【後編】2015~2020年ホラー映画これを観ておけ100本

【前編】2015~2020年ホラー映画これを観ておけ100本で書ききれなかった残り50本の感想。とくに意識したわけではないがこう眺めると前編50本よりもだいぶアクの強い作品が並んでます。

※前編と後編をnoteの一記事にまとめて有料公開しました→2015~2020年ホラー映画これを観ておけ100本。内容は別に変わりませんがお金ほしいのでこれだけがんばって書いたんなら投げ銭してやるかっていう奇特な人は買ってやって下さいね☆

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ゾンビこわい

『新感染 ファイナル・エクスプレス』

『21日後…』などと並んで21世紀のゾンビ映画クラシックほぼ確定の傑作。設定やストーリー展開は王道のゾンビ・アポカリプスものだが上映時間の大半を特急列車内に限定した点が出色で、車両が徐々にゾンビに浸食されていくスリルとその中で壊れていく人間関係をアクションを交えてテンポ良く活写しつつ、その合間に途中停車駅で崩壊した社会の一断面を見せるなど緩急の付け方も見事、特急列車という舞台設定をこれ以上に巧みに用いたゾンビ映画はないのではないかと思わされる。しかしそれ以上に重要なのはゾンビ・アポカリプス映画にありがちな厭世観を韓国映画的なヒューマニズムで覆すところだろう。ゾンビ映画のお約束をしっかり押さえた上での細かい外しの演出・展開が特徴的な映画だが、ゾンビ・アポカリプス映画の「人間はみんな自分勝手で信用できない」をダイナミックに裏返すラストは感動的である。

『ソウル・ステーション/パンデミック』

『新感染』のパラレルな前日譚に当たるアニメで、その方向性は『新感染』の真逆。どこまでもネガティブで厭世的でまったく救いのない、だからこそ魅力的なゾンビ禍の終末が描かれる。前日譚なので焦点が当たるのは『新感染』で列車が発車したソウルにおけるゾンビ禍の拡大過程。最初にゾンビ病に感染したのは駅周辺を根城にするホームレスなのだが、その明らかに調子の悪そうな姿を見ても通行人は誰も立ち止まったりはしない。お互いに協力すれば封じ込めることも不可能ではなかったかもしれないゾンビ病は人々の無関心によって際限なく拡大していき、拡大すればするほど人々の間には憎しみを帯びた不信感が積み重なりより強固な無関心に変換される悪循環。社会風刺はロメロ以降のゾンビ映画の定番要素だが、この映画のそれに込められた暗い情念は他のアポカリプス系ゾンビ映画とは一線を画す重さで、ラストの終末風景は人類の死を祝福するかのような異様な光に包まれている。個人的には『新感染』より好き。

『バイオハザード ザ・ファイナル』

ゼロ年代ゾンビ映画ブームの火付け役となった人気ゲーム実写化シリーズの最終作は原点回帰を掲げて舞台は一作目の地下研究施設。三作目以降は迷走に迷走を重ねて何をやっているのかまったくわからなくなってしまいゾンビ映画としての面白味もほとんどなかったが、シリーズ最終作だけあってこちらはしっかりアポカリプス系のゾンビ映画、面白いかどうかで言えば大味すぎてあんまり面白くはないのだが見せ場に次ぐ見せ場で退屈はしないし、迷走シリーズの大団円にはなんとなくジーンとさせられないこともない。ちなみに劇中に登場する女児は主演ミラ・ジョヴォヴィッチとシリーズ監督ポール・W・S・アンダーソンの娘。

『YUMMY/ヤミー』

男どもにいちいちエロい目で見られたり言い寄られたりするのにうんざりした豊乳ヤングウーマンが乳房縮小手術を受けるために訪れた整形クリニックは裏で若返り薬の実験をしているヤバイところ。案の定ゾンビパニックが勃発して院内は整形ゾンビが跋扈するゾンビ地獄と化すのであった。あらすじからはあまり面白さが見えないがスピーディでパワフルな演出、閉鎖クリニックの構造を活かした襲われシチュエーション作りが巧みな脚本、躊躇のないゴア描写と這いずりゾンビやカエルゾンビなど多彩なゾンビ造形、シリアスなムードの中に光るタマタマゴロリやロープ代わりの大腸引き出しなどバカバカしいユーモアと、非常に見所の多い秀作。ベルギー初のゾンビ映画の謳い文句が本当かどうかは知らないが最初でこの出来なら後続作品が大変だと思う。切なくもアホらしいラストのやりきった感には心の中で思わず拍手!

『アイアムアヒーロー』

邦画ゾンビ映画の水準を一気に国際水準まで押し上げた突然変異的な一本。ストーリー自体はオーソドックスなゾンビ・アポカリプスもので、ランタイムの都合もあり花沢健吾の原作漫画の味わいはあまり出ていないが、それでも大泉洋が演じる主人公のとぼけた存在感が日常崩壊の恐怖をオフビートに強調していて面白いし、ラストに待ち受けるゾンビ大虐殺は邦画ホラーとしては異例の血量とバイオレンスで強烈な高揚感があり、必見。ちなみに監督の佐藤信介はこの映画のおかげでか以降『いぬやしき』などルサンチマン系のアクションを任されるようになった。

『オーヴァーロード』

第二次世界大戦中、ナチスドイツは極秘に人間を超人ゾンビへと変える秘薬を研究していた…というC級ネタを本格戦争アクションのテイストで料理した『ザ・キープ』×『死霊のしたたり』×『特攻大作戦』。やろうと思えばいくらでもパニック状況を作れそうな設定にしては秘薬ならぬ飛躍のない地味な展開で、本格的に超人ゾンビが登場するのは終盤にちょっとだけ、しかもゴア描写もほぼほぼ無いとあってゾンビ映画的な面白味は比較的薄いが、ホラー要素を含む極秘ミッション系の戦争アクションとして観ればコンパクトにまとまった佳作に思う。

