一般人ドキュメンタリー映画『それでも私は Though I’m His Daughter』感想文

《推定睡眠時間:15分》

オウム真理教教祖のという説明の一文は必要だろうかと思うのだが何年何十年経ってからたまたまこの記事を読んで人は麻原彰晃を知らないかもしれないので一応付しておくわけですがその麻原彰晃の三女で教団内ではアーチャリーのホーリーネームで知られた松本麗華の現在を捉えたドキュメンタリー映画が『それでも私は Though I’m His Daughter』。まぁオウム真理教関連とくればコロナ禍最盛期の一夏をオウム研究に費やした人間としては観ないわけにはいかない映画である。

松本麗華という人は基本的にメディアに出ない麻原家の中では例外的に自ら積極的にメディア露出をする人でツイッターアカウントとかもあるのだが、俺の中で松本麗華といえばオウム信者の回想録に出てくるアーチャリーの姿。なぜなら何人もの信者がアーチャリーには意地悪されたみたいなことを書いていたから。逆にアーチャリーには良いことをされたと書いている人は記憶の限りではいない。オウム時代のアーチャリーこと松本麗華はかなりの暴れん坊だったようである。

自称最終解脱者として教団内で絶大なる権力を誇った麻原の娘、生まれながらにして既に解脱しているみたいな設定を付与されているのだからまぁそれも仕方ないよな。おめーは何をしても許されるんだと信じ込まされ実際に自分の言うことなら歳上の信者たちがはいはいと従うわけだから、悪気はなかろうがいろいろ狼藉を働いたことだろう。現在の松本麗華を捉えた映画ゆえそのへんのことは一切触れられおらずなんとなくモヤったので書いてしまったが、まぁ俺の方も悪気はないのでひとつ。

さて松本麗華の現在とはいったいどんなものか。といっても実はこの映画に目新しいものはあまり多く出てこない。映画は松本麗華が自叙伝『止まった時計』を上梓した2015年から始まっていて(冒頭を見逃しているため自信なし)、実は俺はこの本を読んでいないのだが、その頃のこの人のツイッターを見て受けたイメージからとくに大きく逸れたりはしなかった。それはこの映画がいわゆる密着的なスタイルのドキュメンタリーではなくもう少し和やかな、監督と松本麗華の距離が近いフレンドリーな空気感のドキュメンタリーだからで、べつに松本麗華の裏の顔を暴いてやるぞとかそういう感じでは全然ないためであった。

そりゃそうだろう。なんせ今の松本麗華は多少オカルティックな趣味があるだけの単なる一般人であるから暴こうにも暴く裏の顔なんかない。そのうえにオウム時代のことは聞かないスタンスを取っているので(聞いたところで同じ話しか出てこないだろうが)、松本麗華が徐々に父親から距離を取って自分の人生を生きようとしていく過程というか構成は多少興味を惹くが、オウム関連ものとして観るといささかつまらない思いをすることになるのではないだろうか。

単なる一般人として松本麗華を捉えるという試みは作り手としてはある程度アーチャリーとして松本麗華を捉えようとする世間に対する反発もあってのものだろうが、もう地下鉄サリンから今年で30年である。それだけ経てばオウムの記憶も風化するわけで、仮にいま松本麗華のたとえば知人が、この人が麻原彰晃の娘だと知ったところで、へーそうなんですかーぐらいで終わりそうな感じである。この真面目な監督は決してオウム事件を忘れないだろうが、無責任な世間はすっかり忘却しているので、なんだかその意気込みが空回りしている観だ。

とはいえ、劇中で語られる松本麗華の大学入学拒否問題などは当時のオウムバッシングのものすごさを思い出させてくれるもので、映画の中では深掘りされないのだが、それが本当に正しかったのか今改めて検証する機会になるという意味では、まぁまぁ興味深い映画かもしれない。オウム崩壊後に苦労をしたのは松本麗華だけでは当然ないわけで、数々の凶悪事件が明るみに出る以前から強くあったオウム施設近隣住民のオウム出て行け運動は地下鉄サリン事件と麻原逮捕後に激化し、行き場をなくしたオウム信者の集団転居に際して自治体が転居届の受理を拒否する事件もあり、麻原の弁護人を務めることになった弁護士の自宅にまでマスメディアが連日押し寄せて非難するという野蛮っぷり。

そりゃあまぁオウム犯罪のスケールのでかい悪徳っぷりを思えば感情的にはどれも理解できるものだが、といって感情だけでやって良いこととやって悪いことを決めてしまったら世の中だいぶカオスだろう。オウムがきわめて問題のある組織であったことは言うまでもないが、そうだとしても犯罪に手を染めていないオウム信者の人権を蔑ろにする行為が許されるということにはならないし、犯罪に手を染めていた場合でもそれに対する刑罰は私刑ではなく厳格に司法によって定められるべきである。人権を擁護するとか法治国家に生きるというのはそういうことを言うのだと俺としては思う。

一般人な松本麗華の日々をそんなような問題提起として受け止めれば実りある2時間となるんじゃないかと思うが、ただそれはそれとしてテレビのドキュメンタリーとまるで変わらない作りにはもうちょっと映画としてできることはあったんじゃないですかと言いたくはなる。

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