ディープ沖縄映画『洗骨』感想文

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洗骨というのは信頼できるインターネットによると火葬導入前の奄美群島や沖縄で見られた葬法だそうで、どこに置くかはバリエーションがあるらしいがまず棺桶に入れた遺体をどっか所定の墓に置いて風葬、数年後にその墓を開けてすっかり白骨化した遺体を親族の女の人たちが水で洗ってアルコールかなんか塗ったりのち、その場で食事して綺麗になった骨を骨壺に入れ直して墓に戻すことを言うらしい。

映画の舞台は現代の沖縄・粟国島ですがそんなのほんとに残ってるんだろうか、と思って検索すると「那覇市立壺屋焼物博物館紀要 第19号」に掲載された「戦後沖縄の〈洗骨〉習俗の変化 ―伝統的ジェンダーと女性たちの選択―」なる小論がヒット。
それによれば従来風葬だった沖縄の現在の火葬率は日本どころか世界的にもトップレベルとのことで、この極端な変化は洗骨の担い手が女性に限定されていたことも大きく関係するらしいが、それはリンク先の本文を読んでもらうとしてともかく、風葬を前提とする洗骨は今ではほぼ不可能になってしまったようだ。

しかし家族単位ではまだ行っているところもあるそうで、NHKドキュメンタリーで放送されてるので奄美の与論島なんかにはギリで残っているらしい(粟国島ではどうか不明)。
映画の中の洗骨は王道洗骨と違って故人の夫を中心に男女関係なく親族でやっていたが、地域の風習としては無くなった葬法が選択的に行われているのだとしたらそのへんは柔軟に変えているのかもしれない。
あるいは映画独自のアレンジかもしれないが、それ以上はもうわからないのでひとまず、劇中の洗骨はモチーフ程度に適当に受け止めておくのがいいっぽい。

ストーリー。妻が死んで早数年、新城家に洗骨の時期がやってくる。夫の信綱( 奥田瑛二)は以来死んだようになってしまって東京から戻ってきた長男(筒井道隆)はいつも不機嫌でやたらと当たりが強い、名古屋から帰った美容師の長女(水崎綾女)は知らぬ間に妊娠、臨月を迎えていて相手の男には逃げられた。
洗骨のために集まったはいいが、各々事情を抱えていてわりとそれどころではない新城家であった。どうなる洗骨。どうなる白骨死体。そんな言い方をするな。

監督はガレッジセールのゴリで製作に入ったのが吉本興業。吉本興業協賛の沖縄国際映画祭とかもあるわけですから沖縄狙ってんなー感もありますが吉本臭が漂うのはハイキングウォーキングの鈴木Q太郎が出ているところぐらいで、監督名義も本名の照屋年之だから吉本映画という感じではなかった。
そもそも僕は吉本映画が嫌いではないので吉本映画でも別に構わなかったが、そのへんちょっと意外でしたね。

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それにしても素晴らしいのは奥田瑛二だ。藤子不二雄の漫画だったらズボラァの効果音が付きそうなズルズルダボダボの動作にファッション、妻が死んだ後もその現実が受け入れられず酒に逃避して、自分の布団の横には二度と使われることのない妻の布団が何年も敷いたまま。
崖下墓の暗闇の中で朽ちていく妻と呼応するように雨戸を閉めて一人きりで家に閉じこもる、のんびりと壮絶なリビングデッドっぷりであった。

泣けてしまうな。それでメンタルの方も荒んでるのかと思ったらそういう感じじゃないんですよね。子供たちには頭が上がらずいつもやさしい、絶対に怒ったりしないで家族だからと私生活に深入りもしないでただ傍にいてくれる。でも圧倒的に頼りないので子供たちからは疎まれているという(その背景にはまた別に色々あるのだが)。
品のあるおっとりとした使えない親父という感じなんですが芯は強い、決意して洗骨に望むときの目の色の変わりようときたら。いやぁ奥田瑛二よかったなぁ。

木々のせせらぎとか街灯にへばりつくヤモリとかどこか死を秘めた自然描写が随所に差し挟まれてちょっと河瀬直美の映画みたいだったりするが、あぁいう厳粛な抽象世界ではなくて奥田瑛二が体現する土着的おっとり感が基調の世界。
奥田瑛二と酒飲み親戚オッサンたちのゆるい沖縄ことば会話なんて可愛らしくて可愛らしくて、というところもありつつ思わぬところで鋭利な言葉や眼差しが飛び出したりするのが独特な味。

本土出身の鈴木Q太郎が洗骨に際して「ここ日本?」と言う。「一応ね」と水崎綾女は返す。何気ないところで刃を向けてきた気がしたのでびっくりしてしまった。
そもそも洗骨なんて廃れた風習を題材に選ぶところからして本土とは違う沖縄アイデンティティというのは強く意識しているのでしょうが、鈴木Q太郎を歓迎する新城家+親族ズも表面的には穏やかだが腹の中は見せようとしない、決してそうとは見せないしそうすることはないけれども攻撃の構えは崩さない。

この静かな攻撃性にはちょっと『3-4×10月』とか『ソナチネ』を頭に浮かべてしまった。言っても本土で活動している全国区のタレントの人が監督なんだし間口の広い万人受けする映画になってんだろうとぶっちゃけ舐めていたが、そうではなくて、いやそうではないわけではないんですが、沖縄出身者としての世界観を口当たり良く標準化したりしないでかなりストレートにぶつけてくる、それが映画としての攻撃性になっていた。

オープニングは葬儀の席での故人の顔面アップ、1分程度のロングテイク。がめつい隣人のコントを挟んでカメラがその棺桶を何気なく俯瞰すると足だけ屈葬のように曲げて縛ってる(これが風葬スタイルなのかどうかは知らない)。
こんな風な人をギョっとさせる静かに攻撃的なショットがのんびりムードの中にいくつもあって、また安易な泣かせなんかには一切走らない乾いた家族ドラマでもあった。

俺は個人的にこの映画の強固な家族主義とか復古主義的なところは受け入れがたいものがあるんですが、オフビートな笑いを織り交ぜながら日常であって日常でないような一種異質な世界を淡々と見せていくのはたいへん面白いと思ったし、その妥協する気のなさには素直に感心したなぁ。
鈴木Q太郎の起用は妥協ではないのかとかそういうことは言うな。確かにわりと滑り気味ではあったとしても。

補足:
通常は女性が行う洗骨をダメ親父の奥田瑛二がやるというのは実は狙ったところなのかもしれない。妻の風葬後に自身もセルフ風葬的な状態に入ってしまったように、その後の新城家において奥田瑛二は二人の子供にとって母親の出来損ないの代理のようなポジションを占めるんであった。
そういえば奥田瑛二に負けじとおばさま方の存在感もなかなかすごいものがあったが、そこになんらかの意図があるかないかはともかく、色々と解釈をしたくなるだけの強度を持った映画だったように思う。

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なんとなく空気感が似ているような気がした。

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