23区西部成分に吐血映画『劇場』感想文

《推定ながら見時間:80分(アマプラ鑑賞)》

又吉直樹の映画化された前作『火花』を映画館に観に行った時のことは鮮明に覚えているし今後も一生忘れないだろうと思われるのはその日強烈な頭痛を堪えながら『火花』を観て家に帰っても一向に治まらない頭痛を(なぜか…)牛乳をしこたま飲んで鎮めようとしたら入眠と同時に咽頭が塞がり息を詰まらせて目が覚めたからであった。なんだかしらんが死んでしまう! 病院の夜間救急外来なんて使うのは初めてだったがとにかく酷い、頭痛は蛍光灯の光を見ただけで悪化するしほどだしスマホ画面なんか見るとめまいがしてぶっ倒れてしまうので訪れたものの、関連しそうな既往歴もなく夜間救急外来でできることといったら頭痛薬を処方するぐらいでしかない。

実は『火花』を観る前に何錠も市販の頭痛薬を飲んでいたのだった。ひとまず薬を渡されはしたもののスマホもPCも見れず「家庭の医学」的なものも持ってないから多少なりとも参考になりそうな情報が得られず、逆に頭痛薬の過剰服用が入眠時の一時的な呼吸困難を招いたのではと直感的に疑った俺は渡された頭痛薬を飲むことができなかった。今思えばこの呼吸困難はおそらく牛乳のアナフィラキシーで(以前より乳製品に軽微なアレルギー反応があったのだ)、頭痛はまた別の要因(おそらくコーヒーの過剰摂取と眼精疲労と睡眠不足の合わせ技などなどではないだろうか)によるものだったが、その当時はそんなことを考える余裕などない。

相談できる友達もなく一緒に居てくれる恋人もなく、寝ながらの窒息孤独死を恐れた俺は夜通し街を歩き回ったのだった。そのときに思ったのは、などと言えば若干の後から創作が入り込んでしまうのだが、東京はどこに行っても建物があってどこに行っても街灯やコンビニの蛍光灯やマンション廊下の常夜灯でずっと明るい。ところがどこに行っても孤独でどこに行っても誰も助けになってくれそうにない。俺が今ここで死んだところで誰も気にせず一日ぐらい道路に放置されたりするんだろうか、などと思うとなんだか明確に現実であるにも関わらずどうしようもなく現実ではない違う世界に迷い込んだような異様な感覚を覚えた。

俺にとっての映画版『火花』はこんなような記憶とパッケージなのである。だから『劇場』が東京の孤独についての映画であったことが映画も終盤に差し掛かって明らかになってくるとそうだよなぁ、東京こうだよなぁ、みたいな感慨があったが、冷静に考えれば俺の場合は東京の孤独の話じゃなくてアレルギーはしっかり把握して体調管理はしっかりしよう的なヘルスケアの話だったので、とくに映画の内容とリンクするところはなかった。

映画のストーリーについては俺はちゃんと観てないので(あれ以来慢性頭痛になりましたが今ではスマホ片手に配信映画をながら観できるほど快復しました)ちゃんとした人のレビューなどを読んでもらえばよろしいかと思います。演技についてもちゃんと観てないのでちゃんとした人のレビューなど読んでもらえばよろしいかと思います。じゃあ何を観ていたというんだ! まぁ、なんか、色とか…音とか…情操教育か。

いや、面白い映画だと思いましたよ。好きな人はすごい好きなんじゃないすか。こういう糞リアリズム系の青春恋愛映画みたいなの。糞リアリズムって別に罵倒してんじゃないすからねそういう批評用語的なものがあるんですちゃんと。社会主義リアリズムと対置される形のいわば目的なきリアリズムというか…これを超解釈して俺は個人の半径五メートルのみを徹底してリアルに描いたものを糞リアリズムと呼んでいるが、まぁとにかくわかるでしょなんとなく、そういう感じ。

シモキタの売れない小劇団の男がよくわからんが包容力のやたら高い女と出会ってさ、そんで糞みたいな共依存的同棲生活を始めるんですよ。まぁ刺さる人には刺さるんでしょうね。役者の人もよかったですよ、山﨑賢人、松岡茉優、伊藤沙莉、寛一郎、浅香航大(個人的にこの人を一番推したい)…いるなぁっていう。あぁこれみんな現実に居るなぁっていう。リアリティすごかったね。あぁすごかった。

すごいからキツイっていうのもある。俺本当に23区西部カルチャーが苦手で高円寺・下北沢・中野あたりは街の景観すらゴチャゴチャしてて嫌っていう始末なので…映画なんかたまに観に行ってもさ、もう本当にずっと逃げ出したくてたまらないんです。関係者とか業界人が客に多いんすよね西部の映画館。どことはあえて言いませんしまぁどこもだいたいそうだから館名を挙げる意味もないんですが、それで映画始まるまで席で待ってると業界の内輪話ばっか聞こえてくるの。どうでもいいよそんなのって思うがまぁそれに関しては勝手に聞いてるこっちが悪い。

始末に負えないのが西部の映画館は監督とかをゲスト登壇させがちというのがあり…しかもやたら客席と距離が近いのでこれがとにかく毎回しんどい。俺ね、映画だけ観たいんですよ。作った人がどういう人でどういうこと考えててとか興味ゼロですよ。ここは強調しておきますけれどもゼロ。完璧にゼロ。なんなら人が作ってなくてもいいです。俺は映画が好きなのであって人が好きなんじゃないんです。だから本当は受付の人もロボットの方がいいし映画館オーナーもしゃしゃり出てくる系の人は正直嫌いです。全員嫌いです。

