映画『ボストン市庁舎』感想文っていうか俺のワイズマン論

《推定睡眠時間:20分》

おそらくその図式を作り手の側が明確にシナリオの下地とするようになったのは『ウォッチメン』以降だろうと思うのだが現代のアメコミ・ヒーロー映画は兵士/労働者と指揮官/経営者の対立が物語を動かしていてと冒頭から既にして『ボストン市庁舎』とは何の関係もないダイナミックな閑話休題に入ってしまって自分でも戦慄を禁じ得ないわけだが『ボストン市庁舎』には「私はこう思う」をどんなに的が外れていてもお構いなしに雄弁に物語る市民たちが大量出演しているのでこれはまぁそれに倣ってということでダイナミック閑話休題にしばしお付き合いくださいほらボストンダイナミクスとかもありますし…それは本当に関係ないね。本当に。

で、要するに何が言いたかったかというと、MCU映画とかDC映画ってぶっちゃけコスプレして戦争する映画じゃないですか結局は。諸々の修飾をはぎ取って作品のコアだけ取り出すと。DCだと『スーサイド・スクワッド』なんかはわかりやすいですよね。『スースク』の一作目は監督が元軍人のデヴィッド・エアーでエアーの代表作といえばブラッド・ピット主演の戦車映画『フューリー』ですから戦争映画路線は明白。リブート的な続編は監督のジェームズ・ガンにそうした背景はないですけどまぁやってることは特殊部隊を軍事独裁政権の国に入れてゲリラ支援をしつつ破壊工作をするというものなので完全に戦争映画の作り。

マーベルだと改めて言う必要もあるのかなって思うんですけどキャプテン・アメリカは超人兵士だし『キャプテン・アメリカ』シリーズと『アベンジャーズ』シリーズの中でキャプテン・アメリカと対立するアイアンマンは大企業の経営者なわけじゃないですか。俺は別にアメコミ映画のファンじゃないので意地でもキャップとは略さないんですけどいやそんなことはどうでもいいとして、だからあれは前線で実際に戦う兵士/労働者の論理と会議室の中で兵士を駒として戦略を練る指揮官/経営者の論理がぶつかっているわけで、もちろんほかにも対立の構成要素は色々ありますけれども戦争映画としてアメコミ映画を見ればそこが映画の中心、ドラマの核心になるというのは何か適当なアメリカの戦争映画を頭に浮かべてみれば納得のいくところではないかと思います。

アメリカの戦争映画って兵士と指揮官が喧嘩するんですよ。絶対とまでは言い切れませんけどほとんどのアメリカの戦争映画は「事件は会議室で起きてるんじゃない!」的なやりとりがあって、でその後に指揮官は兵士に学んで作戦を修正して兵士は指揮官の修正された命令にちゃんと従ってみたいな形で喧嘩が収まるっていう流れがあって、喧嘩という言い方がよろしくないのであれば兵士の側からの異議申し立て、対等な立場での討論っていうのがアメリカの軍隊システムを維持してるところがある。というのも逆にこの二者の間にそうしたコミュニケーションが発生しない映画を考えてみると、いちばん象徴的なのは『博士の異常な愛情』ですけどなんか軍隊以外の諸々も巻き込んで破局に向かう。向かいがち。

これは『ランボー』の一作目がどのように決着したかということを考えてもわかりやすいですよね。ベトナムでの上官だったトラウトマン大佐がランボーと話し合うわけですよ。それで田舎町でワンマン戦争をやっていたランボーは矛を収めて投降する。とにかくそういう現場と上層部の対話/対決がアメリカ戦争映画の基礎的なパターンで、これは『スーサイド・スクワッド』二作もきっちり押さえているところなわけですが、えー、それがいったいなぜフレデリック・ワイズマンの最新ドキュメンタリー映画『ボストン市庁舎』の感想のこんなに長い前置きになるかというと! ワイズマン映画って俺ぜんぶそれだと思うんですよね基本は。兵士と指揮官の話。

その見取り図があると4時間半とか長い映画ですけどずいぶんスッキリと整理して見られるんじゃないですか。MCU最新作の『エターナルズ』とかも長くて退屈っていう人もいますけどそういう人はたぶんその見取り図を持ってない。そりゃそうですよ、だって誰もMCUを戦争映画ですって言わないんだもん。いや別に言ってる人は言ってるのかもしれないですけど共通認識にはなってないわけでしょ。

