シェリーの怨霊が卑語連発映画『ザ・ブライド!』感想文

《推定睡眠時間:0分》

『ザ・ブライド!』と感嘆符が付いているのはユニバーサルホラーの代表作『フランケンシュタイン』で怪物が蘇った時の有名台詞「It’s Alive!」由来なのだろうというわけで「ブライド」というのはその続編『フランケンシュタインの花嫁』を指す。既に『フランケンシュタイン』の時点でメアリー・シェリーの原作とはかけ離れた内容だったので『フランケンシュタインの花嫁』は映画オリジナルの続編なのだが、タイトルロールのフランケンシュタインの花嫁(フランケンシュタインは博士の名前で怪物は単に怪物なので、正確にはフランケンシュタインの怪物の花嫁ということになる)はラスト10分ぐらいにしか登場せず、たしか台詞もなかったんじゃないだろうか。花嫁は孤独を募らせるフランケンシュタインの怪物の花嫁として創造されたものの、急にお前は今からこの人の花嫁ですと言われても困るだろうし、花嫁はフランケンシュタインの怪物を拒絶するというのがそのオチ、出落ち気味の起用ながらドイツ表現主義の影響色濃い造型がかなり斬新でカッコよかったのでホラー映画史に刻まれることになったのがフランケンシュタインの花嫁というキャラクターであった。

その花嫁を主人公に『フランケンシュタインの花嫁』を現代風にアレンジしたのがこの映画なのだが、最近のハリウッドで無駄に流行っている単なる古典再映画化のたぐいではない。時は1930年代、場所はアメリカのシカゴ、主人公のアイダはギャングの情婦であったがその境遇から足を洗いたいと願っていたところ『フランケンシュタイン』の作者であるメアリー・シェリーの亡霊が憑依し、やたら口汚く卑語を連発し魔女的な哄笑を発するのがこの映画の中のシェリーであるからアイダも気が狂ったようになりギャングを怒らせて殺されてしまう。ちょうどそのころ『フランケンシュタイン』の原作では創造主フランケンシュタインと北極の果てに姿を消したはずのフランケンシュタインの怪物が人造人間研究をやっている別の博士のもとを訪れる。メアリー・シェリーが出てくるならフランケンシュタインの怪物が実在するという設定には「あれは実はフィクションではなく実話だったんだ」とかの説明が必要なような気もするがそんな説明はとくになく、怪物は孤独がツライので花嫁を作ってほしいと博士に懇願する。かくして墓場から掘り起こされたアイダが花嫁として新生、死んだショックで記憶を失いなにがなんやらわからないが、とにかく花嫁は怪物と一緒に第二の人生に足を踏み出してみるのであった。だがそこに警察とギャングと各種レイプ魔の魔手が迫る……。

いろいろ詰め込みすぎてなんだか混沌としているが、一言で言うならラディカル・フェミニズム版のアレックス・コックス映画というのがちょうどいいだろう。フィクションとメタフィクションが入り乱れ急にミュージカルが始まったり唐突に女たちが武装蜂起したりするパンク感はコックスの『ウォーカー』等を思わせるところで、特定のジャンルに収まらないその挑発的な越境性は、表現に手垢の付いたところはあるとしてもなかなか楽しい。もっとも、パンク精神が迸ってわけわからんコックス映画をとくに映画が好きでない人が観てもナニコレ意味不明で切り捨ててしまうだろうから、こちら『ザ・ブライド!』もやはり映画マニアとラディカルなフェミニスト以外には不評だったようで、アメリカでは今のところ今年最大の興行的失敗作になっているらしいが、俺が観に行った回も新宿のシネコンなのに俺の他にはカップルが一組いるだけで、しかもそのカップルは途中で帰ってしまうというほどであった。客入りが極端に悪いのは去年のデル・トロ版『フランケンシュタイン』、『フランケンシュタイン』を下敷きにした2023年の『哀れなるものたち』とフランケンシュタインものの映画がハリウッド周辺で何本で作られて飽きられたというのもあるだろうから、いろいろと需要と供給のミスマッチを感じる映画である。

ところでみなさんはシェリーの『フランケンシュタイン』を読んだことはあるだろうか。俺は一度だけあるのだが、フランケンシュタインの怪物は今や人気ホラーモンスターなのだから原作もよほどホラーな感じなのだろうと思いきや(海外怪奇小説を日本に多く紹介したホラーの泰斗・平井呈一もホラー小説ベスト10に『フランケンシュタイン』を入れていた時期がある)、ホラーというより人造人間テーマのSFというべき内容であり、怪物と創造主フランケンシュタインとの対話であるとか怪物のモノローグからすると、どうも『ブレードランナー』のレプリカントたち、とりわけそのリーダーであるロイ・バッティはシェリーの原作版『フランケンシュタイン』に強くインスパイアされたキャラクターなのではないかと想像でき、思っていたのとだいぶ違ったので驚いた記憶がある。