だけどさ、西部カルチャーって「人」が主役なんです。人で人を集めようとするし、人と人の関係で狭い業界が成り立ってるってところがある。新宿なんかの映画館だったらロビーはわりあい静かなものなのに西部の映画館はとにかく人の交流が多いし映画終わりに映画仲間でそのまま飲み屋直行のパターンもありがち。これは俺には心底耐えがたいもので、えー、だいぶ話が脱線横転しましたが、『劇場』の場合はシモキタ演劇が題材ですからやはり人にスポットライトが当たる。もうね、しんどい。アマプラで観てしんどかったので俺はこれは映画館では観れないと思った。

どうでもいいじゃないですかシモキタ演劇人の一人や二人どう生きようが、どう恋に失敗しようが成功しようが。そんなの好きにやりゃいいじゃんとしか思えないよ。俺は板尾創路が監督した映画版の『火花』は大好きなんです。それはあの映画もある意味これと同じようなことを芸人題材でやっているだけなのだけれども、これと違って脚本はリアルなのにどことなく現実味を欠いていて、誇張とかぎこちなさではなくて虚実皮膜のあわいの中に計算されたシュルレアリスティックなユーモアがあるんです。で、その奇妙な空気の中で弧につままれたようになっていると突然現実が牙を剥いてくる、というような怖さがあって…とてもユニークな映像体験だった。

映画が違えば手法も違って当たり前で、『劇場』の方は一応後半にちょっとした映画的仕掛けがあるとはいえ基本的にはリアリズムの映画だし、だから「人」で物語を綴っていく。人どうでもいい派の俺には結構ずっと苦痛。風景とか撮ればいいのにとか思ってしまうのでそれはもう別の映画を観た方がいいんだろう。そんな映画でもちゃんと二時間超観たんだから偉いよ俺は。大半の時間はながら観ではあったけれども。

あと松岡茉優が苦手っていうのもある。これは松岡茉優の出てる映画を観る度に書いていることですが松岡茉優がスーパーにクレバーで天才的に芝居の上手い人だというのはみなさん言いますし俺も首肯せざるを得ないところなのですが、これも観ているとしんどいんだよ。なんなんだろうなこのしんどさ。俺この人の芝居を観るといつも風俗の人みたいだって思うんですよ。エロいとかそういう意味じゃなくて客がキャラクターに望むイメージを絶対に崩さないような完璧な芝居をするところが風俗みたいだなって思う。俺こういうのダメだ。もっと肩の力抜いて適当に演じればいいのにってなる。しんどいんだ。逆に、これは仕事なんだなって気がして。まぁみんな仕事でやってるわけですが…。

私と私の半径五メートルを仔細に描写すれば純文学ですみたいな感じも苦手だからまぁ全体的に合わなかった、アナフィラキシー級に合わなかったということですつまりは。なんなのかなこういうの。どういうつもりでやってんのかな。又吉直樹のあの風貌だってまるっきり純文学作家的なるもののパロディじゃないですか。もちろん又吉直樹さんは超特大の読書家であるからそんなの百も千も承知でああいう格好をあえてしてるんだと思うし、あえてこういう作品を純文学として提示してると思うんです。

でもその「あえて」に甘えちゃっていいの? それは又吉直樹さんがっていうことじゃなくて文学界とか映画界とかがですよ。純文学っていうのがジャンル化してしまったらそれは純文学って言えるの? というのは小説なんかろくすっぽ読まない俺が言ったら読書界総出で袋叩き間違いなしなのではありますが、この純文学らしさを存分にまとった物語を純文学そのものとして扱うかのような態度は商業的妥協であると同時に文学的退行じゃあありませんか。映画版『火花』が面白かったのも突き詰めればいかにも純文学っぽいことを淡々とやりつつ不意にその純文学性のいかがわしさを暴露するようなところがあったからなのです個人的には。あくまで個人的にはね!

そんな俺でも最後まで(気に食わなくも)面白く観れたということは俳優の人たちの演技であるとかそれを生々しく切り取るカメラワークであるとかセリフの上手さであるとか、結局、トータルで映画としてよくできていたということなのだろうと思う。あとはもう、好みの問題ですから。こういうのがダメな人っていうのは世の中にいる。サイゼリアに行けば五分で見つかる人間の営みなんか映画で別に観たくないっていう人はいる。

でも不思議なもので俺はサイゼリアで他人の話を盗み聞きするのは好きなので、その違いってなんだろうって考えるに、たぶん、これは、サイゼに行けば五分で見つかる人生を仰々しく取り上げすぎなんだろうと思う。他人の人生を観ていて面白いのなんかせいぜい五分か十分じゃないですか。それだけ観りゃ充分じゃないですか。みんな他人の人生に興味がありすぎなんじゃないですか? そんなものより建物とか草木とか交通とか町工場の機械とか観ていた方がよほど面白いのに。

とか言っているから孤独死に怯えて夜の東京を一人でさまようハメになるんだよ! とは一応、わかってはいますがね。あぁ、そうか、永田は俺だ…俺だったよ…。

【ママー!これ買ってー!】


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ろくでもない邦画の観客に理解されないまま板尾創路が映画監督業から退いてしまったら邦画全体の喪失なのでバカな客なんかどうでもいいからよしもとは本気で板尾監督をアート映画市場に出してほしい(どうだ、永田っぽい言い草だろう)

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