ホアキン爆走映画『ドント・ウォーリー』感想文

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《推定睡眠時間:20分》

風刺漫画家が事故に遭って漫画描けなくなっちゃった話じゃなくて事故に遭ったことで自分の人生を見つめ直さざるを得なくなって、そこで風刺漫画家としての自分を発見した人の話だったのか。
へぇ、人が画業に入る道っていろいろあるもんですね。人生どこに魔が潜んでいるかわかったもんじゃないが、どこに希望が転がってるかもわかったもんじゃない。映画を観ていてどこで睡魔が襲ってくるかだってわかったもんじゃない。

ガス・ヴァン・サントの新作は実在の人物の伝記映画にしてはなんだかずいぶん迂遠な、というかオフビートでトリッキーな作りになっていたのでなかなか捉えどころがない。
いわゆる泣ける映画とは違う。し、伝記映画ともちょっと方向性が違うというか…そのへんあんまり言ってしまうとあれなのだが、ジョン・キャラハンという元アル中の漫画家の半生を描くというよりは、彼を媒介にして抽象的な「救い」というものの現れを描き出そうとした映画のように見えた。

自暴自棄に陥ったキャラハンの背中に聖痕が浮かび上がる場面はびっくりしてしまった。続く救いの霊のチープな合成感(『サスペリア・テルザ』みたいな)にもびっくり。なんだこれは。
アル中治療のためにジョナ・ヒル主催の断酒会に赴くとジョナヒが神がどうとか言っている。そういう系の人なんだろうか。と思えば今度は仏陀を学ぶよう勧めてくる。どういう系の人なんだ。

ジョナヒは彼の神を『チャイルド・プレイ』にちなんでチャッキーと呼ぶ。ニューエイジっぽい人なのかもしれないと思ったがどうも違うようで、やがて分かってくるのはこの人は彼方にいるかもしれない救い主なんか信じていないのだということだった。あのチープな霊描写からすればたぶん、ガス・ヴァン・サントも同様。
じゃあ救いはどこにあるのでしょうというと人と人の繋がりの中にあった。うん、まぁ、そうでしょうね。でもそこに辿り着くまでが長い。辿り着いたと思ったらスタッフロールに入ってしまった。言葉で言えば一秒だが、人には人が救えるということを人が肌で理解することがいかに難しいか、それが映画の主題だったんだろう。

酒瓶を抱いて未舗装路を電動車椅子で爆走するジョン・キャラハン=ホアキン・フェニックスがなんとなく可笑しい。いや全然笑える場面ではないんですが、脊髄をやられて足腰は動かず腕は動くが指は無理、という中で絶望するホアキンの一挙手一投足を一歩引いたところから慈しむようにカメラが捉えていくんで悲壮感とかなくて、どんな場面でもほんのりとユーモアがある。

ホアキンの車椅子爆走は映画の最初の方でも出てくるが酒瓶爆走とは意味合いがだいぶ違う。こっちの爆走はもし倒れてもきっと誰かが助けてくれると信じているからの爆走で、酒瓶爆走(および事故った際の爆走)は誰も助けちゃくれないと思っているからの爆走。
映画は変則的な回想形式を取っていて、この信頼の爆走の境地に至るまでにホアキンが体験したことがエッセイ的に綴られていく。大したことは何も起らないが、その大したことのなさがなかなか沁みる感じではあった。

まぁ人生たぶんなんとかなりますから大丈夫。いざ死にそうになったらきっと誰かが助けてくれんだろう、だから逆に死にそうな人を見かけたらこっちも声をかけるぐらいはしといた方がいいだろう。
10連休による給与減でメンタル崩壊の危機にあった非正規雇用の時給労働者としては少しだけ救われた気になる映画体験であった。

あとホアキンの酩酊芝居はやっぱ良いっすね。ホアキンは酔っ払ってからが本番。酔拳か。

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よーく

あぁそうか、すげー初歩的なとこ見落としてた気がするけど車椅子の爆走はめっちゃ印象に残る画だけどそういえばそもそも事故った原因も飲酒での爆走でしたね。
爆走映画だなこれは。ホアキンの感情も上がってるときと下がってるときの落差が激しくて感情の落差も爆走気味だったようにも思える。
時間軸がコロコロ変わるのが演出上のブレーキになってる感じがしますが基本的にガンガン突き進んでいく感じで迷いのない映画だよなとも思いました。
確かガス・ヴァン・サント本人がインタビューかなんかで「アル中の苦しみよりもそこから立ち直る過程を描きたかった」みたいなことを言ってたので意図的に、何とかなるよ、大丈夫だよ、という雰囲気に仕上がってるのだと思います。
ラストのカットが非常に好きで、車椅子のまま斜面をターンしようとしてコケちゃうっていうのはジョン・キャラハンへのある種の敬意の表れなんでしょうね。最後まで爆走だ(笑)。