本気系おとぎ話映画『ほんとうのピノッキオ』感想文

《推定睡眠時間:0分》

いやもう感動感動、こういう感動は久しぶりだなーと思ったのがさ、なんていうか、最近のとくに欧米のメジャー資本映画って(といっても広いけど)基本的に演出の映画になってると思ってて、かなり乱暴に言ってしまえばどんな脚本でもどんな被写体でももう関係ない。こういうカメラワークで撮れば観客はエキサイトする、こういう編集にすれば観客は飽きずに観ていられる、こういう音楽を付ければ観客は画面に没入してこういう演技をすれば観客の涙を誘う…みたいな、そういう演出面で観客の心理を操作するテクニックっていうのが非常に洗練されてかつ共有されて、観客の感情を激しくかき乱せば観客は「これはすごい映画だ超絶傑作!」とか思ってくれるので金になるしネットでの口コミ宣伝にもなるし、だからもう何を作るかじゃなくてどう作るかっていうのばっか売れたい映画監督は考えるんですよね。で実際そういうのを観てこっちも楽しんだり感動したりするわけだからそれ別に間違ってないわけですよ、商売として。

この『ほんとうのピノッキオ』の何に感動したってこれは演出の映画じゃないんですよね。作るわけですよ。やんちゃなピノッキオくん(ピノキオで育ってるのでこの表記はちょっと恥ずかしさがあるが…)とジェペットおじさん(これもゼペットに慣れ親しんできたので…)が暮らすおとぎ話の世界を全部作っちゃうんです、物質的に、セットとか特殊メイクで。それはちょっと感動的だよね。いや言いたくないよ? CGがダメとか言いたくないし思ってないしそもそもこの映画だってそれメインじゃないとしてもCG全然使ってるし、だけど、CGメインで映画の中の世界を作るのってやっぱ演出の一部みたいなところあるじゃないですか。だってそこは監督なんかの裁量で後から変えられるわけだし。

物質的にセットとか特殊メイクとか衣装とか室内装飾を作っちゃうとそれは基本的に後から変更ができないもので、作っちゃったらとりあえずそれを撮るしかないみたいなところあるじゃないですか。それなんですよね。既に出来上がった虚構の世界を人間たちが間借りして絵空事を本気で演じてる感に何か神妙なものがあって、同時に、そのカメラが観客の感情をコントロールするためじゃなくてあくまで虚構の世界を記録するために向けられてるっていうことにグッとくるんですよ。

逆に言えばどんなに壮大な映像絵巻が展開されていても感動できない映画っていうのは、これは俺の場合ですけどカメラを被写体のために使ってないように感じられるところがあって、すごく丹念に撮っているように見えても本質的にはその世界を大事にしてないし信頼してもいないっていう気がする。どんなに丹念に撮り上げられた映像でもそれで観客の感情を動かそうとする意図が透けて見えたら白けちゃいますよね。

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これは面白いおとぎ話とつまらないおとぎ話の違いでもあるかもしれない。「このお話はあなたぐらいの年齢の子供に合わせて作られたおとぎ話ですよ~」みたいなおとぎ話はつまらないですよ。そう感じさせないのが子供が夢中になる面白いおとぎ話で、つまり『ほんとうのピノッキオ』は後者の素晴らしいおとぎ話の映画だったというわけです。

なんかこれ以上は書くのが野暮な気がしてきた。そうだなぁあとなんか付け加えるとすれば、パンフレットとか読んでもとくに言及されてはいないんですけど、結構この映画はセット主義とか汚しの付け方とかモンティ・パイソン風のユーモアとかでテリー・ギリアムの底抜け大名作ファンタジー『バロン』を彷彿とさせて、っていうのもギリアムはディズニー版の『ピノキオ』を子供の頃に観て多大なる影響を受けてるんで『バロン』の終盤にもクジラに飲まれるっていう『ピノキオ』から取られたシークエンスがありますけど、『バロン』てイタリア人スタッフのそれもジュゼッペ・ロトゥンノとかダンテ・フェレッティとかっていう一流を集めてイタリアとスペインで撮ってるから、その仕事の記憶が『ほんとうのピノッキオ』の底に流れててもそうおかしなことじゃない。

ギリアムが心酔してるのはあくまでもディズニー映画版の『ピノキオ』で、『ほんとうのピノッキオ』の方は監督が実録情無用マフィア映画『ゴモラ』のマッテオ・ガローネっていうだけあって(?)広く知られた「よい子のための」ディズニー版からはオミットされた原作『ピノッキオの冒険』の不条理な部分とかダークな部分を原作に準拠してちゃんと前に出したディズニー版のアンチテーゼっていうところがあるんでギリアムとは向く方向が反対なんですけど、でも不思議と似るのが面白いところでもあり、ちょっとしみじみとさせられるところでもあり。

そこには表面的なストーリーの違いぐらいじゃ左右されない『ピノッキオ』という童話の持つイメージの力強さと普遍性を感じたりするし、それは演出よりも美術を優先してカメラがそれを余さず丁寧に写し取ろうとすれば、たとえ撮影用のセットや衣装や特殊メイクでもちゃんとホンモノの魂が宿るんだみたいなこの映画の(そしてギリアム映画の)撮影思想とも通じて、映画の持つ無限の可能性を感じさせてくれたりもするのです。

【ママー!これ買ってー!】


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この頃のギリアムが『ピノッキオ』を撮ったとしたら『ほんとうのピノッキオ』みたいになっていたんじゃないだろうか。

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