『セルゲイ・ロズニツァ「群衆」ドキュメンタリー3選』感想文

ドキュメンタリーはフィクション映画より観るのが楽なのでいいがこれはその中でも一番楽なノンナレーションノンインタビューノンストーリーのスタイル、しかも三本のうち『国葬』と『粛清裁判』はアーカイブ映像を自由にツギハギしたものなのでほぼBGV。BGVにしては血なまぐさいがどうせ遙か昔の出来事だし好きなところで寝ても全然困ったりしないので疲れを取るために観ることもできて大変よい。

ということで主に寝ながら観た今注目らしいドキュメンタリー監督セルゲイ・ロズニツァの群衆ネタ映画三本感想文。なんかですねタイトルとかですね鋼鉄のハンマーの打撃音が聞こえてきそうな固さですが共産趣味者以外はゆるく観たらいいと思います。ゆるく観てもたのしいえいが。

『国葬』(2019)

《推定睡眠時間:50分》

同志スターリンが死んだっていうんでそれはもう大変ですよあなた。全ソ連を挙げての大騒ぎ。実際にそうだったかどうかは知らないが記録フィルムのみで構成されたこの映画の中ではそういうことになっている。重要なのはその点である。

とにかくね、風景がなくちゃ始まらないんですよ風景がなくちゃ。観念なんかじゃダメなんです。文字情報だってダメなんだ。風景として現実にそこに見えなければいけない。現実にそこに見えるものがホンモノである。こういうのソ連ですよ。ソ連っていうかロシア的なリアリティ。タルコフスキーの『惑星ソラリス』だってそれがニセモノであるか否かっていう論理的に導き出される事実よりも、そこに現に在るっていうことが重視されるじゃないですか。ソラリスの海は主人公の望む失われた故郷の風景を作って、それを主人公はニセモノだと知っていてもホンモノとして受け入れるんです。現にそこに在るわけだから。

っていうわけで偉大なるスターリンさんが死んだら全ソ連人民が悲しんだり驚いたり哀悼の意を示したりしながら街路を埋め尽くしたり戸外に出てボー立ちしなければならないしカメラはそれを正確に撮らなければならない。ヤラセとかヤラセじゃないとかそんなことはどうでもよいのだ。

スターリンが死んだらばその偉大なる死に相応しい風景をソ連は作り出さなければならないし、その風景を作り出すためにソ連は存在すると言ってよい。どんなバカげた夢想も現実の風景として作り上げてしまうという確信がなければそんな何十年もソ連とかいうバカデカ無謀プロジェクト保ちませんよ。なにもカネとか労働とか軍事の話ばかりじゃないんです。

いやぁ、壮観ですなぁ。ソ連人民の顔顔顔顔顔また顔。あまりにもすばらしい。あくまでカメラと編集の赴く限りにおいての話だかどこに行ってもスターリンを追悼するためにソ連人民おる。都市部では文字通り地を埋め尽くしてまるで人間の蝗害だ。こんなのを見せられたら「ソ連行きてー!」ってなっちゃうね。だって人間の凄まじさというものがあるじゃないですか。

アメリカ的価値観の上にとりあえず乗っかりつつも唯一神を信じるわけでもないしかといって人間を信じるわけでもないし白人になりきれずいわゆる東洋人にもなりきれずのどっちつかずのまま人間の力なんかしょせんこれぐらい的なニヒリズムに陥るほかないわれわれ哀れな日本人でありますからこの人間の持つ力、人間が集まることで持つ力への信仰に近い信頼には素直に憧れます。

人民がいればなんでもできる! なんでもできると思い込んでいた同志スターリンなので偉い将校とか片っ端から粛清しちゃって独ソ戦でアホみたいに苦戦した上に甚大な被害を人民にもたらしたりちょっとぐらいの飢饉平気やろとタカをくくって飢饉隠したので甚大な被害を人民にもたらしたりとかしたそうですが、いくら被害が出たとしてもとりあえず人民がいる限り平気です。こんな風に感動的に圧巻な風景さえ作ってしまえばそれが真実になるのですから。

『粛清裁判』(2018)

《推定睡眠時間:50分》

ぜ、全然おもしろくない! 観た順番的には『国葬』よりも前なのだが『国葬』の圧倒的フェスティバル感に比べてなんだこの茶番感は! 悪い組織作って国家転覆を企てたんじゃないか疑惑を食らった知識人層をボリシェヴィキが裁く裁判なので茶番で当たり前なのだが実際にこう茶番を見せられると本当に茶番なのでめっちゃ茶番。全員カンペ読んでるだけみたいな淡泊芝居しかしない(読んでるんだろうか)。裁判の合間合間に差し挟まれる「反革命分子に死を!」の人民デモもなんだかひどく空疎である。

どうせ粛清裁判なんだから裁く側も外の人民デモみたいにエキサイトすればいいのにそれもないからなー。とにかくお仕事感がすごい。粛清裁判っていうか粛々裁判。貶められた知識人たちの最終弁論だけは一応みんな死刑求刑されてるので感情が出たりして迫力が出るが、他はもう本当に…まぁ資料的に興味がある人はおもしろく観られると思いますが。

でもつまらなさすぎたので結局おもしろかったというアクロバット。これは『国葬』にも同じ手法が使われていたが当局カメラが記録しなかった風景、存在しないことになっている現実は、映像として挿入できないのでラストにテロップで出る。

