石井隆の映画いっぱい観たので感想書いてく(その1)

好きです好きなんです石井隆監督の映画。でも本業の劇画の方とか全然見たことないのでジェネレーションギャップ甚だしい。そういう人の感想だからそういうもんとして受け取るように。

というわけで石井隆です。職人さんです。同じ面子同じテーマ同じ映像をぐるぐる回しながら無言で同じ物語を磨き上げていく山奥の陶芸家みたいな人です。タイトル及びクレジットは必ず同じ斜体フォントです。職人さんです。
早稲田映研出て異端エロ劇画作家やりながらコツコツとロマンポルノとかの性愛もの脚本も書いてたら念願の監督の機会が。それがロマンポルノ打ち切られる時だったの哀愁が既に石井隆のなんたるかをあらかた語ってしまっているので運命からは逃れられない。

だいたい観た気がするのでダラァと感想。最初に監督したやつから90年代屈指の映像スタイリストとして名を馳せるまでの、と書いたところで思わず映像スタイリストの響きの懐かしさに眩暈。

『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)

石井ワールド永遠の結ばれぬカップル、名美と村木もの。横領がバレて逃亡のダメ男の竹中直人(村木)がうっかり人生ドン底の看護婦(名美)を轢いちゃって更に困ったのでそのまま拉致軟禁ついでに強姦とそれを儚げな恋愛映画にしてしまうのでヒドイがいやそもそもこれ恋愛なの感あり、振り返ってみれば石井シナリオに恋愛などあったのかと思わなくもない。ダメ男ドリームなロマンポルノの体裁を取りつつヤリまくりつつも村木はいつまでも名美のはらわたに手を触れることが叶わず…とそんな具合で村木にはいつも名美しかいないが名美には別に誰もいらなかったんで結ばれないんですねパターンが一連の名美と村木ものだった。

この頃はまだロマンとラブの名残りがある気がするが作を重ねる毎に石井男女の距離は拡大。『甘い鞭』(2013)ともなると男女の間に横たわる深淵は近づこうものならヤるかヤられるかどころか殺るか殺られるかの決定的なものになってしまうが、知らず知らずのうちに深淵に引き寄せられ勝手にくたばっていく男どもに対して石井ヒロインはその危険を自覚しながら堕ちていく。
ヒロインが自らの懐に男を招き入れるときにそれが女の自己破壊と存在確認のための自罰的なセックスかそれとも孤独な男の願望を反映したセックスなのかというのは結構、同じようなシナリオだとしても石井隆が脚本書いて監督もする映画と脚本だけ書く『沙耶のいる透視図』(1986)のような映画との違いだと思われる。

ほんでこれはあの雨とかネオンとか廃墟とか水溜まりとか石井隆っぽいケレンいっぱい美学いっぱい。こっからずっとコンビ組む佐々木原保志のたゆたい撮影と竹中直人のいつもの暴走空回り芝居が悲惨なお話を柔らかく滲ませ、孤独で窮屈な都市の間隙をエレメント的なので埋めるみたいな感じなのでなにやらファンタジーです。
空回りとか言ってるが竹中直人、事務所のゴミ箱に捨てられてた(あまりにも石井的)このシナリオ救い上げて映画化を直訴したらしいのですごく偉大。竹中直人がいなければ映画監督石井隆は存在していなかった可能性もあるので足を向けて寝られません。ありがとう竹中直人!

『月下の蘭』(1991)

根津甚八主演のハードボイルド。余貴美子も軽く出てるので監督二作目にして石井映画の顔だいたい出揃う。
例によってヤクザ絡みのトラブルで妻子を失いカップラーメンばかり食うようなベタ荒み中年になってしまった根津甚八がアイドルの追っかけ青年と遭遇。なんやかんやあった末に例によってヤクザに手籠めにされたシャブ堕ちアイドルを救うべくバイクを駆ってヤクザアジトに殴り込んだりするのだった。

