防疫全体主義映画『フロントライン』感想文

《推定睡眠時間:2分》

やぁみんな! 新型コロナウイルス、感染したかな!? 今なお新コロに苦しむ人がいる中でそんな脳天気なトーンで書き始める話題でもない気がするが俺はたしか2022頃のクリスマスに一度新コロ陽性となってその後か前にも一度罹ったと思う。幸いにも軽軽症ぐらいで済んだとはいえその後ノーマルな風邪にかかって実感したが新コロは大変である。俺程度の自宅待機な軽軽症でも熱出る苦しい咳止まらない苦しい喉痛い苦しい頭痛い苦しい全身の関節という関節が痛い苦しいとたくさん苦しく寝返りをうつことすらツラい始末。一人暮らしの上に食料備蓄もないから買い出しにも行く体力も奪われ死ぬんじゃないかと思ったしそれまで結婚願望なんかぜんぜん無かったのにめちゃくちゃ結婚願望芽生えたね。今これを読みながらそやったそやったと頷いている人も感染力爆裂ウイルスゆえ少なくないんじゃないでしょーか。結婚願望はともかくとして。

さてそんなに大変なウイルスとくれば人としてどうかとは思いつつパニック映画の題材にはぴったりだと思ってしまうのは一応の映画好きとして仕方の無いこと。『アウトブレイク』とか『コンテイジョン』とか面白いもんな。というわけで日本における新コロパニックの開幕を告げることとなった2020年2月発生の豪華クルーズ船ダイアモンド・プリンセス号新コロ集団感染を題材に豪華キャストが集結したこの映画『フロントライン』、まぁ配給がワーナー・ブラザースという時点でワーナーの邦画はしょうもないやつばかりなので期待なんかまるでしておらず、なんか知らんけど『海猿』とかああいう日本のテレビドラマによくあるレスキューものみたいな感じだろと斜めに構えていたわけだが、それでもしょうもないなりに面白い映画だろうと雑に思っていた…が! ががが!!!!

なんじゃこりゃ全然ウイルスパニックものじゃねぇじゃねーか! 無い! その時点ではほぼ未知のウイルスである新コロに対処する恐怖が! 新コロに苦しむ乗客船員たちの姿が! 次から次へと立ちはだかる未曾有の難問が! あるのは事態収拾のためにダイプリに派遣されたDMAT(災害派遣医療チーム)の面々と厚労省の官僚が冷静沈着にスパスパと現場をさばいていく姿のみ! いざ難問ぽいものが現れてもDMATリーダーの小栗旬か現場指揮官の窪塚洋介が一声発すれば秒で解決してしまうのだからこうなるとパニックものなのかどうかもよくわからない! レスキューお仕事ものであることは間違いないが!

まぁそんなもんだろうとある程度予想していたとはいえ、ネットでは賛否否否両論ぐらいの福島原発事故映画『Fukushima 50』でさえちゃんと炉心溶融を起こした原子炉のコワさを原子炉を怪獣に見立てて描いていたのに、この『フロントライン』にはそういう新コロのコワさを感じさせる場面が皆無に近いほどないというのはさすがにいかがなものであろうか。だがいかがなものであろうかポイントはそれだけではない。新コロのコワさと対処の難しさがほぼほぼ描かれない代わりに、この映画ではダイプリ船内の感染拡大を(※映画の中では)嬉々として報じるマスコミ、そしてダイプリ船内でのDMATの感染症対策の不備をネットで指摘した岩田健太郎医師(一応別名にはなっているが当時の発言要旨はそのまま引用されている)が新コロ以上の悪役として描かれ、とくに岩田健太郎に対しては誰も新コロには文句を言わないのに「(岩田健太郎を)ぶん殴りたいよ!」なんてセリフも出てくる恫喝に近い憤りっぷりである。それはさすがにいかがなものか!

