【隙間創作】『人食い階段』のお話

 人食いと言っても実際に食うわけではなく比喩に過ぎないし、そもそも「食う」に類する何らかの出来事の有無も定かではない。その階段は人を食う。今もインターネットの上で増殖と変異を繰り返すテキストの核心はただそれだけだ。
 よくある都市伝説で、どこかの家では階段を降りるときに人が死ぬ。それが何件も積み重なっていつしか人食い階段と呼ばれるように、とコピー&ペーストされた書き手は物語りを始める。始めない時でもテキストのどこかには挿入されている。

 バリエーションはいくつもある。都会が舞台の場合もあれば地方の限界集落の場合もあり、核心は同じでもそれが伝えるところの恐怖の質は少し違ったものになるだろう。都会型の「人食い階段」はおおく団地高層階の非常階段である。一方、田舎型は人的にも、また地理的にも孤絶した古民家の階段である。
 階段から足を滑らせた人物は胸骨を骨折、それに伴い冠動脈を深く損傷し身動きが取れなくなる。誰かが通りかかればいいが幸運は訪れない。助けを呼ぼうにも声がでない。しかし意識だけは明瞭である。

 自分が近いうちに死ぬであろうことを明確に意識しながらもどうすることもできない恐怖。それは都会型の場合にはコミュニティの不在を暗示するものであるし、田舎型の場合には時として村八分の要素も加わって、反対に個人の生命を呑み込むほどのコミュニティの力を暗示する。
 いずれにしても、肝要なのはそれが他者との関わりに根ざした恐怖であって、本質的には他者に溢れた現代社会の中で他者から見捨てられることの恐怖、突如として、呆気なく、あまりにもありふれた、ありふれているだけに仮借なく到来する死に、個人が一切の手助けなく直面せざるを得ない状況の恐怖なのである。学校型の人食い階段はこうした疎外状況を端的に表すバリエーションと言える。

 他ならぬ私の家こそが人食い階段の「生息地」だと私が知ったのはインターネット掲示板の書き込みの中でのことだった。恐怖を感じた。階段に対する恐怖ではなく顔も分からない匿名の群衆に自分の居所が知られることの恐怖だった。たとえその大半が善良な人間だったとしても、悪意を持つ人間が一人でもいないとは限らない。一つの悪意があれば母子二人の静かな生活を脅かすには充分だろう。
 削除要請はすぐに通ったし、発信者情報開示請求も思ったほどの苦労はない、書き込んだ人物とそれを広めた何人かは素直に和解に応じたため法廷闘争に発展することもなかった。インターネットでの発信する側と発信される側の著しい不均衡を考慮すれば大成功と言えるのではないだろうか、とは担当弁護士の弁である。

 ただ、私には何も終わった気がしなかった。一つは今も広大なインターネットのどこかに「生息地」として私の住所が漂っているのではないかということ、その不安。もう一つは人食い階段であった。私はオカルトのたぐいは信じないし、ましてや人食い階段など馬鹿げたものだと理性では理解していても、ひとたび概念として眼前に現われたものには注意を向けないではいられないのが人間だ。私は階段を見た。それが人食い階段だと言われれば、確かにぴったりな形容に感じた。

 階段は十二段、一階の居間から二階の廊下に続くL字型で、一段の高さは二十五センチほど。築六十年を超える木造家屋なら珍しくないかもしれないが、やや高く感じる。勾配のきつさに加えて気になるのは一段の縦幅の狭さで、厳密に測ったわけではないが二十センチに満たないだろう。大人は当然としても、子供でも上るときにはかかとが出て、下りるときにはつま先が出る。これでは少しの不注意で足を踏み外しかねないが、二階廊下側に設置された照明がちょうど階段の最も狭くなる曲がり角に影を作って、あたかも注意を阻害するかのようである。
 発信者情報開示請求を行った一人は人食い階段の「生息地」がこの家であることを別の掲示板で知ったのだという。その書き込みを見つけ出すことはできなかったが、まんざら便所の落書きというわけでもなかったのかもしれない。

 こうしたことは私が以前この家に住んでいた時には気が付かないか、あるいは気が付いていても気にも留めないことだったから、下らない書き込みのせいで神経質になっていたのだとも言えるが、そうと割り切れない現実的な事情もあった。
 私がこの家に戻ったのは母の介護のためだった。本人は必要ないと言い張るが年寄りの強情で、介助なしの一人暮らしは難しい。いつか、仕事を終えて家に戻ると、暗闇に沈んだ浴室に母が倒れていたことがあった。一人で入浴しようとしたところで足を滑らせ、肋骨を折って動けなくなっていたのだった。何時間も自分をそうしたまま、日付が変わろうという頃にようやく家に戻った私を、母はうつ伏せに倒れたまま、何を言うでもなくただ見た。その母の部屋は二階の和室にある。

 こうしたこともあって私は母に一階の部屋に移るよう促した。母は私の指示に何一つ従わない。分かりきったことだが芳しい返事は得られなかった。借家と言っても三十年は住んだ家で、私にはそうでなくても、母にとっては後半生のほとんど全てと言ってもいい。二階の二部屋のうち今は物置になっているもう片方は父の書斎だった部屋だ。父はもういない。母が一階に自室を移せば誰も人食い階段を通って二階に行く用はなくなるだろう。母がこの家で過ごした三十年はそうして死ぬ。人食い階段は人の記憶を食って生きる。

 悪意を感じた。それが施主のものなのか、建築士のものなのか、あるいは建築業者のものなのかは今となってはわからない。しかし、この階段の構造が単に限られた敷地面積を活用するための工夫であるとも思えない。言ってみれば遅効性の殺人なのだ。下手人のいない殺人なのだ。殺人でさえない殺人。なんという悪意だろう。それとも悪意ではないのだろうか? 自宅の階段で苦痛に満ちた孤独な事故死を遂げることが悲劇ではないのだとすれば。

 人食い階段の噂は全国にある。私は今や再び人食い階段に取り憑かれていた。もしこの家以外の「生息地」が特定できれば、建築士なり建築業者なり、人知れぬ殺人者も特定できるかもしれない。掲示板から掲示板へ、ブログからブログへ、SNSからSNSへ。私は探した。熱に浮かされたキータッチの騒音を気にする必要はなかった。どうせ母の耳には届かない。
 緩慢で鈍重な母の足音が聞こえる。人食い階段は翼を折ったカラスに石を投げて喜ぶ残酷な子供のようにいやらしい軋みを上げる。もし人間の悪意が人食い階段を生み出したのだとしたら、それはどのような悪意だろうか。和解に応じた男はこう言った。悪意なんかありません、介護で疲れていただけなんです。

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