あまり覚えてないが比較的陽性の石井映画な記憶あり。あれだな追っかけ青年がさ追っかけ青年が屈託ゼロのアホなんです。こいつのダサファッション及び部屋の背伸びトレンディ感覚は石井映画最大の違和感じゃなかろか。魂の再起をかけてアイドル救出作戦決行の根津甚八となんや目的も前向きなのでそうかこういうボジティブもあるのか石井隆と思う。

でも最後やっぱりネガティブなので石井隆ですよね(そしてこのパターンは『夜がまた来る』で結実するのだった)

※2017/02/09 追記
見直したら全然ポジティブじゃなかったこれは石井隆版『タクシードライバー』(1976)。最近あらぬ方向で話題を呼んだ『沙耶のいる透視図』にもトラヴィスオマージュがあったのでこの当時めっちゃハマっていたらしい…。

『死んでもいい』(1992)

大竹しのぶが名美ですよ大竹しのぶが。あれだよ俺はほら石井劇画の名美のイメージないですからへぇって思うだけですがなんで大竹しのぶが名美やねんっていう人多いんじゃないすか。あの、ふわった感じの…キョドった感じの…ボソった感じの…誰もをイラつかせて憚らない大竹しのぶが!
でもこれは大竹しのぶで超良かったよなと思うのであって隙あり大竹しのぶの弱さ人妻生活感こそこのメソメソしいメロドラマに必要だったんじゃないのというところ。『花と蛇』(2003)の杉本彩はこれが好き過ぎて石井隆に裸とSM撮らせたらしいが杉本彩の『死んでもいい』を想像すると悶絶できておもしろいです。

だいたいタイトルバックからして素晴らしく突然の通り雨、そして大竹しのぶと永瀬正敏の視線が交差し二人が運命の出会いを果たしたその瞬間を何度もスローで反復しつつの「死んでも」…「いい」。完璧に演歌スタイリッシュでヤラれてしまう。
どこぞの若造に長年連れ添った妻を奪われる室田日出男の入魂哀愁パフォーマンスに泣きつつ大竹しのぶの自然体優柔不断にもムカつきながら泣く。喘息発作を堪えつつ死を賭して大竹しのぶを求める永瀬正敏の青臭さにも泣くがそれをほら溝口健二が好きな石井隆らしい長回し多用のやわらか佐々木原撮影でジックリシットリやりますから汚いと思うね。

タイトルにも拘る石井隆なので『死んでもいい』はたぶんダブルミーニングじゃないかと思われ、大竹しのぶと結ばれたら死んでもいいよな冒頭の永瀬正敏の青臭心境でもありもう何も怖くはないから死んでもいいやなラストの大竹しのぶの覚悟も意味すんじゃなかろか。
冒頭にさりげなく配置された永瀬正敏の幼少期の母の記憶とか桟橋で家族の喪失を語る大竹しのぶとか。なにやら失われゆくもののイメージが充満しちあきなおみ『黄昏のビギン』がカーラジオから流れベッドに横たわる大竹しのぶがミレーのオフィーリアを思わせ、とこれは永瀬正敏と大竹しのぶ、ほんでダンナの室田日出男が喪失の恐怖に駆られて互いに食い合うというつまりはタイトル通りに死ぬことについての映画であった。
男どもが相変わらず死を恐れ続けるのに対して自ら死を受け入れ深淵の底まで堕ちきることで失われた母として再生する(または失敗して死ぬ)のが大竹しのぶで石井隆が描き続けるヒロインなんじゃなかろかというわけで、母のイメージは近作で表面化したりしてるが、そのあたり『死んでもいい』で石井隆はなにかに到達した気もすんですねこれが。

最後近くの不思議な地震、石井隆曰く「神さまがもうやめなさいと…」。あの地震ええなと言っていた松本人志が『R100』(2013)において地震ギャグとして引用したというのは最大級にクソどうでもいいトリビア。
プロデューサーからお前の映画抜けねぇよと怒られたことがあると語る石井隆だったがエロ企画映画から調和的な性愛を抜いてなにやら苛烈なエロスとタナトスの絡みを代入、生とかなにかリアルとはなにか的な方向に突き進んでしまうので抜けない指摘のプロデューサーは超正しいと思ふ。抜けねぇよ!

