幸福の映画『夜明けを信じて。』感想文

《推定睡眠時間:15分》

去年やった『世界から希望が消えたなら。』に続く総裁自伝的神話シリーズかなと思ったらなんと隆法の長男・宏洋がヤング隆法を演じその後宏洋が教団から離脱すると共に反幸福の科学の急先鋒YouTuberに転身したことで教団的黒歴史化し存在自体がなかったことにされてしまった不遇の幸福封印映画『さらば青春、されど青春。』の完全なる歴史修正的リメイク!

あまりにも芸のないそのままリメイクだったのでおそらく信者の人であろう婦人客たちが上映後に「前にも観たよね? なんかこんなのあったよね?」とか言っていた。信者の人にそんな風に言われるとか相当なものだしあと前にやった映画のタイトル信者の人に忘れられとるやないか。せめてタイトルぐらい覚えられろよ。おそらく隆法命名と思われる最近の幸福映画のタイトル(句点が付くのが特徴である。モーニング娘的な? ちなみに隆法の長女・咲也加はモーニング娘に憧れていたらしい)はどれも同じようなものなので俺もこの映画のタイトルを今日観たのに何度も忘れたが…。

それはさておきである。もう本当に、本当にリメイクでしかないので…もちろん隆法役の変更を始めとして相違点はいくつもあるが基本的にはとにかく『さらば青春、されど青春。』、ここでは俺が気付いた相違点を中心に書いていくので映画の大まかな内容を知りたい人は前に書いたあまり参考にならない感想文を読んでもらいたい。『さらば青春、されど青春。』は予告編がYouTubeの幸福チャンネルから(だけ)削除されているし教団の公式サイトからも記述が消えているしソフト化されていない数少ない幸福映画なので概要を把握するのも今となっては一苦労だ。

あとそうだこれは俺がこの映画を観ていていちばんどうなのって思ったところなんですけどたぶん隆法作詞の楽曲が(『さらば青春、されど青春。』ではない)前の幸福映画で使ったやつのリサイクル。もしかしたらリサイクルじゃないのかもしれないですけど曲調が他のと似すぎていて判別不可。唯一強烈なオリジナリティを放っていたのは会社員時代のヤング隆法がニューヨーク支社に転属された時に流れる「ア~イラ~ブニュヨ~ク~」の歌だけだ。

シナリオを使い回しているだけならまだしも曲まで使い回すなんて…そんなことをしてるから信者の人にさえ映画のタイトルを忘れられたりするんだよ。前の幸福映画は信者客席の盛り上がりも結構感じたりしましたけど最近は冷めてるからなー。冷めてるってこともないでしょうけど惰性で来てる感がすごいんだよ。宏洋時代の幸福映画はもっとエンタメに本気だったのでちょっとそこは反省してほしいと思います。

それでオリジナル版とどう違うかっていうとなんか全体的に、教祖の美化が進んだね。俳優がイケメンだしね。これはですね面白いのがですね隆法神話シリーズの前作『世界から希望が消えたなら。』もそうだったんですが、隆法だけじゃなくて隆法周りも美化されてるというか、とくに父親のキャラクターがかなり違う。

『さらば青春、されど青春。』に出てくる隆法の父親(初期の霊言本の出版に協力する)って俗っぽい田舎のお調子者なんですよ。でも『夜明けを信じて。』の隆法パパは子供の頃の隆法にカントとか読み聞かせてるような真面目な教養人。これね、『世界から希望が消えたなら。』の時も思いましたけどちょっと切ないですよね。そんなにまでして自分を良く見せたいのかっていうか。なんかコンプレックス感じるじゃないですか、こんな田舎者の家庭に生まれたくなかったんだーみたいな。俺の主観に過ぎないけどさ。

それで『さらば青春、されど青春。』では隆法の学生時代って基本的に孤独なものとして描かれてたんです。法学部なんだけれども司法試験落ちて、でその理由を俺が現行法の不備を指摘して試験官の心証を悪くしたからだって恨みがましく同期に言う。ハンナ・アーレントをネタにした小論文を書いて教授に出したらマチュアですねって褒められるが内容が難しすぎて(※隆法によれば)軽佻浮薄な同期に頭の良さを()妬まれる。というわけで宏洋演じる隆法は近所の喫茶店で朝から晩まで一人で勉強して不憫に思ったマスターにちょっと優しくしてもらったりする。

このリメイク版もまぁリメイクなので喫茶店以外はほぼ同じ展開をやるんですが、リメイク版で追加されたシーンというのがあって、それが官僚とか法曹とか各々の業界で立派に出世した隆法の同期たちがテレビで中継されてる隆法の東京ドーム説法(1991年)を見ながら「あいつも出世したよな~」とか「俺たちの届かない高みに行っちまったな」とか酒の席で穏やかに笑いながら言う場面。隆法の学生時代の同期、なんと隆法と仲良かった設定になってるんですよリメイク版では!

