島バケーション映画『燃ゆる女の肖像』感想文

《推定睡眠時間:15分》

あんま関心の持てない映画だったので身も蓋もなく『君の名前で僕を呼んで』の女版みたいなものだなぁとか思ってしまった。実際似てるし影響あるんじゃないすか。同性愛テーマは言うまでもないとして劇伴が極端に少ないところとか、その代わりに自然音を強調するところとか、一種のバケーションものであるところとか、バケーション後の別れが痛切に描かれるところとか、あと神話を象徴的に取り入れてるところも同じ。

同性愛というものの柔軟な捉え方も共通すると思うんですよね。生まれながらの性向だからっていう感じじゃなくてバケーション的な非日常の中で場と空気を共有しているうちに自然と親密になっていくみたいな。「燃ゆる女」というのは物語の舞台になる小さな島の儀式というかお祭りというか、抑圧された女たちが自分を解放するための魔女集会みたいなのがあって、そこで主人公の女画家が肖像画の執筆を依頼された貴族の跡継ぎみたいな女が、主人公を見つめているうちに服に焚き火が燃え移ってしまったという場面を指していて、二人の関係性が非日常性に根ざしたものであることがこのタイトルで示されているわけです。

オルフェウスの冥界下りが引用されるのもそういう理由からで、画家女と貴族女の関係は一時のものであることがあらかじめ決定されているし、二人ともそれを知っているからこそ惹かれ合う。そのうち画家は島を出て日常の秩序の中でつまらない日々に戻る。貴族女の方は結婚させられて跡継ぎ男子を産め産め圧力を食らいつつ秩序の塊みたいな社交界で息苦しい日々を送る。そこは男の支配する世界で、なにはともあれ日常と秩序の維持はよいことだと信じて疑わぬバカな男どもの目には、二人が束の間味わった非日常と無秩序の幸福は無価値であるばかりでなく犯罪的なものと映ることだろう。18世紀の話だそうですがこれは今もまぁまぁそうよね。

その反秩序志向の物語に反してミニマル美学が貫徹する画作りはたいへんな静謐と調和をたたえたもので、一瞬一瞬が永遠のようである(白波立つ海の退色した色合いなど見事なもの)。それが衝動と情熱によって乱れる瞬間、調和の破れ目を見せることが映画の眼目なのだろうが、とにかくこう、さっきから書いていてなんて図式的な映画なんだろうと思う。はい絵解きしてくださ~いみたいな。それはそれで面白いが絵解きにすんなり収まるような情熱の発露というのもちょっと味気ない感じである。

それに画家女と貴族女の会話で提示されるこの映画の絵画論っていうのも乗れないし。描かれた表面の奥には秘められたドラマや感情があるんです的なやつですけどなくていいよって思うもんそんなの。でもこのあたりはもう完全に趣味の話なので乗れる人は乗れるだろう。そういう映画なんじゃないすか。知りませんが。

【ママー!これ買ってー!】


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人気あるなー、『君僕』。

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