『ヌードの夜』(1993)

再びの村木と名美もので何でも屋の村木が竹中直人、そのワケあり依頼人の名美が余貴美子というだけでも確実に強いがバブル崩れのクズ男が根津甚八その子飼いの狂犬が椎名桔平ヤクザ情婦の怒れるオカマが田口トモロウの最強布陣にスカウター壊れる。『死んでもいい』のブンガク隆から一転のノワール隆。ぶつぶつボヤき続ける竹中直人のツイ廃っぷり余貴美子の泣き虫悪女っぷり椎名桔平の情緒不安定かつ犬には優しいっぷりなどなどがネオンと土砂降りの雨の中に炸裂です。

短い中にその後の出来事の予兆を詰め込んだ密度ミチミチのタイトルバックだった『死んでもいい』ですがこのフラクタル的というかマンダラ的というかあるいは円環的とでも言うべきかな構造はこちらも健在らしいので竹中直人の廃墟じみた事務所を佐々木原カメラが漂うオープニングに事の顛末は既に描かれており、外は雨、無人の室内に竹中直人の留守録メッセージが空しくこだまするというわけであぁもう絶対悲しい結末しかないじゃんこれみたいになる。

ほんでまたこの事務所は東南アジアの出稼ぎ女のタコ部屋だったと後々で竹中直人が語るのですが、場、あるいは場の記憶というものが結局はすべてなのだと言っているような気もしなくもない。その置かれた状況と背景に写るものがキャラクターの運命を決定付けてしまう。雨が降れば必然的に男女が出会う。潰れかけ閑散高級クラブを背負って現れる男は抵抗空しく死んでいく。たった一人廃墟で暮らす村木は決して孤独から抜け出すことが叶わないのだと言えば、石井映画は情の映画なのだ的な向きもあるが愛もなければ情もない冷徹な相貌が露わになるんじゃなかろか。

果たして劇画作家の経歴がそうさせるのかどうかは知らないが同様にしていかに物語の歪みが副作用的に生じようがスタイルを優先させるのはスタイルこそ物語を作るのだというのが石井隆の作劇だからだろうと思われる。脚本の柱に「○ヤクザ事務所(雨)」とでも書いてネオンでも吊り下げておけばそれだけでどんな突飛な悲劇が起ころうが説明はついてるだろみたいな。たっぷり間をとったお馴染みのフラット長回しというのもここでは芝居を追うというより廃墟事務所に歌舞伎町にうらぶれ埠頭にと場を記録し続け、何が起ころうがそのスタイルを崩すことはないのだった。

石井映画は場とスタイルの映画である、という意味でその様式美というか構造主義的アプローチ(?)が舌足らずに荒唐無稽でいまにも分解してしまいそうな物語をムードありありに繋ぎ止める『ヌードの夜』はなんや石井美学の結晶のよな映画に思われる。
で、場に染み付いた記憶への偏執は今のところの最新作『GONIN サーガ』(2015)でオペラ座の怪人的佐藤浩市として鮮烈に再生されるのだった。

『天使のはらわた 赤い閃光』(1994)

シリーズ『天はら』の中では一番浮くっぽいミステリー編。川上麻衣子の名美がラブホテルで目覚めたら脇に死体がおった、部屋に謎のビデオがあった、そして怪しい竹中直人と恐い同僚の速水典子おったとかそんな感じだった気もするがこれも記憶が薄い。覚えているのは場末のスナックと廃墟系雑居ビルばかり出てくる石井映画には珍しく高層ビルのオフィスが主要舞台になっていた、そして結末がわりとかなりショボかったとかそれぐらいな…あぁあれだなでも自暴自棄になった川上麻衣子の酒乱ぷり良かったです。キュートとてもキュート。