『ゾンビ・プレジデント』

台湾発・規格外の風刺ゾンビ映画。なにせ新型コロナパンデミックの渦中(※本国公開は2020年8月)でコロナを茶化し中国をディスり台湾議会を徹底的にコケにしまうのだからすごい。しかもギャグもパロディもアクション(プロレス)もコテコテにマシマシで胃もたれするほどスーパーハイテンション。ゴア描写は皆無に近いもののスプラッター描写も満載で、その勢いと突き抜けたバカバカしさは『ブレインデッド』や『新ゾンビ』を彷彿とさせる。主人公メーガン・ライとハー・ハオチェンの吹っ切れっぷりも清々しい、一言で言えば、酔っぱらった三池崇史とハーマン・ヤウが飲み屋のテレビで台湾議会の乱闘ニュースを観ながら冗談で話したネタを台湾の奇才チェン・ユーシュンが本気で映像化したような映画です。

カニバルこわい

『RAW 少女のめざめ』

ベジタリアンでおしとやかで恋愛経験なんかもちろんなしのお馴染み『キャリー』タイプ女子がお姉ちゃんの通ってる大学に入学したら待ち受けていたのは新参者には過酷な謎のシゴキ的パリピ大学儀式の数々。突然の異文化乱入に多大なるショックを受けてキャリー女子は目覚めてしまった。性とそして人肉の味に…。人食いもこわいが大学ノリもこわい。キャリー女子の視点で描かれる野獣学生たちの悪ふざけは何が目的なのか何が面白いのかまったくわからずただただ不気味なばかりである。単に人食いを性衝動のメタファーとするだけではなく状況に対する適応として描き出したところがユニークな、ブラックユーモアもほのかに漂う現代メルヘン的な人食い譚。

『カニバ/パリ人肉事件38年目の真実』

異文化の中での孤独体験は人間を人食いにするらしい。留学先のパリで好意を寄せていた女を殺して食ったものの精神鑑定で責任能力なしと判断されて無罪放免、無責任にも程がある日本のメディアとサブカル界隈によって帰国後はメディアスターとして祭り上げられた佐川一政と、その介護をする弟の現在を切り取ったのがこのドキュメンタリー。事件の異様さに負けじと映画もまたクセが強烈で、どうやらインタビューをしているらしいシーンが多々あるのだがおそらく指向性の極端に強いマイクを使用しているため質問音声は一切入らず、テロップやナレーションも排除されている上に断片的な編集によりシーン間の連関が失われているため、佐川兄弟がなんの話をしているのかよくわからない。その極端に視野の狭い異様空間に脳を浸せば人食いの心理に少しは近づけるかもしれない。近づいたところで良いことは一つもないわけですが。

『野火』

大岡昇平の戦争文学クラシックを『鉄男』の塚本晋也が映画化。「これが戦争をするということだと知ってもらいたい」と塚本が語るようにそのアプローチは観客の身を戦場に置く体感型ホラーで、文学映画然とした格調高さや客観性がないのが大きな特徴。物資も情報も途絶え戦況さえわからないまま痩せ細った身体を引きずりあてどなくジャングルを彷徨う日本兵たちの姿はまるで幽鬼、その群れを姿の見えない米兵が容赦なく機関銃で肉塊に変えていく光景は即物性と幻想性が交錯する異様さで、人間の理性を失わせる戦場とジャングルの狂気を塚本映画らしいケレン味で描き出している。戦場地獄巡りの果てに辿り着く現実とも空想ともつかない人肉食が一転して安らかなムードの中で行われる倒錯が「戦争をするということ」なのかもしれない。

『ザ・スリープ・カース 失眠』

原因不明の不眠症を描いた病気ホラーと思わせておいてカルト実録ゴア映画『八仙飯店之人肉饅頭』の監督ハーマン・ヤウと主演アンソニー・ウォンが再び人肉食のテーマに挑んだ人食い篇。死体の脳みそをパイナップルに詰め込むなどのシリアスなのかふざけているのかわからないユニークな残酷シーンにちょっと笑わされたりするが、ストーリーは人肉食を同胞売りのメタファーとして捉えた真面目なもので、日本統治時代の忌々しい記憶が呪いとして現代に蘇り…という社会派っぷり。ゴア描写もエグいがそれよか日本統治時代の描写の方が日本軍の協力者となった知識人(アンソニー・ウォンの二役)の懊悩も含めてエグさがあり、抗日映画的な側面もあるがその底には香港映画人ハーマン・ヤウによる現代中国批判も見え隠れする、キワモノの枠には収まりきらない力作である。

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カオスこわい

『哭声/コクソン』

韓国田舎の土着カルチャーと國村隼が混ざったところわけわからんタイミングで雷が降って人が感電死したり除霊師的な人が突然あり得ない量の血をゲロ吐きしたり國村隼が全裸で森をダッシュしたりするようになりました。カオス。なにがなんだかわからないがすごいことだけはわかる怪作である。とにかくそのわからなさ、あらすじを書くのもどう書いていいものか迷うぐらいの脈絡の無さが怖くて笑えて面白い映画だが、かなり変化球の田舎ホラーとして捉えるならその混沌の中に都会に住む現代韓国人の普段は意識に上らない不安やアイデンティティの揺らぎも垣間見える。素っ頓狂だが粘度の高い異様な恐怖演出とムード醸成も素晴らしく、実は相当に練られた映画。

『クローバーフィールド・パラドックス』

SF映画の中で粒子加速実験などを行えば必ず予想外の巨大事故が起こってしまうので宇宙船で加速実験をやっていたこの映画のクルーたちもえらいことになってしまいます。あれあいついなくなったなと思ったら壁の中に機械と一体化した状態で発見されたり。人体が粉々に砕け散ったと思ったら肉片ひとつひとつが虫になったり。果ては異世界とのゲートが開いてしまってそこから…というわけで実はちょっとラブクラフト系の映画。『イベント・ホライゾン』なんかの宇宙怪談が好きな人もハマるんじゃないかと思う。ちなみにタイトルは『クローバーフィールド』の続編のようだが元々は別の企画として始まったらしいのでストーリー上の直接の関連はない(関連付けようと思えばできる)