岩田健太郎の告発(?)には当時も批判はあったが、ただしそれは映画の中で言われるように「ウソ」だからというわけではなく、岩田健太郎が感染症の専門医であるのに対して災害時の緊急治療等を目的として設立されたDMATは劇中でも語られるように防疫や感染症対応は職務に入っていないため(2022年からは感染症対応も職務に加わる)、考え方が違うだけでなく前例の無い事態で対応が難しかったことによる。岩田健太郎の指摘は理想としてはそうあるべきという話で、実際に当時のDMATにそれができたかといえば必ずしもそうではないと考えられ、また日本はアメリカのCDCに相当する機関も存在しなかったため、国の方でも指揮体制が整っていなかった。要するに未曾有の事態に国もどうしていいかわからない中でDMATはある種の決死隊としてダイプリに投入されたわけで、そんな状況では理想的な感染症対策など行うことは不可能だろうし、そうした問題点を改善するフィードバックのフローも人員もなかったわけである。

そうとすれば必要なのは現場で治療にあたるDMATの医師たちの安全を守るためにこそ(医師が感染しては患者の治療などできないではないか)ダイプリにおけるDMATの感染症対応は正しかったのか検証し、その教訓を次に生かすことだと思うのだが、この映画ではダイプリの状況を報道するマスコミが悪い! いやなによりも感染症の専門医としての見解を発信した岩田健太郎が悪い! あんなヤツはウソつき野郎だわ! …と怪気炎を上げるのだからだいぶなんていうかそうだなうーん言葉を選べばストレンジもしくはファニーである。

たぶんこれは監督よりもでかく名前がクレジットされている企画・プロデュース・脚本三役の兼任した増本淳なる人物の思想が強く溢れ出てしまっているのだろう。企画もプロデュースも脚本までも自分ということは相当な入魂作と思われるが、この人、フィルモグラフィーを見ると『救命病棟24時』とか『Dr.コトー診療所』とか『コード・ブルー』とかとにかく現場のお医者さんのドラマばかりプロデュースしまくっている現場医療ドラマ職人である。わかる、わかるよ、現場のお医者さんカッコいいよな、大変だよな、労ってあげたいよな…まぁそこまでは理解できるが、現場愛があまりにも強くスパークしてしまい新コロではなくマスコミと岩田健太郎が諸悪の根源という特殊思想に達してしまったようである。

新型コロナ禍も誰も公に総括しようとしないままなんとぁく終わった感じになっている昨今だが、これも一つのコロナ禍の教訓として大いに議論すべきだろうと個人的に思っているのが、防疫全体主義ともいうべき思考が新コロ最盛期には主にツイッターを介して広く蔓延してしまったことである。たとえばワクチンを打たない人に対する執拗にして徹底的な攻撃。日本では新コロワクチン接種はあくまでも任意であり、打った方がよいだろうと判断したので俺は無料で打てた分は全て打っているが、とはいえ打たないと判断するのもその人の自由。ところがこうした態度を表明した人はツイッターでは強い非難に晒され陰謀論者だと十把一絡げに嘲笑されたもので、これは右派や保守派だけでなく左派やリベラルといった個人の自由を尊重する人々にさえ一般的に見られたのであった(というよりも、あくまでも体感の話でいえば、進歩的な価値観を持っている人の方がそうした非難に積極的だったようにすら思う)

現場の努力をただただ称揚するばかりでその問題点の分析を拒絶し敵視さえする『フロントライン』のような映画は、こうした防疫全体主義のひとつの結晶じゃあなかろうか。個人的にはこの映画の分析を通じて新コロ禍が人々の思考にどのような傷痕を残してしまったかを検証することはとても面白いだけでなく有益なことだと思っているが、まぁ、そんなことには残念ながらならないでしょうから、みなさんとりあえずスティーブン・セガール主演の暴力ウイルスパニック映画『沈黙の断崖』を観て次の疫病禍に備えましょうネッ!

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