感じられない。まったく本気が感じられないよ!

どうでもいいんでしょうな。初期モアイの二人がフリースクールのボランティアに行くと不登校のギター少女が登場、「鮫に食われた少女~かわいそうだね~」とかいう謎の歌を披露するがとくにユーモラスに演出するわけでもなく、かといって少女のギター愛が伝わるように撮るわけでもなく、単に謎である。

その少女を学校へ連れ戻そうと担任だかなんだか知らん教師の光石研がやってくるが、怯えるギター少女に光石研は「挑戦しなきゃ! 変わらなきゃ!」と両腕を掴んで迫り、少女が悲鳴を上げて外に逃げ出すと泥だらけになりながらスラッシャー殺人鬼のように追いかけていくのだが、そんな教師はいないしそんなことをする動機がないしそんな状況を放置するフリースクールはないしそんな風に逃げ惑う不登校少女はいない。

二人の間になんらかの確執というか犯罪的な関係(光石研が不登校少女をレイプしようとしたとかな)があるなら少女の怯えも光石研の執着もわからなくもないがそんな事情は一切語られないのでそうではないと解するしかないし、あるいはそのような事情があるなら世界平和を標榜する杉咲花と吉沢亮はなぁなぁで流したりしないでちゃんと事件を明るみに出して少女の魂を救うべきである。しかしそんなこともなくこの大事件はいとも簡単にスルーされてしまうのであった。

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万事そんな調子なのだ。そのシーンに必要だから入れてるだけ。その展開に必要だからやってるだけ。その雰囲気を出したいから作ってるだけ。全体を通して観た時にそうした場当たり的なシーンがどのような意味を持つか、印象を与えるかなど少しも考慮した気配がない。こういうのを子供騙しと言わなかったらなんと言えばいいんだ。お涙頂戴的な感動搾取映画ならまだわかるがそういうわけでもないしな。むしろこんな馬鹿げた映画で社会派を気取ってやがる。客を舐めているとしか思えない。

一応、この映画は二段構え三段構えの青春ミステリーの体で、序盤~中盤の死ぬほど子供騙しなスパイ大作戦も実は吉沢亮の性格の裏表を表現するための仕掛けだったりするのだが、あのスパイ大作戦に実はこんな意味が! とどんでん返されたところでぶっちゃけそんなもんどうでもいいだろうと思う。これもまた子供騙しだ。とりあえずどんでん返せば客は面白がると踏んでいるのだろうが、意味のないどんでんなんか面白いわけがないだろ。たとえば『シックス・センス』のどんでん返しが面白いのはそれが物語の根幹に関わる重大な視点の変更だからである。ある人物がお好み焼きが好きだとして、後から実はそれはウソで本当はもんじゃ焼きの方が好きだった、みたいなことを言われても知らねぇよって話である。

とはいえこの映画の中盤に用意されたどんでん返しはかなり反則気味だとしても視点変更としては大きなものであったから、撮りようによっては面白くなったかもしれない。結局、この感想文に一体何回この言葉が出たでしょう? 子供騙しなのである。場当たり的なのである。雑多な要素を食い散らかしているうちに軸などどこにもなくなってしまった。理想と現実の相克を軸にするならそれでいいし、吉沢亮の葛藤を軸にするならそれもいいが、優先順位を付けずにどっちも握って、しかも二転三転とどんでんをやる。そしてどの論点にも深く切り込まず全てが曖昧なままなんとなくイイ話っぽいムードで終わる。子供騙しにも程がある。

モアイがあーいう事をしていた理由ぐらいモアイの人は話す責任があるんじゃないですか? そこどう思ったんですか、監督の人とか脚本の人とか原作の人は。まぁ原作にはちゃんとあったのを映画版では切っちゃったのかもしれないけどさ。いや参ったよねぇ、それで成立するって思ってるんだもんねぇ。

大学院で社会福祉をやってる柄本佑が初期モアイのボランティア活動を見て「これだと思った!」と興奮気味に語る。意味がわからないよね。この柄本佑がモアイを急成長させつつ企業とパイプ作っていったりするわけですが、社会福祉学びに院行ってる奴が学生ボランティア見て「これだ!」って閃くの? バカなんじゃないですか? なんのために進学したの? そういう映画なんだよ。とにかく全てがそうだったんだよ。子供騙しっていうか、ようするに幼稚だったんだ。

※杉咲花に「気持ち悪っ」と言われて動揺する吉沢亮はダメな人間だ。いや、吉沢亮がダメなのではなく作ってる人がダメなのだ。劇中の吉沢亮の性格からいってこんなもの大興奮シチュエーションでしかないでしょうが。そういうところを逃げずにちゃんと描きなさいよ。私なら家帰って泣きながらオナニーですよ!

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世界平和のための学生ボランティアは素晴らしいことですしそれが就活に繋がるならなおさらいーですねと思いますが目的の達成のためには行動だけでは足りません、ましてや学生なのですから理論や先例を学ぶことは大事です。監督とか脚本家もな。

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