『カラー・アウト・オブ・スペース ー遭遇ー』

ラブクラフト系の映画といえば最近ではおそらくこれが一番の完成度。ラブクラフトの代表作の一つに数えられる『宇宙からの色』の最新映画版は原作の持つ仄めかしの恐怖や見知った世界が徐々に理解不能なものに変化していく孤立の恐怖をかなぐり捨て、80年代SFXホラー直系の異形造形の数々を目に痛い色彩とニコラス・ケイジのコミカルでありつつ悲哀と狂気の漂う怪演で強烈にドライブするある意味痛快な娯楽編となっている。ラブクラフトというか『死霊のはらわた』と『遊星からの物体X』をミックスしたような感じかもしれない。なにはともあれ、スラムダンク!

『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』

園子温のハリウッド・デビュー作(なのかどうか知りませんが)『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』にもダイレクトな影響を与えたニコラス・ケイジ怪優路線映画の決定版。ロックなポエムとキング・クリムゾン”Starless”で幕を開ける冒頭からアシッドな意味で飛んでいるが目と耳を休める暇なく森林版カルト教団と謎ドラッグで身も心もバイクも『マッドマックス2』になってしまったジャンキーバイカー集団が平和に隠遁系ヒッピー生活を送っていたニコケイ&アンドレア・ライズボロー夫婦を襲撃! 妻を殺され怒りに我と現実を忘れたニコケイは謎ドラッグを決めて極彩色とメタルバンドのアルバムジャケットに描いてありがちな何なのかよくわからないシュール構造物に彩られた幻覚復讐街道へと足を踏み入れるのであった。陶酔的なサイケデリック映像がドライブする高温バイオレンスがなかなかすごいが含み笑い系の低温ユーモアも多く意外とオフビート・コメディ的。でもやっぱり狂気。笑っていいのか怖がっていいのかその映像世界に浸っていいのかよくわからないが、ともかく強烈な映画であることは間違いない。

『CLIMAX』

山荘に集められた若手ダンサーたち(数人を除いて実際にダンサーが本業の人たち)が公演に向けて練習を重ねていたところ何者かが打ち上げ時のパンチボウルにLSDを投入。とりあえず部屋で寝ていればよかったと思うが知らずに飲んでしまったダンサーたちはパニックを起こして集団バッドトリップに。出口のない山荘は暴力と欲望と狂気と快楽の交錯する無法地帯と化してしまう…。あらすじはヤバそう度が高いが監督はインモラルな題材をファッショナブルに映像化するギャスパー・ノエということで人は何人も死ぬものの地獄感は思いのほか軽く、作品を通したメッセージも(あるとすれば)ドラッグの乱用を戒める教訓的なもの、丁寧に観ればLSD混入事件の真相もわかるようになっているので悪趣味カルト映画のようでいて実はかなり手堅い作りの映画である。見所は酩酊的でユーモラスなカメラワークとクラブ的なサントラ構成・音響演出、そしてなによりもそれぞれダンススタイルの異なるダンサーたちの最高のダンスシーン。

『来る』

寡作の奇才・中島哲也によるオカルトホラー異色編。ちゃんと原作(澤村伊智の『ぼぎわんが、来る』)も付いているがその映像世界は大友克洋『童夢』や諸星大二郎の『海竜祭の夜』に近いもので、殺人的な怪現象とアクの強い怪キャラクターたちがごちゃごちゃと入り乱れ行き先不明のまま怪異の規模だけが膨張し、クライマックスの和洋折衷ポストモダンな大除霊まつりに怒濤の勢いでなだれ込む展開は『AKIRA』っぽくもある。怪異を一種の災害・怪獣として捉える映画なので怖いというよりは盛り上がる感じだが、柴田理恵を初めとするかっこいい個性派霊能力者たちやラストの祝祭感は最高だし、映画の根底に流れる日本人の無責任さや無節操さの肯定には、なんだかちょっと救われる。

『妖怪人間ベラ』

配信ドラマシリーズ『妖怪人間ベラ~Episode0~』の完結編的劇場版だがドラマ版は観ずにこっちだけ映画館で観てしまったので何がなんだかわからず脳が溶けてしまった。あの『妖怪人間ベム』は実在の妖怪(的な)人間をモデルにした実録アニメだった、という『バタリアン』的なメタ続編+実写化の基本設定はややこしいとしてもまぁそんなにおかしなものではないが、そこから先は飛躍の連続でだいぶおかしい。『妖怪人間ベム』のお蔵入りになった幻の最終回を目にした森崎ウィンはえらいスピードで人格が崩壊して『シャイニング』のジャック・ニコルソンになってしまうし、他方、人間たちの高校に転校してきた高能力少女ベラに嫉妬した普通高校生女子は嫉妬して傘で人体を貫き殺す殺人鬼と化し、包丁を持ったままいやに人気のない町を彷徨うようになるのであった。いや、であったって言われても! でもそういう映画なんだからしょうがないよな。ドラマシリーズを観ればまた印象も変わるのだろうが、これだけ観ればろくに説明もなく禍々しいシチュエーションだけがネガティブなハイテンションでひたすら続く、悪夢のような映画である。監督はなんと英勉。

異世界こわい

『人類遺産』

原発事故で時間の止まった浪江町の風景を皮切りに世界中の様々な廃墟を見せていく環境ビデオ的な映画。劇伴もテロップもナレーションもなくカメラは完全フィックスで一つのショットが10分ぐらい続くハードコア仕様。とにかく廃墟を見せることに特化しているので人間だって一人も出てこない(たまに鳥とかは画面を横切る)。人類絶滅後の世界を先取りするその静謐にして驚異的な風景群は別に怖いところなどないのだが安らぎに満ちた諦念を骨身に感じさせて、ある意味ホラー映画以上にホラー的な映像体験かもしれない。廃墟好きにとっては癒やし映像集。

