ボウイも人の子映画『スターダスト』感想文

《推定睡眠時間:0分》

始まってすぐに『世界を売った男』リリース後のデヴィッド・ボウイがツアーのために単身渡米するのだがその際の入国審査が印象的で、入国審査官はお前は同性愛者かとかドラッグはやるかとか精神疾患はあるかとか失礼千万な質問をその頃イギリスでは既に『スペイス・オディティ』のヒットで名が知られていたもののアメリカでは無名に近かったボウイに投げつける。ボウイは質問に少し困ったような曖昧な笑顔を浮かべながらやんわりと否定する。実際にはそのどれもが明確に否定できるものではなかったのでペルソナを被ったわけである。ボウイはそこでアメリカが仮面の国だと思い知らされるのだ。

『スターダスト』はボウイの名声を確固たるものにした代表作『ジギー・スターダスト』がいかにして生まれたを描くもので、エルトン・ジョンの『ロケットマン』やフレディ・マーキュリーの『ボヘミアン・ラプソディ』に続く英国レジェンド級ロックアーティスト伝記もの、構成っていうかアーティスト解釈の方向性もわりかし同じようなもので「あのロックスターの名声の裏にはこんな孤独が!」みたいな感じ。違うのは名盤・名ペルソナ誕生前夜の物語であるからしてライブシーンがほとんど無いところか。楽曲ではなくペルソナでもなくあくまでも素顔の人間ボウイを捉えようとした映画なのである。

というわけでそのスタンスが明示されるのが入国審査でボウイが戸惑いながらアメリカ向けのペルソナを被るシーンなのだが、ファーストシーンの『2001年宇宙の旅』パスティーシュはその逆をイメージで表現したものでこれまた印象的である。ボウイの『スペイス・オディティ(Space Oddity)』はアポロ計画と『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』に想を得たもので曲名はそのパロディだが、『スターダスト』でジョニー・フリンが演じるボウイはここで『2001年』のボーマン船長に扮し、スターゲイトを抜けて『2001年』の寝室ではなくどこかの施設に辿り着く。

その施設がどこかというのは一応伏せておくが、これが何を意味するかといえば、ボウイは『スペイス・オディティ』でトム少佐のペルソナを被って本格的に音楽業界に旅立ったが、その旅の末に辿り着いたのはボウイのパーソナルな関心事であり、トム少佐のペルソナはそこに地肌を晒すと凍りついてしまうパーソナルな関心事から自分を守るための一種の宇宙服だった、というのがひとつと、もうひとつはそのパーソナルな関心事を反映した『世界を売った男』が『スペイス・オディティ』の後に製作されたアルバムであることをこのイメージショット的パスティーシュは示すわけである。ボウイは多彩なイメージやモチーフを自在に操って何重にも重ねる人なので映画もハイコンテクストなのだ。

という風にしてぼく一応ボウイ好きな人に分類されるタイプだと思うのでそういう人はアンジーもミック・ロンソンもトニー・ヴィスコンティもマーク・ボラン(ジギーを見てる時の顔!)も出てくるのでああそういうことねなるほどね的に楽しめると思いますしそうでなくても俺はイギリスじゃスタアなんだぜと無名のくせに偉そうに振る舞う傲慢な若造ボウイのアメリカ珍道中は微笑ましく見れるんじゃないかと思う。ボウイはセルフプロデュース力の高すぎる人なのでこれボウイが生きてたら絶対無理な企画だったな。こんなそこらへんの普通にダメな若者っぽいボウイは見たことないよ。フィクション映画の中のこととはいえボウイを見てあるあるー俺もこういうのあるわーってなる日が来るとは思わなかったね。

ただボウイが生きてたら無理だったと思うのは単にボウイが生命力弱めの等身大の若者として描かれてるからってだけじゃなくて、この映画は『世界を売った男』と『ジギー・スターダスト』の背後にあるものを独自の解釈で…とかもうボカしてもあんま意味ない気がしてきたので言っちゃいますけど精神科病院の閉鎖病棟に入ってたボウイの兄貴テリーの存在が『世界を売った男』と『ジギー・スターダスト』を作らせたんだよっていうストーリーになっててアルバムを構成するそれ以外の要素とかボウイの来歴はバッサリとオミットしちゃってるんだよな。

『ジギー』に関してはテリーの存在だけじゃなくて入国審査に始まるアメリカツアー(とは名ばかりの売り込み)での様々な経験をコラージュして出来上がりましたっていうのをちゃんと描いてるんですけど、でもその描き方がまるでアンジーのパペットだったボウイが『ジギー』で初めて自分の手で作品/ペルソナを作り上げた…みたいな感じになってて、それは結構強引っていうか無茶な解釈ですよさすがに。