あまり面白かった気はしないが謎ビデオ、場の記憶が石井映画の中核であるとするならビデオテープの導入は興味深げ。『人が愛することのどうしようもなさ』(2007)ではビデオカメラが記憶とリアルとアイデンティティに関する重要な小道具として採用されていた。
ほんでまた『人が人を愛することのどうしようもなさ』はふわふわとデヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』(2001)と接続されてしまうのだったがその習作として謎ビデオテープに苛まれ壊れてしまう男を描いた『ロスト・ハイウェイ』(1997)を捉えることができるなら『天使のはらわた 赤い閃光』も『人が人を愛することのどうしようもなさ』の習作ないしは姉妹編と言えなくもない。

石井隆とデヴィッド・リンチはわりと軌道が重なる瞬間がある。髪型もなんとなく似てるし。

『夜がまた来る』(1994)

実は実は石井映画で一番好きかもしれないのは『死んでもいい』でも『ヌードの夜』でもなくタイトルもポスターも超カッチョイイこれの可能性が60%ぐらいの確率で存在し、演歌スタイリッシュなノワールアクション、バイオレンス隆のド定番として石井ワールドに登記されたビル屋上での最終決戦では不敵な笑みを浮かべながらヒロイン夏川結衣に迫る日本刀所持のラスボス寺田農にカメラがグーっとトラックアップ、やめろ近づくなと銃を向ける夏川結衣にも確かグーっとトラックアップ、このタメこのケレンこの劇画感覚これこれこれだよこれ! これ!

潜入捜査官の夫を潜入先のヤクザに殺された夏川結衣! 復讐を誓った彼女は自ら組に潜入を果たすがあえなく失敗シャブ堕ち夜堕ち! あぁ私の人生これで終わるのか…いや終わらない! 根津甚八の男気に救われ共に打倒ヤクザに立ち上がるのだった! 夜がまた来る!
というわけで珍しく間隙少量筋肉質のジェットコースター展開かつ流暢な語り口で魅せる。それまでどよどよ沈んでいた石井組の安川午朗サウンドも今回は情熱カスタネットで攻めます。タッタッタッタタッタッタタ! 『ヌードの夜』では吠えるだけ吠えて噛まない狂子犬だった椎名桔平も立派に狂成犬化し噛みまくり。寺田農の老獪が心身ともに夏川結衣を犯せば未明の薄暮にハトも舞うってなもんである。ブ、『ブレードランナー』(1982)みたい!

シャブくれよぉと裸で大絶叫の夏川結衣を根津甚八が月光を浴びながら熱血シャブ抜き。そこ美しかったですねたまらんすね埃なんかキラキラ舞っちゃってねこのお耽美ねこのお高揚感ね! さぁかかってこい腐れヤクザども! 月に代わってお仕置きだ!

『GONIN』(1995)

佐々木原保志カメラ安川午朗サウンド山崎輝美術と同じメンツでしか基本仕事をしない石井隆なので役者の方もプチスターシステムを採用し同じ顔がばかり出てきますが佐藤浩市とか本木雅弘はともかくビートたけしの電撃参戦は強烈な異化作用を伴い石井ワールドに亀裂を入れつつ活性化。これがまたカッコイイ登場。くゆるスモークの中からじっくり間をとって最強の殺し屋・眼帯たけし。こいつヤバイ絶対ヤバイ絶対に殺しまくるしあと人生を捨ててる目をしてるので死に向かうだろうの説得力でヤクザマネー強奪に人生を賭ける佐藤浩市らGONINのダメ男どもの激情と高揚が一気にしぼむ。地獄幕開け。

場の作家石井隆はおそらく一度取り上げた場やフィギュアとしてのキャラクターから連鎖的に発想するので『ヌードの夜』のバブル崩れクズ根津甚八のアナザーである潰れかけディスコオーナー佐藤浩市から話が始まりやはり『ヌードの夜』になんとなく出てくる歌舞伎町バッティングセンターの磁力が物語を駆動する。
借金で首が回らずムシャクシャしてた佐藤浩市がたまたま訪れてみたところキャッチーガイのリーマン竹中直人が死ねぇ死んじまえとぶち壊れ絶叫バッティング、裏手では貧しい生活を送りながら恋人との幸せな生活を夢見る元ボクサーのカンボジア人だかの椎名桔平が働いていた歌舞伎町バッティングセンター。どんなやねんと思うがそれが磁力というもの。後々になって北野武監督作『アウトレイジ・ビヨンド』(2012)で物語の転換点となったのもやはりバッティングセンターでしたからバッティングセンターの磁場は侮れないのです(そしてこの北野バッセンに生息していた桐谷健太は『GONIN サーガ』に召集され例のディスコに吸い寄せられるのであった…)