『映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』

初期の映画ドラえもんは適度な怖さが大冒険の良いスパイスになっていたがF先生死後の映画ドラえもんはすっかり怖さがなくなってしまい、代わりに「ドラ泣き」要素が年々増強、もはや失われたかに思えた「怖い映画ドラえもん」が久々に復活したのがこの作品。南極を遊園地にして遊んでいたのび太たちが見つけたのは地下世界への入り口で…という導入部からも分かる通りストーリー的にも初期の映画ドラえもんを強く意識しているが、南極地下が舞台なのでクトゥルー的なイメージを取り込んでいるのが新味で、異言を喚き先史時代の遺跡を破壊しながらのび太たちに迫る巨大怪生物はなかなかインパクトがある。派手さはないが演出もシナリオも手堅く南極地下世界の寂しげなムードも味わい深い、近年の映画ドラえもんの中では異色作といえる一本。

『エイリアン:コヴェナント』

『プロメテウス』に続くリドリー・スコットの『エイリアン』異聞第二弾。一応は『エイリアン』の前日譚として制作された前作と違ってこちら『コヴェナント』にはそんな観客サービスはなく、おそらくはリドリー・スコットがその点に惹かれつつも『エイリアン』では充分に展開することのできなかったポストヒューマンと人工生殖のモチーフがコズミック・ホラーの装いもまとってロマン主義的美意識の中で暴発、SFホラーとしてまったく正しく素晴らしいと思うが当然のこと世間の不評を買った。異星の遺構の美術、宇宙船内のリズミカルな効果音設計、美しいアンドロイドたちとその生殖風景など、人間の体温を感じさせない異世界っぷりに痺れる。

『アナイアレイション ー全滅領域ー』

舞台が広大なジャングルになってアクション要素の盛り込まれた版の『宇宙からの色』、もしくは『ストーカー』(タルコフスキー)、あるいは『ブラッド・ミュージック』といった作品。なんらかの要因により時間の流れが加速し外部との交信が遮断され動植物の異種交配と変異が急速に進む異常地帯が出現、徐々に規模を拡大していくこの異常地帯の謎を解明し更なる拡大を防ぐために軍は調査隊を送るがめぼしい成果は得られない。そんな折、主人公の生物学者のもとに調査に加わって行方不明となっていた夫が帰ってくるのだが…。抑揚がなく意外性に乏しい展開はやや退屈に感じられるも、異常地帯内の毒々しい輝きを放つ植物やアーティスティックな変形死体、結晶化した木々などの風景は禍々しくも美しく、その中心地に穿たれた人間と非人間を接続する「穴」は原初的な恐怖を喚起する。監督アレックス・ガーランドが前作『エクス・マキナ』でも試みた、人間と非人間の境界線を揺さぶる異世界映画。

『ミッドサマー』

自分を除く一家心中でメンタルダメージを負った大学生が仲間たちと訪れたのは知られざるスウェーデンのあやしげ村。こいつは博士論文の良い題材になるぞと意気込む仲間たちであったがそんなものは当然村人たちが仕掛けた罠、しかし主人公はどこかその村に癒しを感じ…。古典的カルトホラー『ウィッカーマン』を下敷きにしたと思しき異文化体験映画で、この村をどう捉えるかで見方は結構変わりそう。劇中でそう説明されるのでこういう伝統の村もあるんだと受け取る人もいるが個人的にはそれは後付けの嘘で、本当は70年代ぐらいにできたカルト的ヒッピーコミューン説を推す(『ウィッカーマン』がそういう設定のため)。前者として見れば残酷だけどちょっと笑えるイイ話、後者として見ればなかなかえげつないカルト集団コワイ話。

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社会こわい

『プラットフォーム』

競争を加速させて稼げる人にじゃんじゃか稼いでもらえばその利益が稼げない人たちにも滴り落ちて社会全体が豊かになるんだといういわゆるトリクルダウン理論と自己責任論がもたらす結果を血と汚物を適度にまぶして教えてくれる教育映画。更には分配と抗議デモ(ハンスト)の限界も教えてくれる絶望的なオマケ付き。男が目を覚ますとそこはベッドと洗面台ぐらいしか置いていない出口のない監獄のような部屋。部屋の中央には穴があり時間が来れば上層階から一定時間だけ食料が下りてくる。さて問題は、食料は階ごとに補充されないので下の階に行けば行くほど食うもんがなくなってしまうこと、一週間ごとの部屋替えで何階に行けるかはランダムであること、そして階の下限がまったく見えないことだ…。日本版リメイクも記憶に新しい『CUBE』の影響も色濃い、競争社会の残酷寓話。

『アス』

『ゲット・アウト』が話題を呼んだジョーダン・ピールの社会派ブラック寓話ホラー第二弾は『鏡の国のアリス』をモチーフにしたシュール編。人種が壁となってバレエダンサーの夢を断念せざるを得なかった傷心の80s黒人少女も大人になった今は何不自由ない良い暮らし、ところが一夏を過ごすために家族で訪れた避暑地のビーチに赤い服を着た謎の棒立ち人間が現れたことから突如として幸せ生活は瓦解する。奴らが来たのだ。自分たちとまったく同じ顔をした奴らが…。あれもこれも白人優位のアメリカに生きる中流家庭の黒人の白人社会に対する諦めと憤りと憧憬の複雑に入り交じった心情と人種差別の現実に対してある程度妥協することでそれなりに豊かに暮らせてしまっていることの罪悪感を下地に展開されるのはアメリカの定番都市伝説と「アカ」への恐怖。シリアスなテーマを与太話的に見せる独特の語り口は『ゲット・アウト』に増して鋭く、狂気的でありつつユーモラスで示唆に富む見事な現代の寓話となっている。ちなみに人種差別と都市伝説の組み合わせは製作・脚本を担当した『キャンディマン』(2021)に引き継がれる。