切なくない!? オリジナル版の孤独学生隆法が既に切なかったのにその孤独を消すために過去を幸せ方向に改変したら逆にもっと切なくなっちゃった。オリジナル版の隆法は周囲から理解されない人だったのにリメイク版だとわりと周囲に理解されてるというか、一目置かれているから気軽な友達付き合いはないけれども、嫌われてるってわけじゃない。むしろ好かれてる。

周囲の無理解に晒されながらも孤独な道を往く宗教家像からみんなに愛され望まれて大舞台に上がる宗教家像に変わっていて、なんかね、別にこれが今の隆法の心情がそのまま表われた映画とは思わないけれども、寂しいのかなってちょっと思うよね。金も権力もたくさんあるはずなのに。

最近の幸福実写映画に加わった新要素もわりとそういうことなのかなって気がしたなー。マーベル映画はゴッドファーザー、スタン・リーのカメオ出演が定番になってましたけど、HSUすなわちハッピー・サイエンス・ユニバース映画の近作では隆法が咲也加ほかの子供たちと一緒にカメオ出演する。今回はヤング隆法の父親が入院する病院のいい加減な医者役で、実に楽しそうに演じていたわけですが、俺が観た回のその場面、信者多数と思われる客席の反応ゼロ。

それはちょっと酷くないか。信者ならもうちょっと反応してあげてもいいじゃないねぇ。信者だらけの客席で隆法のコメディ芝居にちゃんと笑ってるのが非信者の俺だけっていう状況はおかしいだろ…なんで俺が隆法の太鼓を持たないといけないんだよ。いや別に太鼓を持ってるわけじゃないけど映画を観に行って作り手とか演じ手がここで笑って欲しいな~って思ってるのが画面から透けて見える場面に出会ったらできるだけ受け取ってやれよ観客なら。

ここも最近の幸福映画が宏洋時代の幸福映画と違うところなんだよな。宏洋時代の信者客はまぁみんながみんなそうというわけではないにしても歌に合わせて手を叩いたり小声で一緒に歌ったり祈りの場面で手を合わせてたりしてたからね。応援上映ですよある意味。ちゃんと映画と信者が一体になってたんです。それがこの映画ともなると隆法本人ご登場の予定調和サプライズに加えて渾身のコメディ芝居を披露してくれているにも関わらずドン滑りだからな。わずか数年のうちに時代も変わったと思ったよ。なんの時代が?

あとですね、流行ってるものには何でも便乗する幸福映画なので今回は気持ち『半沢直樹』的な経済企業ドラマ風味入ってました。会社員時代のヤング隆法が倍返しだと言いたい気持ちを必死でこらえてあくまで正論で上司とか銀行を説得する場面ちらほら。これも会社のシーンでは意地悪上司にいびられてばかりいた『さらば青春、されど青春。』との違いですね。なんかどんどん切なくなってくるな。

映像的には監督が幸福映画マイスター赤羽博ですから端正に撮られているし幸福映画にしては長尺の130分超えであるからドラマもしっかりしていて展開に無理がない(そもそも設定に無理があるとか言わないで)、まぁこんだけ映画たくさん作ってりゃそりゃこなれてくるだろってなもんで、全体的にオリジナル版よりも出来の良いリメイクと言えるが、出来の良さが必ずしも面白さに直結するわけではないというのはこれを観るとよくわかる。

観てる方はよくわかりますが、でも作ってる方っていうか、法の方はあんまりわかってないんだろうなぁ。宏洋は去ったし咲也加(※脚本担当)は父親に忠実だし今もう隆法に正面から意見できる人とか教団にいないだろうから、イエスマンだらけになると娯楽作品はつまらなくなるっていうことの好例かもしれないし、イエスマンに囲まれた権力者の孤独っていうのも感じる映画だったよね。かなしい。

※予算の節約と画のゴージャス化を兼ねて東京ドーム説法ほか幸福イベントの映像をそのまま使うロジャー・コーマンみたいな映画作りがなんかおもしろかった。

【ママー!これ買ってー!】


「さらば青春、されど青春。」オフィシャル・メイキングブック

絶対セットで観た方が面白いと思うが観る手立てがないしそもそもそこまでして観たい映画じゃない。

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Hirosugi
Hirosugi
2020年10月19日 6:18 PM

どっちも観てないし、一生観る気もないけれど、それぞれがどういう映画で、どんな相対関係あるかがよく分かりました。
それだけでなく、教祖が置かれている現状、教団の雰囲気まで伝わってくる、大変秀逸な映画評だなと思います。
これからも身(銭)を切って「絶対観ないけどなんだか気になってしまう」映画を「観ないのに観た気になれてすっきりする」映画評を是非続けて下さい。