濃い面構え揃えたバイオレンスアクションというよりは孤独を抱えた鬱屈人間どもがひたすら孤独に堕ちていくのノワール感で、奈落の底から浮上再生の可能性を秘めた名美的な存在がいないのでひたすらネガティブのスパイラル。
後半は死神たけしが死を振り撒いていくが、段々と死の恐怖が恍惚へと変わっていく倒錯が心地よくなんだかとても危うく色っぽい映画なのです。

『GONIN2』(1996)

前作は男が五人集まったので今回は女が五人集まる。大竹しのぶ、夏川結衣、余貴美子の名美ーズに喜多嶋舞参入。その後の石井映画で名美ポジションを引き継ぐのが喜多嶋舞なので襲名披露公演のような映画。

たぶん、これは、たぶんなのですが…例によってGONINが(とばっちり的に)ヤクザに追われそして最強の殺し屋登場と前作踏襲も殺し屋が石井映画ひっそり常連の鶴見辰吾。鶴見辰吾。…眼帯たけしに比べてそれはちょっとさすがにインパクトが…。
石井映画では男より女の方がアグレッシブに動くの法則があるのでむしろアクション度数は前作よりこちらのが高く展開も波瀾万丈、飛び交う銃弾は三倍ぐらいになってるような気もするがなんとなく盛り上がらないのはやはりほらだから、あれだなやっぱたけし良かったよね『GONIN』。という感じ。

代わりにというか緒形拳がいた。ヤクザに妻を殺され(またか!)復讐を誓った緒方拳だったが怒りと悲しみのあまりすっかり廃人の怖い人に。GONINといいつつ物語はやがて廃人緒形の復讐と死への旅にシフト、思わず同情してしまった名美ーズは旅に同行しやさしく寄り添ってあげるのだった。
そうかやさしいんだなこれは。やさしいつよい女性映画。一人でもつよい名美がたくさん集まってしまったので妙にあっけらかんとし、哀惜孤独ネガティヴィズムが希薄な分だけテンションに起伏がなく盛り上がらなさに直結してる気がするが、名美ーズがプールで語らうとことかうっとり染みてしまうのでよいのです。

名美は浴槽に沈む。決まって殺しが起こり人生大転落の後戻りできない第一歩、石井映画の浴室は奈落が大口を開けているのですが毎作毎作一人孤独に浴槽に沈んでいた名美もここではみんな一緒にプールに浮かぶとあって死よりも再生のイメージが強く刻まれるんであった。
実は前作より好きというのは内緒にしたい。

『黒の天使 VOL.1』(1998)

『ヌードの夜』で警官に擬態し竹中直人に接触した椎名桔平がついに本職のクズ警官として登場する。テメェが殺っといての素っ頓狂な「え~至急至急応援されたし!」は必見。石井映画は椎名桔平がクズ気取りから本物のクズに成長していく大河ドラマです。

それはともかく先ごろ20年余年の歳月を経て『GONIN』の続編『GONIN サーガ』が製作されたが俺としては続編を待ち望んでいるのは『黒天』の方であって、『黒天』こそバイオレンス隆アクション隆の最高峰であり『ニキータ』(1990)もかくやの和製ヒロインアクションの大傑作なのだと言い切りたい。
強いだろう、高島礼子と葉月里緒菜の女ヒットマンなんて絶対強いだろう! 90年代の葉月里緒菜なんて無敵だろう! 人外の美!

キャラクターが場とスタイルに拘束され意思を持たぬ操りフィギュアと化すSM文楽的石井ワールドでは予めヒロインの運命は決定されているが、制約の中でこその運命に抗う人間の輝きというものが石井ヒロインの魅力なんじゃなかろか。ミトコンドリアまたはサイボーグ里緒菜が人であろうとし自由意志でもって運命を書き換えようとすればですねそれはつまりとてもとても美しく、要するに石井ワールドに葉月里緒菜が置かれて頑張ってお芝居するだけでもういいっしょみたいな出オチのような映画だなこれは!