穏当な方に穏当な方に人を傷つけない優しい方に難しい言葉は使わず可能な限りわかりやすくできるだけ万人向けに映画評論家ではなく映画コメンテーターとか映画ナビゲーターとして映画をたのしく人に紹介してみたいなそんなことばかり「映画評論家」連中がやってりゃあお客さんの映画を考える力が育たなくて当たり前ですよ。よくないと思うなそういう風潮は! 戻ったと思ったのに! 一旦はちゃんと『ボストン市庁舎』の話に戻ったと思ったのにほらもう言ったそばからまた脱線してこういうことになるからMCUの本質は戦争映画だってことぐらい言えないような映画ファンも映画評論家もダメだと言ってるんだよそれも関係ないですねはいごめんなさい『ボストン市庁舎』に戻りまーす!

いや、でもせっかくだからもうちょっとだけ迂回しておくと、ワイズマンって軍隊を何度も撮ってるんですよね。この人のドキュメンタリー映画はある組織とかコミュニティ全体を被写体としてそれがどのように機能しているかっていうのを見せていって、とくにキャリア中期以降の作品はそれをアメリカの縮図として提示する。アメリカは戦争の国だから軍隊っていうのはそういう意味で題材にしやすい。ワイズマンの軍隊ドキュメンタリーはその訓練風景がキューブリックの『フルメタル・ジャケット』に影響を与えたと言われる『基礎訓練』が有名どころですけど、『シナイ半島監視団』『軍事演習』『ミサイル』もタイトル見りゃわかりますが軍隊もので、他の取材対象組織に比べれば明らかに数が多いので、軍隊といっても色々あるわけですけれどもワイズマンの軍隊的なものに対する関心がこのことからは伺えるわけです。

でようやく『ボストン市庁舎』の話。ワイズマンの政治題材ドキュメンタリーだと『州議会』があるんでこれもその延長線上の場所特化型の映画かと思ったら、そうじゃなくてまずボストン市庁舎内の日常的な業務風景から始まって、それからどんどん市庁舎の外に被写体を広げていく。広げるっていうか拡散していく感じですね。市役所とその周辺の人たちはこんなお仕事をしてるんですよ道路補修したりゴミ回収したり地域交流会みたいのに職員派遣したり退役軍人会(また軍隊だ!)の集まりに市長が顔出したりしてっていうのを市庁舎の内外を問わず見せていくわけですが、この構成、最初にボストンの指揮官としてのボストン市庁舎とボストン市長を見せて、それから市庁舎の兵士としての職員たちの個々の活動を撮っていって、その間に様々な率直な討論や異議申し立てを差し挟みつつ最後はまたボストン市庁舎とボストン市長のスピーチに戻ってくるっていう編集上の往還が、ここでは例の兵士と指揮官の対話を映画全体で表現してるわけです。

これワイズマンは「機能してる民主主義」とか言ってるしそれで日本のリベラル映画人の人とかがその文脈で取り上げたりしてるみたいですけど、ワイズマンの「機能してる民主主義」って要は軍隊なんですよね。これは『州議会』(ところでこの映画は傑作なのでチャンスがあれば見てほしい。チャンス全然ないんだけど)も同じなんですけど最後にバグパイプを使った警官だか軍隊だかの音楽隊が出てきてその一連の儀礼で映画が終わるっていうのも明らかに軍隊的な秩序を志向している。と見ることは少なくとも一定の妥当性がある(本当は完全にそうだと思ってますが)

それは組織を被写体にする場合であってワイズマンの町ものドキュメンタリー、『パブリック・ハウジング』『メイン州ベルファスト』『ニューヨーク、ジャクソンハイツへようこそ』『インディアナ州モンロヴィア』とかだとそうした明確な志向は編集にもないんですけど、これらの映画でも軍隊的な意味で無駄な人っていうのは出てこない。町って悪い人もいれば遊んでる人もいればホームレスもいれば病気の人も単に暇でぶらぶらしてるだけの人もいてって感じで色んな目的の人が漠然と当然に存在するのが基本形だと思うんですけど、ワイズマンはそういう人は排除するとまでは言わなくともあんまり積極的に追わなくて、ここでも時間を割くのはやっぱり町の秩序を維持するために各々割り当てられた作業を粛々とこなしている、でその中で生じた問題に関して同僚や上司と討論する、いわば町の兵士の日常風景なわけです。