『破壊の日』

タイトルの「破壊の日」とは2020年東京オリンピック開幕日のこと。オリンピック経済で潤うところもあればオリンピックのワリを食う分野もあるだろうということで反骨の映画監督・豊田利晃がオリンピック開幕日の抗議的同日公開を目指して企画をスタートさせたのだったがその間に新型コロナ禍到来、破壊するまでもなくオリンピックの方が勝手に倒れて翌年に持ち越しになってしまった。映画の内容も新型コロナ禍で変更を余儀なくされ、新型コロナの不安に覆われた渋谷スクランブル交差点でのゲリラ的なロケ撮影や停泊中のダイヤモンド・クルーズ号の記録映像などのドキュメンタリー的な要素と山岳信仰や怪獣映画のイメージがGEZANの爆音ロックなBGMの中で交錯する、結果としてジャンル分けが意味を成さない唯一無二の社会派オカルト映画となっている。オリンピックの開催延期と呼応する尻切れトンボのラストも含めておそらく2020年日本という場と、そこに流れていた恐怖をもっとも直接的に切り取った映画。

『ブルーアワーにぶっ飛ばす』

仕事と不倫関係に疲れたCMディレクターの夏帆が自由奔放な親友のシム・ウンギョンと里帰りに出たところ驚愕! あれもこれもなにやらすっかりおかしくなっているではないか。認知症にでも罹っているのか独り言を話し続ける母親、何か言いたげだが言おうとする度に口ごもって目をそらすニートの兄、近所の公園では暇な男子中学生どもがチラチラとこちらを伺いながらクスクス笑い、飲み屋がないからスナックに行けばママと常連客のネイティブ方言ド直球下ネタトークが襲いかかる! 人死になどは出ないし夏帆とウンギョンのゆるゆるバディっぷりが楽しい映画だが、ある意味『悪魔のいけにえ』のような怖さを帯びたサイコホラー&田舎ホラー風味のオフビート・コメディ。

『ベルベット・バズソー:血塗られたギャラリー』

過度に投機的な現代アート業界を風刺したアート・ホラー・コメディ。売れりゃなんでもいいだろってことで生前は業界からガン無視されていた不遇の画家の遺した絵画に手を出してしまった現代アート業界人が次々と殺人アートの餌食になっていく。ホラーとしてはそんなに怖いものではなく利用できるものはなんでも利用する利己的な現代アート業界人たちの人の心の無さの方が怖いが、絵画や彫刻やインスタレーションなどなどのアートがデストラップに豹変する殺人シーンの数々は楽しい。美術館で死んでしまったので来館者にそういうインスタレーションだと思われて見えているのに発見されない死体、呪いの絵画の行き着く先と実態と乖離した価格高騰の末の最終的なお値段など、皮肉が効いてて笑えます。

『アンフレンデッド:ダークウェブ』

ティムール・ベクマンベトフ製作の全編PC画面の中だけで展開される〈スクリーン・ライフ〉映画シリーズの嚆矢となった(※同手法の映画はそれ以前にもある)ホラー映画『アンフレンデッド』の続編。前作はシンプルな幽霊+スラッシャーものだったが今回はダークウェブ(検索やアドレス入力のような通常の方法ではアクセスできないウェブサイト群)で暗躍するクラッカーや殺人組織に襲われる恐怖を描いたもので、PCあるあるやインターネットあるあるを豊富に組み込んだシナリオの面白さでは前作より上。インターネットとその向こうに広がる黒い欲望の世界が怖くなる、ある意味インターネット教育映画。

『パージ:アナーキー』

今の社会はみんなストレスを溜め込んでよくない! よしそれなら一年に一度だけ24時間無料無罪で犯罪やり放題デーを作ってストレス発散してもらおう! …という盛り上がりそうな設定なのに内容は普通のホーム・インベージョンもので大いにがっかりさせられた『パージ』のシリーズ第二弾はこれが見たかったんだよの外出編、人を殺したくて仕方のない野蛮アメリカ人たちがライフルやら火炎放射器やらを手に闊歩しブービートラップがあちこちに張り巡らされたヒャッハーな世紀末合衆国を舞台に、屋外でのサバイバルを余儀なくされた民間人や政府転覆を目論む反パージ派のレジスタンス、謎の特殊部隊などが入り乱れる。サスペンスフルでハイテンションな演出、狂っていて魅力的な武装市民たち、アクションが豊富で波乱に富んだ群像劇シナリオと、全ての点で前作超えのシリーズ最高傑作と断言したい。

『恐怖ノ黒電波』

名もなき旧ソ連圏っぽい独裁国家(※近未来トルコという設定)で怪事件発生。お上の命令で新たな政府放送を受信するためのアンテナが墓石のようなマンモス集合住宅に設置されたが直後に作業員転落死。いったいなぜ? 多少は疑問に思う集合住宅管理人の主人公だったが目上の人間から他部署の出来事には口を出すなとクギを刺されてあっさり沈黙。ほどなくして彼は不気味な黒いタールのようなものが集合住宅全体を侵食していることに気付くのだが…。誰もが無気力、無抵抗、無関心の三無にどっぷり浸かって抜け出せなくなった独裁国家の末期症状を不条理ホラーのタッチで描いた社会風刺版『仄暗い水の底から』、もしくはJホラーの装いをまとった『未来世紀ブラジル』。壁から滲み出るタールや老朽化した建物のグロテスクな質感、重々しく不穏な音響効果、官製バラエティ番組の歪んだユーモアやドライな死体描写などが粘着質の恐怖を醸し出す一方で、管理人としての職務を全うすることで人間性を取り戻そうとする主人公の虚しいばかりの抵抗は結構切ない。

