《推定睡眠時間:3分》
お年寄りの介護をするのは大変だからどうせ使わない足とか手とかは切っちゃった方が体重軽くなって介護する人は楽だしそれで介護される側の生活の質も上がるんじゃない? という誠に剣呑なアイデアを使った医療サイコサスペンスなのだが、人に見られないところでそんなロボトミーみたいなことしておそろしいな~と映画サイトのあらすじを読んで思っていたらこの舞台となるデイケア施設では手術合意書まで本人やら家族やらに書かせてまったくオープンに手足切断手術を行っており、しかも施術を行うのはデイケア施設内ではなく総合病院である。
主人公のデイケア施設長は総合病院に勤務する知り合いの外科医に話を持ちかけ二人で病名をでっち上げて施設入居者の切断手術を行うのだが、はたしてそんな無茶振り手術依頼に応じる総合病院の外科医など存在するであろうか。個人クリニックならまだわかるが総合病院となれば基本的に常にとても忙しい(はず)。ちょっと友達の受け持ち患者の手足切りますんでと割けるリソースも手術室の空きもなさそうなものだが、それに加えて病名を捏造しての手術とくれば文書偽造なのであるから発覚したらその人の医師生命は終わりだろう。劇中では賄賂を渡している描写はなかったが、たとえ賄賂をもらったとしてもそんな無駄にリスクの高いことをするメリットが総合病院勤務の外科医にあるだろうか? 総合病院なら記録を隠蔽も難しくすぐバレちゃうし。
だいたい、治療上の必要なく患者の手足を切るとなればこれはたとえ合意があったとしても傷害罪での刑事訴追は免れ得ないだろう。最初の一例はまだ一応はグレーゾーンかもしれない。脳梗塞によって両足と左腕の麻痺したその患者(六平直政がコワモテのイメージを覆す名演)は慢性的な重い床ずれがあったので回復の見込みのない麻痺した両足を切れば床ずれが治るんじゃないかとデイケア施設の院長・染谷将太は判断する。床ずれの治療として麻痺した両足を切断する施術は治療行為に含まれるか否かでいえば基本的に否であろうが、それでも体重を減らせば床ずれも軽症化するとは考えられるので病気と施術の間に因果関係はあるはずだ。
がしかし以降の切断例では病気と施術の間に因果関係は見出しにくく、「患者の生活の質の向上が期待される」とかずいぶんぼんやりした理由で手術が行われるので、それは一般的に考えて医療行為とは認められず傷害罪相当だろう。患者や家族の合意があるといっても傷害罪は非親告罪だからそうした事例があるとわかれば警察の捜査対象であるし、家族はともかく本人の合意の場合、手術を受けるデイケア利用の高齢者は認知症の症候が見られる人も多いので、合意があったと強弁したところで正確に手術の必要性を理解して合意したと判断されることはないかもしれないし、手術もタダではできないわけだから患者側への手術費用の請求は詐欺罪に該当するかもしれない。
ここまで文書偽造、障害、詐欺と3つも犯罪行為が出てきてしまった。ところがこのデイケア施設がマッドサイエンティストな手足切断を行っている事実はやがて週刊誌にすっぱ抜かれ、狂気の沙汰として連日テレビニュースで報道されるにもかかわらず、施設にも院長にも手術を代行した外科医とその勤務先の総合病院にも、どこにも警察の捜査が入らないのである。はぁ? 映画サイトの解説文を読んでいたら原作を書いたのは現役医師とあるのだが、この原作者の人はこれだけの大事をやっても警察からツッコまれないと考えているんだろうか? そりゃまぁお医者さんはあくまでも医療の専門家であって法律には明るくないというケースがあっても何もおかしくはないのだが、これぐらいやっても警察のお咎めなしと考えて日々医療現場で働いているのだとすれば、映画よりもその事実の方がおそろしいような気もするが……。
それはもちろん皮肉にしても、面白いアイデアとか状況を作るために「警察の存在しない世界」を舞台にするというのは幼稚なご都合主義であって、フィクションの作り手として三流と言わざるを得ないんじゃないだろうか。そりゃ警察が完全に存在しないわけじゃないですよ、一応現実の日本が舞台ということになってるしね。でも現実の警察はいくらなんでもここまで鈍足ということはないだろう。警察法には警察官は犯罪の予防に努めなければならないという条文もあるし、傷害罪のような非親告罪がそこに存在すると報道などによって明らかになれば警察は嫌でも捜査に入らなければならない。それがこの映画では無いわけだから「警察の存在しない世界」なんである。
萎えた。嫌なんですよこういうねこれがリアリズムですよみたいな顔してその実ぜんぜん現実的じゃないことをやってる映画。ぜんぜん現実的じゃないのにこれは一見悪趣味に見えますが現実の社会問題を受けての問題提起なんですみたいなやつは特に。俺の中では『さがす』とか『岬の兄妹』とかがこれに入る。べつに介護リソース足りないから高齢者の手足バンバン切っちゃおうよみたいなアイデアがあってもいいしそれは適切に料理すればしっかり問題提起にもなるとは思いますよ。具体的に言えば、この施術が発覚して主人公の院長が逮捕されて、罪を軽くするために法廷であれこれ弁護している内に世間に「でもこのお医者さんの言い分も正論だよね……?」みたいな空気が出てきて、それを知名度アップに利用したい政治家が利用して議員立法で「要介護者医療特別法」みたいな手足の切断を可能にする法案を国会に出すとかね。
でもそういうリアルな思考実験も問題提起もやらないんだもん。そしたらそんなもんはショッキングな題材の提示で社会派を気取る青年誌的な三流の露悪趣味でしかないじゃない。似たような題材の最近の日本映画でいったら『PLAN 75』なんて実にしっかりしてたし巧かったですよ。あれは第一にこれは現代のお話ではなく高齢化による医療負担を減らすために年寄りに安楽死を勧める法律のできた近未来のお話ですという設定にしていたし、その上でそうした法律が成立した世界ではどのようなことがあり得るか思考実験を行っていたわけで、そういうことは別にできないわけじゃないんだから、『廃用身』という映画では単にそれをやらなかったということになる。原作ものだからなんて言い訳にならないよ。そんなもん脚本執筆段階でいくらでも改変なり原作者とのすり合わせなりできるんだから。
こうなってくると黒沢清風の間をたっぷり取った演出スタイルも無駄に気取っているだけのように見えて白けてくる。手足切断によって要介護者の生活の質が上がりましたという前半の展開は具体的な生活の描写が足りないためにまるで説得力がない。要介護者の手足を切るというのは、なんだかんだ美辞麗句を述べたところで結局は介助者や家族といった健常者に都合の良い措置であって、それは主人公の院長・染谷将太が毎日ランニングをしている描写でそれとなく仄めかされているし、要介護者のためと言い訳をしながら最初は慎重だった切断処置がどんどん閉鎖的な組織の中で安易に行われていく過程のおそろしさは本物である。けれども、だからこそその本物を活かすために「現実にこういうことがあったらどうなるか」という思考実験を避けるべきではなかったんじゃないすかね。
これはこの映画だけの話ではないのだが、ショッキングな題材を扱う最近の社会派気取りの邦画には、「警察の存在しない世界」がちょっと多過ぎである。そういうのは『闇金ウシジマ君』とかだけでやってりゃいいんだよ。
原作では一応、回復の見込みがない患者の手足を切る治療法として提唱したうえで、是々非々がある中で事件が…という流れでしたね