たとえば『メイン州ベルファスト』には福祉作業所で障害を持つ人たちがなんか作ってる風景が出てきますけどその一方でこの人たちの遊んでる風景とか日常生活には立ち入らない。『チチカット・フォーリーズ』『適応と仕事』『聴覚障害』『多重障害』とかがワイズマンが障害を扱った映画群なわけですが、初監督作の『チチカット・フォーリーズ』だけはまだ視点が定まっていなかったのかそうした色は薄いものの(これは医療刑務所の映画なので、刑務所の中にいる人の方がワイズマン映画の中で「自由」にふるまっているというのは皮肉である)『適応と仕事』のタイトルにワイズマンが障害を題材に何を描きたかったかがよく表れていて、障害を持った人が様々な訓練を受けて自立していく過程というのがこれらの作品群ではワイズマンの関心事になる。まぁだから兵士なんですよ結局。

別に悪い意味じゃなくて人種も性別も障害も関係なくアメリカに住んでいる人は全員兵士になれるしそれが理想なんだっていうのがワイズマンの思想で、それは同時に誰もが兵士であるなら指揮官もまた兵士であり、したがってそこらへんの一兵卒でも兵士としてしっかり働いている限りは誰でも次の指揮官になれるというリベラルな視点を含む。まぁここらへんにリベラル映画人なんかはコロっと騙されてなんの留保も付けずにワイズマンをリベラルの守護神だーみたいに扱っちゃうわけですよ。『州議会』のオープニングは州議会に社会科見学に来ていた小学生たちに議員がプチ演説をかますもので、この議員は「君たち一人一人が次の州議会議員なんだ」みたいなことを言う。そんな台詞は定型句だとしても、これを映画の冒頭に持ってきた編集上の意図は言うまでもない。

だからワイズマンの映画を見ていて面白いなぁと思うのはもちろん被写体になる組織やコミュニティの機能であるとか討論であるとか「兵士」たちの個々のお仕事とか兵士育成のプロセスであるとかっていうのもあるんですけど、とにかくそればかり撮るものだから、逆にそこからあぶれた人がカメラに映る瞬間っていうのが非常にスリリングだったり滑稽だったりして面白い。それはたとえば『病院』に出てくるドラッグの過剰摂取で運ばれて回復した後もなんか適当なことをヘラヘラ言って(そして唐突に嘔吐して自分でその光景にびっくりする)若干看護師をイラつかせたりする金のなさそうな兄ちゃんだったり、あるいは終末期医療をテーマにした5時間半の大作『臨死』のベッドから動けなくなった人々だったりする。とくに後者はワイズマンが兵士になる能力のない人をメイン被写体に据えた点でそのフィルモグラフィーに屹立する一本で、これはもう、すごい。魂の記録とはこういうことかという感じで打ちのめされること必至の傑作なのだが、まぁそれはいいとして(どこか権利取ってオールナイト上映してくれ!)

『ボストン市庁舎』で印象深かったのは市長の名言連発なスピーチよりも駐禁切符を切られて聴取室に呼び出されたあんまり兵士になれそうにないダメそうな白人男性がウソかホントかわからないがかなりウソっぽい抗弁をするところだったんだよな。これは確実に悪意を持って切り取られているので本当にダメな人っぽく見えて可笑しいんですけど、でも兵士になれないダメな人にだって言い分はあるんですよね、アメリカでは。どんなに無様でも俺はこう思うっていうのをみんなが主張するし、主張の内容とか真偽よりも主張することで認められるっていうのがある。それはワイズマンにとっての被写体として許容できるかできないかの基本的なラインでもある。

もう一人兵士になれない人が出てきてこの家でも野球帽(レッドソックス?)を着用するファッションセンスがアメリカを強烈に感じさせる白人中年やもめの人は家にネズミが出たっていうんで市に駆除と家の補修を頼んだっぽいんですけど、それで家にやってきた職員の人とカメラに向けて長々と聞いてもいない身の上話を話しまくる。可笑しかったなそこも。切ないんだけど笑っちゃう。職員の人が「玉ねぎとかを外に出しておくとネズミが来るからパックか何かに入れてちゃんと保管庫で保管してください」みたいなことを言うとさ、最近のワイズマン映画ってフィックスが基本だからカメラあんま動かないんですけど、ここだけ戸棚に置いてある玉ねぎにギューっとズームするんですよ。それはズームしてまで撮る必要のある情報か!?

