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最近は「犬は無事です」なんてネットミームまであってなんでもたとえ映画の中でもワンちゃんが死ぬのは見たくないから犬が死ぬor生きるかを事前に教えて欲しいというセンシティブな人が一定程度いるという話だが、元来ワンちゃんはゲーム『バイオハザード』のゾンビ犬やキング原作映画『クジョー』の狂犬病セントバーナードなどを見ればわかるように人間殺戮兵器である。なにせ祖先はオオカミ、それを人間が長い歴史の中で飼い慣らして今の形になったのだから、人間ごときにいちいち守られないでも本当はワイルドに生きていくことが可能であり、それを人間の保護がないとすぐ死んじゃう哀れで健気で愛くるしいだけのペット生物と捉えるのは、ワンちゃんにとって失礼なことであろう。
ワンちゃんにも人間同様に守られるべき尊厳がある。だとすれば裁判を受ける権利だってあるはずだ。…そうか? でもとりあえずそういう前提を受け入れてもらうしかない映画が『犬の裁判』であった。女性ばかり三人も噛んでしまったので法令により殺処分が決まったはずのワンちゃん。しかし視覚障害を持つその飼い主(盲導犬というわけではない)がぜったいに殺処分ヤダと弁護士の主人公に話を持ち込んだのでこの暴れん坊ワンちゃんは裁判を受けることになるのである。
舞台はスイスで実話に基づく映画というがこれはいったいどういう法的根拠があっての裁判なのだろうか。ぜひとも知りたいその俺的肝心なところはなんかはぐらかされてしまったのでよくわからないのだが、ともかくこうしてワンちゃんの生死をかけた前代未聞のどうぶつ裁判が始まるのであった。犬が最終的に無事かどうかはこの映画の場合ネタバレになってしまうのでヒ・ミ・ツである。
明らかに人を食ったコミカルな映画と思わせるタイトルとプロットだが実際に観てみるとコミカルなのはそうだがなんかいろいろと世の中の矛盾とか問題点を炙り出す問題提起的な作り。「犬は無事です」派とまではいかなくともこっちからすればワンちゃんの殺処分なんか許せないあたりまえなわけですがー、この暴れん坊ワンちゃんに噛まれた三人のうち一人はポーランドから出稼ぎにやってきた外国人家政婦とかの人、半ば無自覚的にまぁ噛まれたなんつってもどうせ大した怪我じゃねぇから別にいいだろとワンちゃん>外国人出稼ぎ労働者の図式を頭の中に作ってしまっているわけだが、よく考えてみればこれは差別とまではいわずとも外国人出稼ぎ労働者の軽視なのではないだろうか?
エメリッヒの傑作ドリフ的コメディ『2012』には世界崩壊の危機に超一握りの特権的人々だけが助かるためにハイテク箱舟が建造され、そこからあぶれた貧民どもを尻目に金持ちのワンちゃんが悠々乗船を果たすというハイブロウな風刺ジョークが出てくるが、あんたらもその金持ちどもと同じようなもんですよと観客に釘を刺す『犬の裁判』のミスリードはなかなか巧い。あとコミカルといっても出てくる下ネタはフランスの監督が作ってるだけあって比較的えげつない。
そのへんは面白いのだが、ただどうしてワンちゃんが裁判を受けることになったのか、その法的根拠はなんなのかという説明がスルーされていたように、ワンちゃんの裁判そのものの面白さはあまり引き出せておらず、ワンちゃん裁判を通して見えるスイス社会…ていうかみんなフランス語喋ってるしキャストもフランスの人なのでスイスで起こったことをフランスに移し替えてるというかスイスの事件を通してフランス社会を見せている感じなのだが、そちらの方に力点が置かれてしまっているのはちょっともったいない。
ポスターを見たら『ACIDE/アシッド』のレティシア・ドッシュ監督作と書いてあってなるほどな~『アシッド』の監督か~あの映画もそういえば人を溶かす殺人雨とかいう超おもしろそうなものの被害(人間がドロドロになるところ)を全然見せてくれず社会の縮図みたいのばっか見せられる残念作だったよな~と納得してしまったが、後で調べたらレティシア・ドッシュは『アシッド』の監督ではなく出演者。この『犬の裁判』では監督・脚本のみならず自ら主人公の弁護士も演じているが、今回長編映画初監督だそうで、そうと思えばまぁこんなもんじゃねかもしれない。
いろいろと投げっぱなしのまま終わってしまう結末は散歩両論…いやいや、じゃなくて、賛否両論あるでしょうが、現代西側先進国の社会的分断状況を何の解決策も提示せず観客に投げつけるのはそれはそれでアリ。ハリウッド的予定調和と偽善的ヒューマニズムの方が気持ちよいのは間違いないが、とはいえそんな甘言にばっかり浸かっているから分断状況が生まれるのだとも言えるわけで、世の中はたいていの場合わかりやすい善悪はなく物事はきれいに決着がつくこともないと示す姿勢は、そうした風潮に抗うためのものだったのかもしれない。
われわれはとみなさんも一方的な俺主観により勝手に巻き込んで書いてしまうがみんなワンちゃんが大好きでワンちゃんといえば超かわいい生物である。しかしそのワンちゃんだいすき人間たちがかわいいかわいいと言いながら人間の生活に合わせてワンちゃんの意志など無関係に愛玩用に交配改造したり大人しくさせて繁殖しないように去勢したりという人間に置き換えればナチスの優生思想みたいなことを日々ワンちゃんに対して行っているわけである。そこにワンちゃんの尊厳はあるのだろうか? 本当にワンちゃんという存在を愛するならペットとして家に監禁して飼うという発想自体が間違っているのではないだろうか?
俺は「ペットが逃げました! 見つけたらご一報を!」という尋ねペットの貼り紙とかを見ると、もしもそのペットにとって飼い主の家が本当に居心地の良い場所なら、決して逃げたりはしないだろうといささか意地悪なことを考えてしまうのだが、この映画もまたそんなようなことを考えさせるのであった。映画としては巧くないところもあるが、愛犬なら観ておいて損なしだワン。