【隙間創作】『モルモットゲート』

「でも、気付いたらこうなってたんだよ。サボってなんかいないし、ちゃんと言うとおりにした。大体こいつらが悪いんじゃないか。一緒にしておくとすぐ喧嘩する。何度分けたって元に戻せばまた同じことを繰り返すんだから…」

外資系企業の営業職K・Tはそれが現実に議会の前に現われるまではネット上の悪いジョークか虚勢のたぐいだと考えていた。反動主義者の団体が武装蜂起を画策しているとなれば恐ろしいことではあるが、それは彼の住む現実からあまりにかけ離れたことで、現実のものとして想像することができなかったのだ。金も地位も知恵もない反動主義者連中に一体なにができるだろう? せいぜいネットで妄想を吐き散らかすぐらいではないだろうか? 彼の心配する点は武装蜂起計画そのものというより、虚構の武装蜂起計画を現実の武装蜂起計画と区別できない連中が確かに存在するように思えることにあった。K・Tにとって武装蜂起を計画する者と武装蜂起を信じる者は別の人種だったから、〈ツール〉でその計画がいかに滑稽で馬鹿げたものであるか教えてやれば、知性の足りない憐れむべき反動主義の信者たちもそのうちに理解するだろうと彼は思っていた。反語的な嘲笑も一つの啓蒙だ。「どうやらバッファローマンが議会占拠に向けて動き出したようだな…」現実は逆だったが、武装という点を除けば起こった出来事は概ね言い当てていた。

郊外のスーパーマーケットに勤務する精肉担当S・Eの悩みの種は外国人非正規労働者だった。外国人非正規労働者はひどく使いづらい。勤務開始時間までに着替えを終わらせることはまずないが、そのくせ退勤時間が来ればS・Eの遠回しの非難など聞かずにすぐに帰ってしまう。仕事も雑だし態度も生意気だ、とS・Eは感じていた。それになんだか気味が悪い。自分と同じ職場に勤務する外国人が自分にはわからない言語で笑い話を始めて良い気持ちがする人間はいないだろう。それは当然のことだとS・Eは思ったから、それとなく上司に愚痴をこぼしてみたことがある。上司の反応はS・Eが望んだものではなかった。「気持ちは分かるけど」と上司は形ばかりの理解を示して、「今はそういうの、すぐ炎上するからさ」。あたかもS・Eの方に問題があるかのような冷たい態度に大いに気分を害したから、それ以降〈ツール〉がS・Eの上司代わりになった。今じゃ街はあいつらばかりだ。あいつらが作り上げたわけでもない街にあいつらは後からずけずけ入ってきて我が物顔でフリーライドしてる。恥はないのか? 配慮はないのか? 思いやりや慎みは…。そのうちあいつらが俺たちの仕事を奪うだろう、とS・Eは〈ツール〉に吐き出した。それはすぐに現実となった。

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市議会議員のO・Hにとって左翼は未だ油断のならない敵だった。左翼はガン細胞のようなものでいくら潰しても消えることはない。それはレントゲン写真の影のように曖昧な形でしか目に見えず、人知れず国から国へと勢力を広げていく。O・Hの学生時代は左翼の全盛期だった。その頃にはO・H自身が左翼運動に参加していたこともあるが、歳を取れば熱も消えて、そもそも左翼の思想そのものに傾倒していたわけではなかったから、転向と言われてもピンと来ないほど容易に反対側に鞍替えすることができた。右翼であることは誇らしいことだった。学生時代の彼には自分しか見えていなかったが、今では同胞たちの顔が見える。左翼だった頃には思想と呼べるものはなかったが、今では明確な思想がある。あの頃の彼は一人だったが、今では優しい妻とやんちゃ盛りの子供が三人もいる。彼を右翼へと誘ったのは家族の存在だった。家族を真剣に守ろうと思えば右翼になるのは当然だ、とO・Hは思う。彼からすれば、この国の人々は家族を守る気概に欠けていた。O・Hはそこに左翼を見出した。後先のことなど考えない左翼。自分のことばかりを叫ぶ左翼。家族をバラバラにしようとする左翼。そこにはかつてのO・Hの姿もあった。

