実は刺激的で挑発的な映画『アバウトアス・バット・ノット・アバウトアス』感想文

《推定睡眠時間:10分》

例によってポスターがなんかカッコよかったという理由で観に行った映画ではあるものの俺にしては珍しく比較的内容を把握しておりどうやらこれはフィリピンの密室会話劇で同性愛要素が出てくるものらしいとそこまでわかっての劇場到着、もしも何の前情報もなく観に行って全編密室会話劇だったらちょっとえーっとなるがえっへん今回は内容を把握しているからこっちのもんだどんなもんだい、と思われたがもちろんそう都合良くいくはずもなく予想外の展開。二人だけ!? 二人だけなのであった。

密室会話劇で同性愛要素ありと聞いて俺が頭に思い浮かべたのは家族で久しぶりに集まってパーティ的に会食しているところで主人公が同性愛を告白しあれこれ巻き起こるみたいなものだったのだがこの映画、登場人物はゲイの大学教授とその教え子の二人だけなのだ。そりゃまぁ一応ウェイターとか通りかかった知り合いとかは出てくるが物語に絡むことのない記号ないし舞台装飾としてのキャラクターであり、ちゃんとしたセリフがありドラマを構成するのはこの大学教授と教え子の二人だけなのであった。

上映時間91分の二人会話劇。しかも舞台はとくに面白味のないレストランのみ。途中でトラックが突っ込んでくるとか厨房が爆発するとか外で反政府デモが勃発するとかそういう楽しいことは一切ない。しまったこれはいささかハードコアな映画祭向け映画だ……とちょっと観に来たことを後悔しつつまぁでも寝てればいいかとか思っていたのだが、意外や観ているうちになんか面白くなってきた。

こちらもゲイの教え子の方が傷ついた過去の話をし始めたのでまぁた傷ついたゲイのキャラの出てくる映画かぁそういうのもう多すぎて飽きたんだよな~とか野蛮なことを思っていたらそれが罠、というか前振りというか、そこからが本番であって、そんなクリシェ的なゲイキャラと見えたこの教え子の思いがけない相貌が教授との対話の中で露わになってくる、そして画面には基本的に現れないが教授と教え子を繋いでいた第三の男の存在が浮かび上がって……というこれはサスペンスフルなミステリー、まぁたそういうやつか~と思ったクリシェ的なゲイキャラは観客をミスリードするための描写だったわけで、まんまと作り手の手の平で転がされたなぁと舌を巻く。

実際のところこの映画の主題は同性愛にはなく、どちらかといえば世代間ギャップとか、より抽象的には人間の不可解さ、わかっているつもりでも決してわからず、したがっていくらそれを希求しても根本的には分かり合うことのできない他者、それと自己との間にある決定的な断絶を見つめる時の静かな絶望、といったようなものにあるであろうことは、新型コロナ禍に幾度も言及されることからもわかる(2022年公開の映画)。これを同性愛テーマないしジャンルの映画として観ることもできなくはないとしても、正確に読み解こうとすれば、そこに現れるのはむしろ「同性愛映画」というカテゴライズに対する疑義だろう。

同性愛者同士なら異性愛者のようにケンカはしないし同性愛者同士なら異性愛者にはできない自他の壁のない親密な関係を築くことができる。そんな幻想は抱く人は自分は同性愛者の権利のために闘っているのだなんて思っている人の中にさえ(あるいは中にこそ)いるものだが、それは同性愛を特別なものとしてそれ以外の人々から切り離す思考・行為なわけで、善意から生じた逆方向からの差別に他ならない。その意味でアンチ・クィア・シネマであることで同性愛幻想を否定し反差別を標榜しているように見えるこの映画は、クィアと癒やしがイコールで結ばれてしまっているかに見える現代のクィア・シネマ消費動向の中で、なかなか刺激的で挑発的な映画と言えるんじゃないだろうか。

映画というよりは舞台劇のようだし、本番というよりもエチュードのようでもあるが(といっても即興的なところはなく二人の芝居は綿密に組み立てられているのだけれど)、そんなわけでたった二人の密室会話劇にもかかわらずシナリオは緻密(冒頭に置かれたダフトパンクの解散ビデオに対する二人の見解の相違がその後の展開を先取りしているなど作りが細かいのだ)、スリリングでミステリアスでかなり面白かったし、極端にミニマムでありつつも、人間の内奥に深く分け入ろうとすることで、もっとカメラがいろんなものを映す一般的な映画よりもずっと豊かな世界が広がるのが『アバウトアス・バット・ノット・アバウトアス』という映画であった。

この感じ、この面白さ、似ているものといったら1960~70年代の若松孝二関係の密室会話劇とか、安部公房の『人間そっくり』とかですかねぇ。そういえばそういうたぐいの緊張感のある密室会話劇映画って最近やけに減ったな。もしかするとそれは同性愛幻想にも垣間見える他者への興味の喪失と関係しているのかもしれません。他者という決してたどり着けないものに興味を持てない人間にサスペンスフルな会話劇なんか書けないし、陰も陽も予想外もすべて含んだ捉えきれないものとしての他者を受け入れられない人間は、複雑さと≓なその豊かさもまた取り逃すことになるのだから、現代というのは表面的には優しく配慮に溢れているようでいて、そのじつドライで冷たい社会だなぁとかはいはいいつもの愚痴がはじまりましたので感想おしまい!

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