組織に属すな一人で戦え映画『母の聖戦』感想文

《推定睡眠時間:0分》

英語タイトルを『市民』というこの映画、東京国際映画祭上映時には仮の直訳タイトルがつけられたがさすがに『市民』では興行が…ということだろうと思われるが一般公開時にはこの邦題『母の聖戦』。メキシコに横行してるらしい営利誘拐の話なので聖戦要素はあんまない気がするが目を惹くタイトルでは確かにあるかもしれない。でもこれやっぱ、『市民』だな。市民の映画だったもん。俺は邦題警察じゃないので別にこの邦題で全然構わないのだが、観終わってから『市民』の英語題がずっしり響く映画であることもまた確かなのだ。

さてこれがどういうお話かというとメキシコのどこかそんな栄えてはいないが寂れているというほどでもないほどほどの地方都市みたいなところで誘拐勃発。ふつう営利誘拐というとお金持ちのガキとかを狙うものな気がするが被害に遭ったのは中流以下の貧しい母子、その娘が何者かに拉致られてお母さんは最初は金策やがては娘奪還に奔走する。はたしてお母さんは娘を取り戻すことはできるのだろうか。

というわけでお母さん誘拐犯とコンタクトを取るのだがそこに現れた誘拐犯は拍子抜け、年端もいかないそこらへんのそうね中学生か高校生ぐらいのガキです。なんだガキなんか、とんでもねぇ教育してんな親はよく躾けとけ。などと昭和粗暴根性論で済む話ではないしこれは最近のガキはなっとらん的な映画ではない。やがて明らかになるのはこの被害者お母さんと直接顔を合わせるいわゆる受け子のガキ、誘拐を実行した組織の末端も末端に過ぎないということだった。

報復が怖いから警察は頼れないし、だいたい頼ったところで日夜殺到する様々な犯罪にパンクしていて貧乏人の誘拐なんかまともに捜査してる余裕がない。自分の命をわざわざ危険に晒したい人はいないから近所の人とかも関わり合いになってくれないし、だいたい助言を求めても諦めろとか逆らわずに金を渡せぐらいしか言ってくれない。お母さんが救いを求めたのは街を武装してパトロールしている軍の小隊であった。案外物わかりの良いその隊長の一存で部隊とお母さんは超法規的捜査を開始、末端の小物をとっ捕まえては拷問して情報を引き出し、拷問しては情報を引き出し、拷問しては…だがいくら末端を引っこ抜いても一向に悪の本丸に辿り着く気配はなく、そこらへんの「市民」である組織の末端構成員の恨みを買うばかり。いったいこの冥府魔道に終わりはあるのだろうか?

万人の万人に対する闘争を終わらせるために云々という社会契約が歴史上実在したのかどうかは知らないが、社会契約以前の世界というものが存在するならそれはこの映画の中のメキシコの地方都市だろう。誘拐から恐喝から暴行から殺人から凶悪度の高い犯罪テンコ盛りの上に経済も麻痺して貧困の蔓延るこの世界では誰もが自分の身を守るために何らかの組織に所属している。警察が頼れればそれがよいし軍隊でもいいかもしれない。ところが警察は明らかな人手不足と資金不足で甚だ頼りなく、お母さんの力になってくれる軍のパトロール隊にしてもしょせんは小隊であり、この人らは犯罪組織を壊滅させるどころかその本丸に切り込む能力すらない。残るはより大きな力を持つ組織、すなわち麻薬やら誘拐やらなんかいろいろ悪いことをやっている大小無数の犯罪組織である。

犯罪組織による様々な犯罪から身を守るために別の犯罪組織に身を寄せてその組織の一員として市井の人々が様々な犯罪を再生産しまた振り出しに戻る悪循環。ひとたび組織に属すれば警察や軍は敵になるから人々は積極的に犯罪捜査や犯罪の掃討に協力しようとしないし、そのことでただでさえ力の無い警察や軍隊はますます力が削がれていき、警察or軍隊にこんな暴力を振るわれた! という被害者意識と敵愾心は人々をますます犯罪組織に近づける。まるでポストアポカリプス世界の人々が様々な部族に属して終わりのない抗争を続けている『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の世界。映画で観る分にはたのしい万人の万人に対する闘争状態とトライバリズムも、現実世界の出来事として観れば悲惨極まりない(これも映画だが)

解釈を一応観る者に委ねている曖昧なラストで何が起きたかといえばぶっちゃけ答えは一つしかないと思うのだが、その意味は多義的かもしれない。この修羅お母さん、確かに一時は軍の一員として拷問現場に顔を出したりしていたが、最終的にはどこにも属さぬ孤独人となり、復縁を望む別居中の夫も拒絶する。そして訪れるのがお母さんが何者かと単身対峙するあのラスト。これは絶望の物語だろうか? 俺はそうは思わなかった。

それが道徳に反するとわかっていても誰もが自分を守るために犯罪的な部族に属すこの世界で、どこにも属さず一人で立つことはそれだけで大きな勇気のいることに違いない。主人公であるお母さんの孤独はだから絶望ではなく崇高を帯びるのだ。なにも望んでそうなったわけではない。周りの誰もがもう娘は生きちゃいないよぐらいな感じで絶望する中で、一人だけ娘の生存と奪還という希望を捨てなかったがために、彼女は単独者になってしまう。万人が万人と闘争し誰一人として社会全体の発展という未来を夢見ることのできない世界で、この孤独お母さんは希望を体現するものとなっていく。

ちょっとばかりの希望で世の中が良い方向に変わるのなら世の中こんな無希望人で溢れてないってわけでその結末は苦い。けれどもそれは同時に、こんな世界でも希望がまったくないわけではないことも感じさせて、そして「市民」の誰もが持とうと思えば実は希望が持てるものであることも感じさせて、爽やかな後味すら残す。こういう形の救いもあるんだなぁ。いやはやいろいろと勉強にもなる面白い映画でした。

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メキシコ・トライバリズムを捉えた映画の決定版にして事実は小説より野蛮すぎるびっくりドキュメンタリー映画。やはり安易に組織になど属さない方がよさそうでう(たとえ正義の組織でも)。

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