わけわからんこわい

『ライトハウス』

『ウィッチ』でアメリカの恐怖の根源を描いたロバート・エガースによる神話のない国の神話。孤島に派遣された二人の灯台守が狭苦しい灯台の中でいがみ合い見下し合い殴り合ったりしている内に現実と妄想の境界が消失、自他の区別も消え去って狂気の中で一体化してしまう。モノクロ35mmフィルム撮影、アスペクト比1.19:1の特異な画面の中で展開される二人の灯台守ロバート・パティンソンとウィレム・デフォーの狂騒的な演技合戦は一回転して滑稽味を帯びて、無造作にパッチワークされたギリシア・ローマ神話のイメージやゴシック小説的な意匠の数々もなんだかパロディに見えてくる。でもそのユーモアは多分に悪意を含んだユーモアでなんだか笑うに笑えない。何も持たず何者にもなれない無力な男二人が体現するアメリカの混沌とした原風景の中で、いつしか黙示録のラッパのような響きを帯びる霧笛の音がおそろしい。

『ファブリック』

一応の作品概要を書くとすれば人を奈落へ導く呪いのドレスとそれを売る奇妙な服屋を描いたオムニバス形式のホラーコメディというあたりが妥当だろうと思われるが、基本的に要約不能。いったい何の映画なのかわからない。といって支離滅裂なわけでもなく、何がわからないのかと言えば、様々な暗喩や寓意や人を食ったブラックジョークがシンプルでありつつ行き先不明のストーリーの至る所に散りばめられているので、子供向けに漂白されていない残酷でエロティックな童話のような趣があり、頭で理解しようとすると疑問符で目の前が埋まってしまうのだ。物語は童話的でも映像に泥臭いところはなく逆に強烈にスタイリッシュでファッショナブル。その美しい悪夢のような奇っ怪世界は『マルホランド・ドライブ』等デヴィッド・リンチ作品を彷彿とさせて、変な映画が好きな人なら必見。
 

『聖なる鹿殺し』

手術を担当した患者を死なせてしまった医師が患者の遺族の子供から奇妙な復讐を受ける不条理ホラー。正確には復讐というよりも太古の世界の掟のようなものが発動してしまい、患者を死なせた対価としてこの医師は家族を生け贄に捧げることをこの世の摂理として要求されるのだが、どうしてそんな掟が発動してしまったのはわからないし、どうしてその掟を守らなければいけないのかも、医師にも医師の家族にも患者の遺族にもわからない。それでもその見えない掟が確かに存在してその掟に従わなければいけないと信じ込む人間たちの姿は掟そのものよりも怖いかもしれない。深刻ムードの中で突如として飛び出す素っ頓狂なユーモア、端正な映像、医師のコリン・ファレルや遺族のバリー・コーガンの不快感をまき散らす演技なども見所。

『ジェーン・ドウの解剖』

ジェーン・ドゥとは身元不明の女性死体のこと。その解剖を引き受けた葬儀屋の父子を突如として怪異が襲う。何者かの存在が解剖室内にチラつき、そして確かに死んでいるはずの死体は不思議と生気を取り戻していくように見える…。全体としては古典的な短編怪奇小説を思わせる小品だが奇妙な死体の解剖をしているうちに少しずつその正体に近づいていくミステリー展開が現代風の一捻り。とはいえ近づいていくだけで恐怖の核心には到達せず、謎解きを挟むことでむしろ正体不明の恐怖が増していくのが面白いところ。物語の大半が小さな葬儀屋の解剖室内で展開されるミニマムな映画だが、その息苦しさから一気に解放されるラストの黙示録的なカタルシスも素晴らしい。

『キラーメイズ』

有能な恋人との関係はそれなりに上手くいっているものの自分の夢は叶う気配が無く鬱屈した日々を送っていた芸術家志望の男が暇を持て余して家の中に作り上げたのは段ボール製の小屋、のようなもの。外から見る限りでは収容人数せいぜい5人といったところだが、なぜかその中は広大な迷宮となっており、中に入った男と恋人、その友人たちは外に出られなくなってしまう…。人が死ぬトラップや人喰いミノタウルスは存在するがあくまでもダンボール製なのでビニールテープの飾り付けがしてあったりするチープでキュートな迷宮造形が最高な映画。『CUBE』と『不思議の国のアリス』を無理矢理くっつけたような遊び心いっぱいのホラーコメディで、いきなりコマ撮り人形アニメになったりと血の代わりに紙テープが噴き出したりと楽しい。何者にもなれなかった男と恋人が迷宮の最深部で興じる「お茶会」にはちょっとだけホロリとさせられます。

『イン・ザ・トール・グラス ー狂気の迷路ー』

『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリがスティーヴン・キング&ジョー・ヒル親子の共作短編を映画化したもので、2008年の監督・脚本作『スプライス』以降は半ば雇われ職人監督と化していたナタリが久々に持ち味を発揮した改心の一作。時空の歪む草迷宮に迷い込んだ人々が次第に狂気に蝕まれていく過程を『CUBE』的な生々しいサスペンスとして描きつつ、ナタリのもう一本の代表作『NOTHING』を思わせるシュールなユーモアが随所にまぶされた曰く言いがたい独特のホラーとなっている。どこまでも続く草むらと青空はスーパーリアリズムのタッチで描かれた騙し絵のようで奇妙に実在感がなく、生きているようにうねる茂みはそれとは対照的に威圧的な存在感を放って、そりゃそんなとこにいたら人間狂いますよねの説得力がすごい。

『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』

Netflixの一話完結型SF&ホラードラマシリーズ『ブラック・ミラー』の特別編。視聴者が主人公の行動を選択して展開を変えるインタラクティブ実写作品として話題を呼んだがやっていることは簡易的なノベルゲームで、Netflixというプラットフォームで発表されたことを除けばそれほど目新しい試みではないが、コンピューターゲームが本格的に普及し始めた80年代を舞台に新人ゲームデザイナーが新作ゲームの設計中に現実と妄想、ゲームとリアルの境界線を見失って狂っていくシナリオが面白く、何度でも選択肢を選び直して未来を変えられるコンピューターゲームの世界と一度選んだ選択肢は二度と変えられない現実世界の対比が、作品の展開を選択肢で操作する視聴者と作品世界内の登場人物の運命とメタ的に重なることで、不気味さと可笑しさと切なさの(そして繰り返しプレイによる苛立ちも)交錯する独特の映像体験を作り上げている。コンピューターゲームと80年代カルチャーの引用とイースターエッグ、ネタ系バッドエンドも多数あるのでやりこみ推奨。

