初体験ノワール映画『愛のように感じた』感想文(多少ネタバレあり)

《推定睡眠時間:0分》

その綴りではないことは知っているが監督のラストネームがヒットマンというだけあって会話シーンの不穏さときたらとんでもなく直接的な暴力描写などほとんど出てこないが(何を暴力に含めるかでだいぶ変わってくるが)これはもうバイオレンス映画とかノワール映画です。怖いよね~あの男大学生の部屋のシーン! あのむせかえるような精液と暴力の香り! 同じエリザ・ヒットマン監督の『17歳の瞳に映る世界』でも女子高生と絶対にヤリたいマン(バンドマン風)と女子高生コンビの深夜の攻防がただならぬ緊張感を帯びていたがこの人は性にまつわる男女の駆け引きをマカロニ・ウエスタンのガンファイトみたいに描くのです。もはやヤルかヤラれるかではないね。殺るか殺られるかですよ。性こわーい!

こわいけれどもそれを正しい性に対する間違った性としてある種教訓的には捉えないのがこの監督とこの映画の特異なところで、殺るか殺られるかの恐怖に震えるセックス攻防なんかろくなものではないが結局はそれが異性間セックスの本質なんじゃないかと半ば突き放しつつ、その経験を外の目からは評価しようとしない。どれほどろくでもない経験だとしてもそれは個人の経験であって、個人史の中に位置づけて本人が主体的に評価するものなんじゃないか、そうした時に様々な経験や記憶と絡み合うろくでもない経験が「想い出」としての価値を持つことさえあり得るんじゃないか…とその意を勝手に想像すれば、これはなかなか苛烈な映画である。

主人公のおぼこい14歳中学女子はダンス教室の女友達とその遊び相手の男の人と一緒にブルックリンのつまらん浜辺で夏休みを浪費してる人。経験豊富っぽい女友達にあいつのクンニは経験足りねぇなと言われれば翌日には近所のガキ友(男)に昨日クンニされたけど経験が足りなかったねと女友達の言葉をコピペするが自分の方はもちろん経験ない。犬を使って練習(?)しようとしているようなシーンもあるがそれは俺のAV脳が見せた誤読かもしれぬので識者の解説を求む…いやそんなことはいいのだが、とにかくこの人はキスもクンニもセックスも未経験であるがヤってみてぇ欲はあるので女友達の遊び相手の一人である男大学生とコンタクトを取ってみる。

ゆーて女子中学生やろってなもんでこの男大学生は主人公のことなんか相手にしない。これが美しき勇ましき誇らしきニッポン男児であれば寄ってきた女なら間違いなく年齢を問わずヤろうとしたに違いないのでバイオレンス映画ばりにドッキドキにおそろしい14歳女子セックスの旅ではあるが、そういうところはアメリカ男ちゃんとしとるなとか思ってしまう。その代わりめっちゃハードなDVとかしますけどね(日本もDV大国ではあるが)

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ところでヤってみてぇ欲と一口に言ってもその内実はかなり複雑であり単純にお年頃の女の子は性に興味シンシン的なAVドリームではない。一つにはこの14歳おぼこ女子は女友達が好きなのである。恋愛感情的な好きとはまた違うような、くっついて一緒の存在になってしまいたいというような「好き」なのだが、その接続を切り離すのが女友達の遊び相手なのである。女友達は主人公に半ば見せつけるように遊び相手とキスしたりセックスしたりする。そうして失われた絆を取り戻すために主人公は想像の中で女友達と一体化して、それを身体化するために近所のガキ共にやったこともないクンニ経験をコピペで話して、女友達のまた別の遊び友達である男大学生と、女友達がやったようにセックスしようとするのだ。

そういうわけで男大学生に好かれようとする主人公は無意識的に男大学生の家で台所の片付けなんかをやってしまい母親みたいなことしないでいいよ! と男大学生に叱られてしまう。実は主人公の母親は死んでいるのだった。ここから見えてくるのは主人公がそうと意識することなくちょっと年上っぽい女友達に母親代わりを求めた可能性である。とすれば、主人公がセックスの冒険に向かうのはそれを通して失われた母親を自分の中に取り戻すためでもあったと言える。主人公の経験するセックス衝動とその結果の痛みは男-女とか加害-被害の枠組みで捉えきれるものではなく、それは関係の切断の痛みと言うべきものなのだ。あるいはそれを母親の死に何らかの責任を感じている彼女の自傷行為として見ることもできるかもしれない。

パックだかドーランだか知らないが主人公は最初顔を白く塗って画面に現れる。それは母親の死に根を持つ内面の空白を象徴するものでもあるだろうし、子供から大人への移行期間で自分の顔、アイディンティティをイメージすることができない心情を表したものでもあるように思える。殺るか殺られるかのセックス攻防をひととおりくぐり抜けた後、主人公はダンス教室の公演で他のダンサーと同じ無貌の仮面を被って舞台に上がる。これが、セックスの冒険を通したアイデンティティの確立というような紋切り型の単純な成長物語的結末にならないのがこの映画のかなりすばらしいところである。

色々あって主人公はみんなと同じ無貌の仮面を被ることができるようになったわけで、これからはキスもするだろうしセックスもするだろうし後輩に対してクンニ論を一席ぶつこともあるだろうが、それは個人としての成長でありつつも同時に個性の喪失であり、自分の身体を頭の中で他者と切り離すこと、みんな別の身体を持っていると理解すること、女友達や母親と身体を共有することはできないと諦めることでもあるのだ。そのようにしてしか人間は大人になれないというドライな諦観、だからこその逆説的な優しさと楽観。うーん、ハードボイルドですねぇ。

14歳女子の狭すぎる世界を視覚的に表現するアップ多用ブツ切りカットつなぎ多用のドキュメンタリータッチの映像は主人公同様に見てるこっちにも説明を与えてくれないので画面の中で具体的に何が起こっているのかわからない。その不安の中で安らぎを与えてくれるのは誰のものかわからないぐらいアップになった手と手や足と足の触れ合いだが、そのように断片化され接続された身体が終盤になると今度は同じ手法で、別の身体部位を被写体とすることで、一転して身体の断絶をショッキングに印象づけたりするのだからおそろしい。男の「遊び」が無自覚的な暴力に転ずる瞬間なんかも鳥肌ものです。

14歳少女のひと夏の体験がどうのみたいなあらすじを読めばとてもそうは思えないが、観客を挑発して拒絶して撹乱して、安易な理解や同情を寄せ付けずに嫌悪感すら与えて、一人の独立した人間の決して他者には回収されない経験をナマのまま食らわせようとする、そのようにして他者に囲われた生を暴力的に救い出そうとするという…いやまったくこれは強烈な映画だったなー。

【ママー!これ買ってー!】


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あんま関係はないがねっとりとした(男の)暴力を描く映画ということで。

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