そのテロップが非情である。いったい今まで観てきた茶番裁判はなんだったのかと…いやまぁ茶番なんですがそれは分かってるんですが、でもそっち方向に茶番かーっていうか。あの人民の熱狂(?)もなんだったんやみたいな。落差が強烈なので脱力してしまう。それはあの法廷にいた人たちも同じだったのかもしんないすね。人見せ用の風景を作るためだけに行われる裁判ほど当事者が人間の無力を痛感させられるものはないに違いない。

『アウステルリッツ』(2016)

《推定睡眠時間:5分》

ザクセンハウゼン強制収容所を部分改修したザクセンハウゼン追悼博物館を舞台にした『アウステルリッツ』は記録フィルムを編集しただけの『国葬』『粛清裁判』と違って監督ほかクルーが直に現場に行って撮ってきたもの。カラーはモノクロになっているがカメラに映るのはやたら自撮り棒で不謹慎セルフィーを撮りまくったりもうすぐご飯の時間なのに我慢できなくなって収容所ツアーの途中でパンとか食っちゃう人とかなので紛れもなく現代の映画で、『国葬』『粛清裁判』とは相当に手触りが異なる。被写体の選択が人間よりも建物に寄っているところを除けばフレデリック・ワイズマンの映画によく似ている。

歴史上の悲惨な場所を巡る観光、ダークツーリズムというものがなんでも最近流行ってるそうですが、ザクセンハウゼンはその名所のひとつっぽいので撮影時期が夏ということもあってとにかくわんさか人来ます。大抵の人はとりあえずの感じで来てるっぽいので施設を巡って心を痛めたりとか学びを得たりとかそういうのないっぽい。真面目な人が観たらろくでもないやつらばかりだなぁと憤慨までは行かなくともかなり呆れるんじゃないだろうか。

でもねぇ、そのろくでもない人たちを観てて思いましたよ。これもやっぱ風景よね。ダークツーリズムをすることの意義は人それぞれでしょうが、本来ならあんま人の近づかないような場所に人がたくさんいる風景を作るっていうのは一つの意義なんじゃないですか。だって人のいないザクセンハウゼンを遠くから眺めてもそこで大☆惨☆劇があったなんてよほど情緒も知識も豊かな人じゃないと想像できないじゃないですか。でもそこに人がたくさんいたら現役時代もこんな風に人がたくさんいたんだなーってバカでもわかりますよね。

「働けば自由になる」のナチス嘘標語の掲げられた重々しい門をダークツーリストたちはいともカンタンにスマホでとりあえず記念写真でも撮ったりしながらくぐり抜けて行く。誰も、ということはなかったかもしれないが、最終的にガス室も作られたので大抵の人はいくら働いたところで二度とくぐるこのできなかったその門は今や誰でもゼロ労働で好きにくぐることができる。見ようによっては鎮魂もクソもない犠牲者たちへの愚弄であるが、別の面から見たそれは犠牲者たちが夢想したはずの解放の風景の現出なんじゃないだろうか。ツーリスト個々人の思いはどうであれその風景を現実に作り出すことは一つの慰霊と成り得るのだ。

音、とくに水滴音と扉の開閉音の強調が印象的な映画だったが、いつまでも続く虚しい水滴音は記憶の永遠性を感じさせて、博物館になっても収容所は収容所であることを観客と観光客に叩きつける(かなり増幅して使っているようので実地では気にならない程度の音かもしれないが)。ツーリストの会話がほとんど録られない代わりに足音とドアの開閉音は間断なく鳴り響く。目をつむって音だけ聞けばここにあるのはかつての収容所そのものなんじゃないかと錯覚してしまうほどだが、そんな意識迷子を救うツアーコンダクターと案内人の収容所講釈に目を開くと、ダラダラと完全受動でその後を追いかけるツーリストたちがなんだか囚人のパロディに見えてしまって可笑しい。

ワイズマンも意地の悪いユーモアがそのお勉強風作品群の隠れた眼目といっていいほどだが、このセルゲイ・ロズニツァという監督もアイロニカルなユーモアを随所に仕掛ける人のようで、そうしたところも含めてなんだか気楽で楽観的な映画だった。悲劇の記憶の継承というと重くて難しい話題のようだが、それは継承を情報の伝達として捉えているからで、現実にそこに人がたくさんいる風景をとりあえず作ってしまうことでたくさんの人が犠牲になった悲劇のイメージをなんとなくでも喚起させる…という継承の仕方もあり得るのである。

国家が現実としての群衆風景を作ることで封殺された大衆どもの悲劇があるのなら、大衆どもが現実に作り出す群衆風景が埋葬された悲劇を掘り起こすことだってあるに違いない。フェイクニュースだなんだといって正しい人々が悪い情報に竦み上がっている昨今なので、世の中の真実は決して情報の中にだけあるんじゃないんだよと教えてくれるこういう映画はいーですね。風景だ風景、風景作れ。

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わけわからんことこの上ないカオスなソ連映画ですがスターリンが死にそうになってる時の話なので『国葬』と『粛清裁判』のサブテキストには良さそうっていうか逆に、『国葬』と『粛清裁判』を観た後はこのカオスもわりあい腑に落ちるところがあるんじゃないだろうか。

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2 Comments
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匿名さん
匿名さん
2020年12月5日 6:23 PM

粛清裁判しか見てないんですが、被告の中でも年長?のハゲの教授がちょくちょく半ギレしたり苦笑したりで茶番に付き合ってられねえよ感出てるのが良い感じでした