O・Hはよく知っている。これは左翼の陣地戦だ。暴力も厭わず一点突破の機動戦と地道に地歩を固める陣地戦、どちらの戦略を採るかで彼ら左翼学生はよく紛糾したものだった。O・Hは深く考えることもなく機動戦こそ革命への道と信じた。しかし現実には機動戦は成功しなかったから、撤退を余儀なくされた左翼が陣地戦――それを支持したのはO・Hに言わせれば理屈ばかりをこねくり回して自らは決して前線に出ようとしない卑怯なインテリ左翼たちだった――に闘争形態を変更したであろうことは想像に難くない。戦争はすでに始まっている。いや、そもそもあの頃から今日まで間断なく、静かに、誰に見られることもなく戦争は続いていたのだ。右翼が平和ボケしている間にも! そして今やこの国は左翼のものとなりつつある…。

公職の立場上、彼も表立っては大きく左翼を批判することができない。議会は隠れ左翼の巣窟だったし、おべっか使いのメディアは左翼の顔色を伺ってばかりいる。彼らがO・Hの批判に応じて動員をかければ一市議会議員を失職へ追い込むなど造作も無いだろう。これほどまでに事態は進行しているにも関わらず彼の知る範囲では誰一人――彼の家族でさえも――左翼の思想支配に関心がないことは、O・Hにとって左翼が陣地戦で勝利を収めつつあることの何よりの証左だった。だから、左翼に汚染されていない情報が手に入る数少ない中立地である〈ツール〉から問いかけの答えが返ってきた時には、O・Hはただ諦観に身を任せることしかできないのだった。

「お尋ねの件ですが、大変残念なことに、貴方様が仰られるようにご息女のお聴きになっている音楽は敵性音楽です。親しみやすいメロディや軽快なリズムは左翼プロパガンダの常套手段、一見して若者の恋愛模様が綴られただけのように見えるその歌詞にはフランクフルト学派の有害な学説が暗号化されて散りばめられています(その昔、あなたがよくお聴きになっていたというスクリッティ・ポリッティと同様です)。すべて貴方様のご想像の通りです。ご息女は残念ながら左翼でしょう」次の日の朝、O・Hは古びた文庫本を片手に朝食を取る娘を目の当たりにした。それはかつての彼が内容もよく理解しないまま何度となく目を通した『共産党宣言』だった。

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「…それに、お父さんだってこれで喧嘩が収まるって言ったじゃないか。喧嘩の衝動は止められないから衝動を吸収するサンドバックを用意するんだって。そうすれば人間同士は争わなくなるんだって。そりゃ確かに人間同士では争わなくなったけど、毎日毎日朝から晩まで自分で自分と喧嘩するようになったらもっと悪いよ!」

Xは父親の威厳を保つべきか、素直に自分の過ちを認めるべきか大いに悩んだ。まさかここまで人間が愚かだなんて…あの店のオヤジも随分いい加減な説明をしたものだ! だが、ペットショップチェーンの雇われ店主の説明を真に受けたXにも非が無いわけではない。〈ツール〉が謳い文句通りに機能しようがしまいが店側としては売れさえすればいいのだし、もし機能しなかった場合でも客はペットを買い換えればいいのだから、損にならないばかりかむしろ得でさえある。Xは思わず苦笑した。そんなことにも気付かなかったのか。これじゃまるで俺自身が〈ツール〉にハマったみたいだ。人間の抱える願望や妄想をそっくりそのままその人間の現実に返す〈ツール〉に。

いや、お父さんも騙されたんだよ、とは言えなかった。代わりにXは大人の財力で失態を誤魔化すことにした。「わかった、この人間はもう狂ってしまったから、今度新しい人間を買ってこよう。飼育箱は何がいい? 会社、お店、これは…議会か。じゃあ次は空港なんかどうだろう。面白いぞ、空港は…」みるみる輝く我が子の表情を見て、もしかしたらこの子はわざと人間を〈ツール〉で狂わせたんじゃないだろうか、とXは思った。だとしたら、有望だ。

A・Qは空港職員ではないが毎日空港にやってくる。そこが真実を伝えるに一番都合の良い場所だったからだ。なにしろ空港には大勢の人がいる。SNSはもはや信用できなかった。それが異星人の〈ツール〉であるとわかった今、真実を伝えるには直接人々に訴えかけるしかない。騙されないで! あなたたちは異星人のSNSに思考を操作されている! 異星人のペットショップで奴隷売買される使い捨てのモルモットになっている! これは恐ろしい陰謀です! さぁ、一緒にモルモットゲートと戦おう!

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