『VIDEOPHOBIA』

アイデンティティの喪失はいつだってホラーの入り口なので安部公房の原作を勅使河原宏が映像化した『他人の顔』を下敷きにしたこの映画では役者志望の在日コリアンの女が何かになろうとして足掻いているうちに都市の迷宮に迷い込む。モノクロで切り取られた大阪の街は名前を失いどこでもないどこかになり、演技のワークショップでは自分でない自分を求められ、ほんのいっときでもそこに自分が存在することを確認するためのセックスはネットの上で増殖拡散する匿名のポルノに堕してしまう。その迷宮からの出口が自分を完全に匿名化すること、という皮肉は物語の全ての根拠を突き崩して、果たしてこれが夢なのか現実なのか、それは誰のものだったのかも最後にはわからなくなる現実崩壊っぶり。理知的な語り口のおかげで怖さよりもスノビッシュな印象が勝るが、あまり類例のないユニークなホラーなので観ておいて損はない。

『丸』

ビーチボールにしか見えない謎の黒い「丸」を目にした人間が一様に固まってしまう不条理ホラー…というのは最初の10分ぐらいでわりと早い段階で忽然と丸消失。しかし丸が消えても丸で固まった人は元に戻らず丸の現れた家庭では残された家族が固まった家族の介護をすることになる。実はそっちが映画の本丸。金もないのに突然の丸被害によりいつも独り言を言って笑ってる謎ニートの息子の介護をすることになった母親を中心に丸被害関係者たちが徐々に追い詰められていく過程を真顔のユーモアとふざけたペーソスを交えて描く。シュールな設定と(予算的な事情による)ガチにそこらへんの民家の組み合わせが妙なリアリティを醸し出す一方で丸を使った攻防(?)はある意味能力バトル漫画的、謎にノワール風味もあってチープだがかなり変で面白い。

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ヨタ話こわい

『ヴィジット』

将来は映画監督になりたい小学生女子が生意気盛りの弟を連れてカメラ片手に祖父母宅に行ってみたらなんだか祖父母の様子が変、全裸で廊下を歩いたりしているし床下とか這っているし…これは絶対カメラに収めないと! キャリア低迷期にあった鬼才M・ナイト・シャマランが見事シーン復帰を果たしたPOV家族ホラーで、ふざけているのか怖がらせようとしているのかよくわからない人を食ったホラー演出はシャマランらしさが全開。エンディングに流れるバカバカしい弟ラップは「こんな映画を真面目に観ちゃってどうするの?」とでも言わんばかりで良い意味で脱力必至だが、本作公開後の米国ホラー映画業界が低予算で撮れて客が呼べるという判断からか『ヘレディタリー』に代表される家族ホラーのサブジャンルに傾倒していったことを思えば、その先駆けとなった意外と重要な一作なのかもしれない。

『アントラム 史上最も呪われた映画』

観た人間が狂って人を殺したりするようになる呪われた封印映画『アントラム』の真実に迫るインタビュー+『アントラム』の本編映像で構成されたドキュメンタリーという体のフェイク・ドキュメンタリーだが、ハナから本気で観客に呪われた映画の存在を信じさせるつもりはないので作りはゆるゆる、呪われた映画の劇中劇パートはどこまでもディティールが甘いので少しも時代感が出ていないし(80年代前半ぐらいの映画という設定)、映画の最後には「あなたは『アントラム』を鑑賞しました(=呪われました)」のおどかしテロップがご丁寧にも表示される。なんという子供騙し! でもこの子供騙しっぷりに駄菓子的な面白さがあるのも事実。友達なんかで集まってあれこれ突っ込みながら観ると楽しいホラー映画です。

『ブライトバーン/恐怖の拡散者』

もしも『スーパーマン』が悪人だったら…? という触れ込みのスーパーホラー映画。子供ができずに悩んでいた若い夫婦が納屋に墜落した隕石型の宇宙船から宇宙赤ちゃん発見、自分たちの子供として育てるのであったがこの赤ちゃんはスーパーパワーを持っていた。やがて思春期に突入し性などに興味の出てきた元スーパー赤ちゃんのスーパー小学生はスーパーパワーをコントロールすることができなくなり…。設定や展開自体はそう珍しいものではないがゴア描写や殺人のシチュエーションはなかなか悪趣味で強烈。しかしこの映画を特徴付けるのはホラー描写よりもすっとぼけたブラックジョークで、パロディ的な設定もさることながらフェイクニュースの代名詞ブライトバート・ニュースを思わせるタイトルや様々な惨事を詳細不明のままスーパー小学生の凶行と断定して報じる扇情的なニュース番組の挿入には、「トランプ時代のヒーロー映画」の意図を感じずにはいられない。ひねくれた風刺映画として一見の価値あり。

『ザ・ハント』

次から次へと予想の斜め上から登場人物が殺されていく先読み不可能なオープニング約15分が最高! 人里離れた領地(マナー)に集められた男女十数人が姿の見えない何者かの餌食になるマンハントものだが、ジャンルのお約束を逆手に取った意表を突く展開と突発的で容赦のないバイオレンス、コミカルでありつつサスペンスフルでもある卓抜した語り口、そして現代アメリカの政治的分断をニュートラルな視点で皮肉った風刺性で、同ジャンルの他作品とは一線も二線も画す。獲物の一人を演じたベティ・ギルピンの何を考えているのかわからない怖さと反面の頼もしさの同居する奇矯なハードボイルド芝居も斬新な、観る者の常識を揺さぶる必見作。

残酷こわい

『パペット・マスター』(2018)