こういうのはちょっと狙った意地悪なユーモアだと思いますねぇ。でそこが良い。軍隊的な無駄のなさっていうのがワイズマン映画の基調なんだけれども、だからこそそこから外れる「無駄な」人の声とかジェスチャー、あるいはささやかな遊びが望外の輝きを帯びる。先に挙げた『適応と仕事』でも二人の盲人の人が廊下で横に並んで突っつき合ったりして遊んでるっていう適応も仕事も全然関係ないしシーンが一番イイんですよ、結局。たしかここでもカメラはズームしてた。

『ボストン市庁舎』はそういう軍隊的には無駄なところと軍隊的な組織の描写がなかなかバランスよくブレンドされていて、基本的にはお仕事の映画だけれどもそこからの逃げ道もちゃんとあるというか、これは最近のワイズマンの作風の変化かなぁと思うところなんですけれど文化行事やプライベートな親睦会なんかの非軍隊的な出来事・繋がりが軍隊的民主主義の土台になるんだみたいな感じで、その異なる領域の接続を試みているようにワイズマン検定3級の俺には見えた。

だから『ボストン市庁舎』(原題”City Hall”)っていうタイトルにも関わらずガンガン市庁舎の外にカメラを出すのだとも言えるわけで、そこには兵士と指揮官の断絶を埋めるだけではなくて、軍隊・仕事と文化・遊びの断絶を埋めようとする意図もあったのかなとか(軍隊的組織や町を題材にした傑作群に比べれば明らかに面白くないが文化題材の映画にもワイズマンは90年代後半から精力的に取り込んでいる。『クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち』『パリ・オペラ座のすべて』『BALLET アメリカン・バレエ・シアターの世界』など)、まぁなんかね、そんな感じで色々考えます。ワイズマンの映画がつまらないっていうことは絶対にないわけですが、そんなわけで今度のワイズマンも4時間半ちゃんとずっと面白いのでした。寝てるけどね!(どうせ寝ても場面大して変わんないから眠かったら気にせず寝ること推奨)

※ところでワイズマンのフィルモグラフィー中もっとも恐ろしい作品は霊長類研究所での動物実験や生体解剖の様子をいつもの淡々とした調子で捉えた『霊長類』だが、この作品ではワイズマン的兵士としての研究員たちのお仕事が描かれるばかりで指揮官に対する異議申し立てや討論の場はほとんど描かれない。上と下のコミュニケーションを欠いた軍隊がどのように機能するか、ということの表現が『霊長類』なのかもしれない。つまりそれは内実はどうあれかなり恐ろしく見えるのである。

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色々権利的に難しかったりとかするのだろうがそれにしても日本国内でのワイズマン作品へのアクセスのしにくさは嘆かわしいばかりだ。こんなもん全作図書館にDVD置いといてほしい。全部見るだけで中学の一学年ぐらいの学びかあるいはそれ以上のものが楽々得られるに違いない。ところでこれは珍しく配信に入ってきたワイズマンのランタイム90分程度の小品ドキュメンタリー。いつものお仕事&討論メインの映画ではなくボクシングジムの映画なので(まんまだ)アクション性が高く、あと編集と音楽のリズムが心地よい。

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さるこ
さるこ
2021年11月17日 4:51 PM

こんにちは。
『ニューヨーク公共図書館』が面白かったので本作も楽しみにしてました。
長いんですが、面白いんです。なんでだろう?貴兄のおっしゃる〝機能する〟人間を見てるのが楽しいのかもしれない。とにかく話せないヤツはここでは生きていけない。そしてアメリカの〝軍隊〟に憧憬みたいなものも感じる。道路を赤くする作業とかとても映画的で美しい。
ウォルシュ市長はアイルランド系ということで、J・F・Kを思ったのですが、お二人ともマサチューセッツ州で議員さん経験されてるのですね。『州議会』、見てみたいです。