スタア臨終映画『ジュディ 虹の彼方に』感想文

投稿日: カテゴリー 居眠り映画館タグ , , , , , , , ,

《推定睡眠時間:0分》

MGM総帥ルイス・B・メイヤーが主役抜擢に不安を隠せない子役時代のジュディ・ガーランドに彼女が取るべき道を語るその場は『オズの魔法使』のスタジオセット。元の世界に戻るかい? それとも…まるで、フランク・モーガンが演じたオズの大魔法使いの如しルイス・B・メイヤー。『オズの魔法使』で大魔法使いがドロシーを虹の向こうにあるオズ王国に誘ったようにルイス・B・メイヤーはジュディ・ガーランドを夢の国ハリウッドへと誘うのだ。

カカシとロボットとライオンと一緒にオズ王国を冒険した末に辿り着いたお城で、ドロシーはおそろしいおそろしい存在に思えたオズの大魔法使いの正体がわりとそこらへんのオッサンであったことを見破った。それはたのしい夢だったがしょせんは夢に過ぎなかった。ドロシーはちょっと幻滅する。同時に現実世界で闘う力も得る。つらい現実から逃れるために夢の国オズ王国を求めたドロシーはこうして夢から目を覚ます。

だがジュディ・ガーランドは『オズの魔法使』の後も夢から覚めることはなかった。あるいはその逆。ドロシーは竜巻に巻き込まれ意識を失ってオズ王国に辿り着くが、慢性的な不眠に悩まされていたジュディ・ガーランドは意識を失うことができなかった。アンフェタミンのせいだ。体型維持のため、長時間の撮影のため、ハリウッドで生きるためにジュディ・ガーランドは何も知らされずに子役デビュー当初よりアンフェタミンの服用をMGM側から強いられていた。眠ることさえできれば虹の向こうに行けるかもしれないのに。ジュディ・ガーランドはハリウッドの夢の中で夢を夢見続ける。

いいなこのオープニング。ハリウッドの虚構と残酷を端的に表現。黄金期(どの時期を黄金期とするかはひとまず置いておくとして)ハリウッドに人権などなかったということは今やポリティカル・コレクトネスの最前線となった最新ハリウッド映画を観ていると忘れてしまいそうになりますが脛の傷はそう簡単に消せません。いやむしろ今だって、いつだって、ハリウッドは血で血を洗う酷薄地帯。『ジュディ』はそれを少しも露悪的でない形で見せてくれる。

その抑制された作劇が逆説的に際立たせるのはレネー・ゼルウィガー演じるジュディ・ガーランドの落ちぶれっぷりなのだから周到で辛辣な映画だなぁと思う。いくつかの短い回想シーンを除けば映画で描かれるのは晩年の落ちぶれジュディ・ガーランドだけだし、回想の中で彼女が摂取させられていた薬物もアンフェタミンとは明示されない。本当は語られないハリウッドの残酷とジュディ・ガーランドの受難があったのだ。でもなんとなく観ている分にはあんまりそんな風には思わない。

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ロンドン公演の舞台にへべれけ状態で立ったジュディ・ガーランドに観客はちゃんと歌えと罵声を浴びせかける。そこにはたぶん、この映画を観ているジュディ・ガーランドをあんま知らない観客の心の声もいくばくか混ざっているはずである。なんだか映画を観ている俺までもジュディ・ガーランドを追い詰めたように思えてきたし、そう思わせたら成功なんだろう。

『オズの魔法使』のセットを使ったオープニング・シークエンスのだまし絵的な仕掛けは観客を巻き込んでスクリーンの外まで拡張される。監督のルパート・グールドは舞台畑の人だそうで、なるほどその経験が活かされたと思しき役者と観客の関係性を取り込んだ演出は見事の一言。スタアというのは良くも悪くも観客が作り上げるもの。ルイス・B・メイヤーも若ジュディを君は普通の女の子のためにスタアになるんだよとかなんとか言って誘惑する。よく考えられた映画だなと思う。

ドラマ的なところで言うとジュディ・ガーランドの歩みをかなりバッサリ大剪定。晩年のロンドン公演に焦点を絞って彼女の略歴であるとかプライベートな人間関係の描写なんかは最低限に留める。娘のライザ・ミネリとかも1シーン2シーンしか出てこなかったんじゃないだろうか。ステージ(セット)こそがジュディ・ガーランドの生きる場所、みたいなことなんだろうな。プライベートの空虚さと華やかなステージの対比が切ない。

でそのステージ、レネー・ゼルウィガー超熱演。とくに初日がすごいんです初日が。久しぶりの大舞台で自分は観客の期待に応えることができないんじゃないか、観客から見放されるんじゃないかっていう強迫観念に苛まれつつ舞台に上がるとジュディ・ガーランドは一気にスタアになる。なりたくてなってるんじゃなくてもう自然に客の前に出るとスタアを演じてしまう。ここでのレネー・ゼルウィガー、表情は引きつって身体はまるで操り人形みたいにギクシャクしてとても見ていられないのだが、吹き替えかどうかとかは知らないがその歌声はあくまで力強く美しい。

ステージの残酷と魅惑、スタアであることの過酷と崇高が渾然一体となった素晴らしいパフォーマンスだったし、公演を重ねる中で、あくまでステージの上でジュディ・ガーランドの心境の変化を表現しているのも素晴らしい。あんなにつらそうだったギクシャクパフォーマンスがラスト公演では…というところ、実に泣けましたなぁ。

ジュディ・ガーランドは同性愛者のアイコンだから彼女を愛するゲイカップルがコメディリリーフというか和ませ役として出てくる。それがちょっと『オズの魔法使』のお供たちを思わせるのはたぶん確信犯的な演出である。ドロシーは一人ではオズの大魔法使いに会いに行けない。ジュディ・ガーランドがオズの大魔法使いが正体がわりとそこらへんのオッサンであったことに気付くためには、ルイス・B・メイヤーは今の自分までも支配しているわけではないと気付くためには、ハリウッドの苛烈な過去に縛られることなんかないと気付くためには観客の鑑なゲイカップルが必要だったのだ。

そこも泣けるところで…いやぁ、短い中にもショウビズ業界の裏表、ハリウッドの功罪、くるくる変わるスタアと観客の関係、そこにある一抹の救いを描き切って、ラストは慎ましくも荘厳にハリウッドに殺された大女優ジュディ・ガーランドを追悼。すばらしい。いや実にすばらしい『スタア臨終』映画でしたね。

※ジュディ・ガーランドがゲイカップル宅ではじめて見せる打ちとけた笑顔は美しかった。

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あのデヴィッド・リンチにもバイオレンス翻案映画を作らせるのだから『オズの魔法使』とジュディ・ガーランドがもたらしたものは大きい。

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