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『世界を売った男』と『ジギー』の間にリリースされた名曲満載の『ハンキー・ドリー』は一切言及されないし、コラージュ的な手法はなにも『ジギー』で初めて用いたものではないし、テリーから目を背けるためだったり、あるいはテリーの夢を叶えるためにボウイはペルソナを被ったんだっていう感動的なストーリーも…それはまぁ一面ではそういうところもあるかもしれないけれども、それだけにボウイのペルソナ癖を求めるのはリンゼイ・ケンプに私淑してちょっとだけパントマイムをかじったり(その下手なパントマイムは劇中でも見れる)中途半端にニーチェにかぶれたり前衛絵画っぽいスケッチを描いてみたりとかあれこれ関心は寄せるがどれもアマチュアの域は出ないボウイのいい加減な性格と多動的な経歴を無視して単純なイイ話にしすぎだろう。

なんか流れでディスってるみたいになったがこれ別にディスってないですからね。そういうところがボウイは天才なんだよなぁという話で、ボウイは本物っていう概念にあまり関心がなくてそこに執着しないから次から次へとペルソナを掛け替えて流行の音楽があれば敏感に察知してガンガン取り入れてって感じでずっと新しいアーティストでいられた、っていうのがインダストリアル・ロックなるものが流行ってるらしいと聞きつけ更にはデヴィッド・リンチの『ツイン・ピークス』も流行ってたからじゃあそれも一緒に入れちゃおうってわけで節操なく表面だけ吸収してそれっぽい音楽世界を作り上げたコンセプト・アルバム『アウトサイド』が初ボウイにして初自分の金で買ったCDだった俺のボウイ観で、実際『アウトサイド』後のボウイは何度目かわからんブームがアメリカに来てクリエイティブ的にもかなり油が乗ってたのでそれはたぶんそんなに間違ってはいない。

『スターダスト』は面白かったし好きなんですけど、そういう浮遊するアーティストとしての、越境するアーティストとしての、解放された人間としてのボウイを泣ける家族愛ドラマを盛り上げるために切り捨ててしまってるようなところがあって、ボウイの伝記映画としてそれはどうなのかな~ってなる。でもこの映画自体がボウイの一つのペルソナのコンセプト・アルバムに見えるから結局楽しめてしまうんだよな。

それを言ったらなんだってアリになってしまうがボウイなら別になんだってアリで構わないわけで、ボウイがモルカーになるアニメというのが仮にあるとしたらいやないんですがまぁあるとしてだ! それはそれでボウイっぽいなってなる。ボウイがウミウミとして海底を這いずる絶対に嘘な伝記映画が今後作られてもまぁボウイならウミウシの過去ぐらいは…って受け入れてしまえるんである。さすがにウミウシ伝記を信じるほど俺は純粋なファンではないとしても。

ボウイ役とかいうオファーを受けた段階で死ぬ人もいるかもしれない激大役を不自然な自然体で演じたジョニー・フリンは顔立ちもボウイに似てるが歯並びもボウイに似てるのですごい。そのへんはメイキャップの功績も大きいのかもしれないが天然っぽいボケーっとしたところとかジョークがだいたいスベってるところとか自己中心的なところとかもボウイっぽいわーって思うのでこれはこの人がボウイを研究してペルソナを血肉化してるってことなんでしょうねってまた悪口みたいになってる! 違うんだって! そこも含めてボウイは偉大なの! アホの子っぽい素の状態から急に鋭い思考がグサグサと飛び出してくる三年寝太郎みたいな人ですから! そのたとえはどうなのか。

あとこの映画だとちょっとしか出てこない上にコメディリリーフみたいになってますけどボウイの初期を支えた盟友ミック・ロンソンが良い味出してました。スパイダース・フロム・マーズとしてステージに上がる時に派手派手衣装を拒絶するの、笑ったよな。あれはきっとあんな感じだったと思うよ実際。アンジーとかマーク・ボランの雰囲気もよく出てたと思うし、映像も記録映画版『ジギー・スターダスト』を模倣したりとかして、派手さはないがよくできた小品として…それがまたボウイのしかもジギー前夜の伝記映画でこんな小品かいっていう意外性があって面白いんだよ。正統派だけど変な映画。それはそれでボウイ的。

【ママー!これ買ってー!】


ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ

ボウイのディスコグラフィーの中では評価が低い方っていうかそもそも良いとか悪いとか評価する声自体をあんま聞かない地味な一作だがボウイ流のスムーズ・ジャズのアルバムとして個人的には結構視聴頻度が高いやつ。でもこんなリラックスムードのアルバムなのにテリーの死をテーマにした『ジャンプ・ゼイ・セイ』とかが入ってたりするのでやはりボウイはおそろしいアーティストです。『ブレードランナー』とか『審判』(ウェルズ)とか『ラ・ジュテ』とかのカルト映画を引用したかっこいいMVだとボウイ自身が自殺しちゃうし(ちなみに『スターダスト』にもこれを意識したようなシーンがある)

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