その記憶を頭の片隅に置いた状態で観ていたので『ザ・ブライド!』のシェリー像には「それは違うんじゃないの?」が思考の大半を占めていた。こういうのは実際に読んでもらわないとわかんないから説明しようがないのだが、『フランケンシュタイン』はかなり格調高い小説で、文章の端々から育ちの良さや豊かな教養が窺えるし、実際その後シェリーはSF小説『最後の人間』や旅行経験を綴った紀行文、人物の評伝など多彩な文筆活動を主業としたと『フランケンシュタイン』のあとがきには書いてあったので、要するに高貴なインテリなのである。ところが『ザ・ブライド!』に出てくるシェリーの亡霊は現世の男どもに対する狂気に近い怨嗟に燃えてすべてを破壊し尽くさんとするパンクロッカーのような人であり、ここにそうしたシェリーの面影はない。

『新解釈・三国志』みたいな映画もあるし、過去の偉人を映画というフィクションである程度自由に料理するのは作者の自由だとは思うのだが、metooの熱狂覚めやらぬ中で公開された『メアリーの総て』というシェリーの一応の伝記映画でもシェリーは男たちに虐げられて墓場を愛するようになった内向的でナイーブなゴシック少女として描かれており、これもまたシェリーの実像から大きく逸脱しているように見えるので、そうなるとちょっとみなさんシェリーをフリー素材として使いすぎじゃないですか、シェリーの実際の生涯をあえてなのか単に無知なのかは知らないが蔑ろにして自分たちの勝手に想像するシェリー像を映画に出すことに躊躇いを覚えないとしたら、それはシェリーをホラー/SF小説分野の女性作家のパイオニアとして讃えているようでいて、むしろ逆に名誉を毀損しているんじゃないですかと釘を刺したくなる。

そうした敬意の欠如は『ザ・ブライド!』の場合は他にもあり、『俺たちに明日はない』っぽく人が死ぬとか映画ネタをいろいろ盛り込んでいるこの映画にはフレッド・アステアをモデルにしたと思しき(アステアらしくは全然ないのだが)人物が出てきたり、アステアとコンビを組んでいたジンジャー・ロジャースの名前が出てきたりするのだが、その中の一つにアイダ・ルピノがある。女優としてデビューしたアイダ・ルピノは1950年代に監督業に進出しB級ノワールの傑作と名高い『ヒッチ・ハイカー』などを世に送り出したハリウッドの女性監督の草分けというべき人物、その名前が主人公の名として引用されていることはアイダを苦しめるギャングのボスの名前がルピーノであることから確実である。

この薄っぺらい命名自体ちょっと幼稚でいかがなものかと思うのだが、記憶を失っていた主人公はすったもんだの末に自分の名前がアイダであることを思い出し、しかしその後その名前を自ら捨ててザ・ブライドと名乗るのである。女の敵として造型されたギャング(具体的に何をやったのかは描かれないのでわからないが台詞でいろんな女の人の舌を切ってきたと説明される)がルピーノと名付けられた上に、まるで穢らわしいものでもあるかのように主人公がアイダの名を捨てるという行為が、映画の中でどのような象徴性を獲得するかをはたしてこの監督は考えていたのかといえば、それは甚だあやしいと言わざるを得ない。女は今も昔も男に虐げられているんだみたいなことをずっと言ってるフェミニズム・テーマの映画なのだから、もし俺がこの映画の脚本を書いていたら主人公にはブライドという従属的かつ固有名のない代名詞の名称を逆に捨てさせ、自分はアイダなんだと高らかに宣言させると思うのだが。

メアリー・シェリーやアイダ・ルピノといった実在の女性パイオニアのこうした扱いの杜撰さを考えると、どうもこの映画の監督マギー・ギレンホールはシェリーやルピノをフェミニズム・テーマをそれっぽく語るためのパッチワーク素材としか捉えておらず、その象徴性や固有性(そしてその業績)にはほとんど関心を持っていないというふうに見えてしまう。そればかりかそのフェミニズム・テーマというのも、「女たちは黙らない!」みたいな定型的なスローガンと銃をバンバン発砲しながら花嫁に感化された女たちが町を練り歩くという貧弱な革命イメージ(あと男たちは遭遇すると5割の確率でレイプしてくるチープさ)によって表現されるので、どうにも空疎で真実味なり切実さなりが感じにくく、真面目にフェミニズムをテーマとして消化しようとしたのかもよくわからなくなってくる。そもそもハリウッドで女優としても監督としても成功してお金をたくさん持ってるマギー・ギレンホールが私はもう黙らないと登場人物に叫ばせたところで説得力はないだろう。いやあんた別に黙らされてないじゃないの。そういうのは地位もお金も名誉も才能も無く現場のエライ人に逆らえず泣き寝入りしている日雇い労働者とかが言う台詞だ。

という具合でちょっとそれはどうなんですかと思うところは多々あるものの、まぁでもいろんな要素があんまり混ざることなくゴチャゴチャと詰め込まれてて画面がずっと騒がしいから、細かいことを気にしなければお祭り気分で楽しめる映画ではあるんじゃないすかね。

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