80年代悪趣味B級映画界を牽引したエンパイア・ピクチャーズの代表的シリーズのリブート作。シリーズ初期の特徴だったエンパイア流のエログロ描写は徐々に失われ前作『パペットマスターと悪魔のオモチャ工場』(2004)ともなるとホラーでさえない人畜無害なファミリーファンタジームービーになっていたが、実に14年ぶりのシリーズ新作ということで作り手にも気合いが入っていたのか今回はファミリー層など無視してエンパイア路線回帰、殺人人形たちが容赦なく人体を突き破り切り刻み肉塊に変えていく。予算的にもエンパイア回帰なのでゴア描写以外はおそらく意識的に全部ショボイがマイケル・パレ、バーバラ・クランプトンのB級スタアにウド・キアまで混ざったキャストは意外と豪華、なんと『サンゲリア』のファビオ・フリッツィによるメランコリックな劇伴も美しく、長寿シリーズの風格漂う(あくまでもC級寄りのB級の)逸品。

『ミスミソウ』

雪に閉ざされた閉鎖的な田舎町で巻き起こる大人不在の中学生バトルロワイヤルを描いた殺伐スプラッター。ホラー映画で人が殺されるのは基本的に楽しいがこれは死ぬのが中学生ばかりなのでキツイ上に、その原因が将来の見えない閉塞感から生じる苛烈なイジメとあって更にキツイ。バイオレンス描写も手加減はしないがそれよりも殺し合いに至る過程の方が痛々しく恐ろしい映画で、些細なボタンの掛け違いや感情のすれ違いの積み重ねで生まれる憎悪の渦は切なくもある。その地獄の受諾の印でもあるような、あるいは地獄からの解放の印でもあるような、真っ赤な血で染まった雪原は凄惨な美しさをたたえている。

『怪怪怪怪物!』

感嘆符が付いているしなんだかコミカルな印象を受けるタイトルだがホラーコメディを想像して挑むと面食らう。単にシリアスホラーであるばかりでなく家庭環境や経済格差から将来に希望の見出せない屈折した高校生たちの蠱毒の如し陰湿イジメを題材に、そこに人間ではないとされる「怪物」が格好のイジメというか監禁拷問の的として投じられることで怪物とは誰のことなのか、何が怪物を産んだのかと問う超硬派な社会派ホラーがこの『怪怪怪怪物!』なのだ。イジメがイジメを呼びイジメることでむしろイジメる側が絶望に堕ちていく光景の救いの無さとその中でイジメ被害者が見つけたたったひとつの救いの凄絶さ。人間は怪物となり怪物は人間となり怖いはずのスプラッターシーンは黒い笑いと解放の光に満たされる。台湾ホラーの底力を見せつけられる強烈作だ。『ミスミソウ』と見比べるのも一興。

『クリプティック・プラズム』

USインディー・ゴア界の巨匠(なのか?)ブライアン・ポーリンのビデオ撮り人体崩壊映画。巨匠の映画であるからしてもちろん奇想天外なゴア描写と特殊造形が最大の見所であることは間違いないが、ラブクラフト・オマージュ系であることが人体崩壊の効果を何倍にも高めていて、かなり重要。実録もののオカルトビデオを撮って糊口をしのいでいた貧乏青年が忽然と住民たちが姿を消したスモールタウンをカメラ片手に訪れるが…というのがそのストーリーだが、人体崩壊の過剰さに反して語り口は異様なほど丁寧で、見知った世界が徐々に想像もつかない何かに浸食されていく不気味さはラブクラフト原作映画よりもラブクラフト作品らしさがある。そして訪れる大崩壊の凄まじさ。ビデオ撮りの自主映画だからと舐めてかかるとびっくりすること必至の一本。当然ラブクラフト好きはマスト。

『ポゼッサー』

ここ数年のホラー映画では最も美しいスプラッター表現を行った映画のひとつ、と断言してしまっても劇場公開レベルのホラー映画が幽霊/トラウマなどの心理的な恐怖を追求するかゴア/暴力などの即物的な恐怖を追求するかのどちらかにほとんど二分され、その二分法を取れば中途半端なものとしか評価できない純粋なスプラッター映画(ゴア映画にあらず)が減少傾向にあるように見える昨今では、過言というほどでもないだろう。他人の肉体をジャックして殺しを行う女殺し屋という使い古されたSF設定をポスト・フェミニズムやジェンダー論の観点に立って再構築した『ポゼッサー』は殺人を通した社会からの、家族からの、肉体からの、人間からの解放を透明な筆致で描き出す。そのユートピアを約束するのが噴き出し流れる血の美しさなのだ。主演アンドレア・ライズボローの生物学的な性や西洋的な美醜の基準から解き放たれた独特の風貌と演技も魅惑的な、見方次第では父親以上に危険なブランドン・クローネンバーグ渾身の問題作。

『ゴーストランドの惨劇』

『マーターズ』で恐怖と痛みの向こう側に突き抜けたパスカル・ロジェによる、向こう側に突き抜けられなかった人たちの残酷物語。世界の反転をあくまでもロジカルに描き出すロジェらしいミステリアスな展開は構成上のトリックに固執するあまりこの物語の持つ恐ろしさを多少減じているような気もするが、その恐怖の余白を脳内補完しようとすれば、一転して実際よりも遙かに恐ろしい映画に見えてくる。結局のところ一番怖いのは人間の想像力で、一番残酷なのも人間の想像力で、などと言ってしまえば身も蓋もないが、その怖さ残酷さを観客に想像させることで逆説的にヒューマニズムを語ろうとしているようにも受け取れるのが『ゴーストランドの惨劇』なのであり、残酷とヒューマニズムは表裏一体のものとしてしか思考することができないというこの映画の提示する現実は、恐怖であると同時に救いでもあるのだろうと思う。

【ママー!これ買ってー!】


Possessor: Uncut [Blu-ray]

国内上映は東京国際映画祭でやったきり。たいへんもったいないので客を呼びにくい映画なのはわかるが頑張って一般公開にこぎ着けて欲しい。

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