都市のランドスケープとフィギュア化されたキャラクターへの偏執で石井隆と共通する押井守の映画には無垢な少女と偏在する太母の両極二類型しか女性キャラクターが存在しないが、そのあたり強固に構造化された石井映画も似たようなもので母を失った葉月里緒菜と失われた母としての高島礼子が石井ヒロインの典型というか基本的にはそれしかいない気もする。
面白いっすね母喪失娘ポジションの女優さんはクールなフィギュア感が強調されるのですが失われた母ポジションの女優さんはもっと感情豊かで意志がハッキリしてるらしく、その交差するところが『死んでもいい』の大竹しのぶだと思うんですが、葉月里緒菜と高島礼子の温度差を対比させながら母娘の円環を物語の背後に書き込んでいく。たぶん石井隆的には『死んでもいい』から『GONIN2』を経由しての『黒の天使VOL.1』までは繋がってんだろなと思う。

いつもの佐々木原カメラでなく佐藤和人カメラなのでそのあたりの違いなのかもしんないが、情感たっぷりに都市をさまよう例のアレに代わって立体的な構図多用の硬質メカニカル撮影。
終盤のエスカレーター使ったプチ銃撃戦の取り回しにジョニー・トーを微幻視。葉月里緒菜がヤクザに凌辱されるシーン、お馴染みの雨の中お馴染みの廃ビルでお馴染みの長回しだったがえらいえらい計算された動きと構図の約5分間で素晴らしいの一言。そこだけでリュック・ベッソン10人前ぐらいのスタイリッシュ。

『黒の天使 VOL.2』(1999)

さて今度は天海祐希でございますが天海祐希がアイス大好き女ヒットマン。殺しの後に買い貯めたアイスを食べるのだけが楽しみ。OLかい。
場の記憶または製作の都合により『GONIN』のケバケバディスコ再登場。ディスコには魔物が住むのでヤクザの巣窟になってます。

前作に比べるとそれほどスタイルが徹底されてないというか、アクションもわりと薄かったのでなんかほんわかしてしまった。いや、だってアイス頬張って喜ぶ天海祐希すごく等身大なので…石井ヒロインは親近感が沸けば沸くほど逆に魅力がなくなるの法則。
たしか超絶とばっちりの片岡礼子に天海祐希が巻き込んですいませんするようなお話だった気もするがこれも意外と意外と記憶が薄く。すいません。

なんでも『黒天』はVOL.3まで製作される予定だったらしいが白紙撤回。宙ぶらりんのまま石井隆新世紀へ。かくして暗黒のゼロ年代が始まり名美ではなく石井隆自身が沈んでいくのだった…。

※2017/02/09 追記
アイスアイス言ってますがこれも見直したところアイスを食すシーンはたった一か所しかなかったのでそのアイスへの信頼感なんだったんだよと言わざるを得ない。ある意味で『GONIN』に対しての『GONIN2』と事情は似ているようなところがあって、見直してもやはりアクションシーンはパっとしなかったのですがその分メロドラマの色合いは濃くなっていた。
そうかこういう映画だったのかぁ…あと片岡礼子はとにかくめっちゃとばっちりで見てられなかったよほんとうに…。

石井隆の映画いっぱい観たので感想書いてく(その2)に続く

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ざらめ
ざらめ
2017年5月10日 10:13 PM

椎名桔平目当てで石井隆作品を最近観はじめてる者ですはじめまして。レビューの口調が、最高に好みです。ぜひその2もお願いします!

ざらめ
ざらめ
Reply to  さわだ
2017年5月11日 7:42 AM

そうなんですよね笑 でもなんか彼の、綺麗な女にひどいめあわしたり、やたら台詞キザだったりとか、とにかくなんか世界観にハマっちゃったので全部観てみようと思います!その2まってます