海鮮アニメ『海獣の子供』感想文(途中からややネタバレあり)

《推定睡眠時間:0分》

海の『AKIRA』みたいな映画だと思ったんですが海のアキラって声に出すとすごく普通に人の名前。だからなんだと言われてもなにもないです。
なにが『AKIRA』か。終盤の展開の暴走っぷりとそれを呼び込むキャラクターの布置、一人の平凡な女子中学生の小さな悩み事が様々な人間を意図せずして直截的に関わることなく巻き込んで台風のように大きな出来事になってしまう、というあたりが映画版『AKIRA』っぽい。物語を凌駕する絵の強さ、むしろ絵が物語そのものになってしまうというダイナミズムもまたそれっぽさの所以だ。

待ちに待った夏休み。スポーツ女子のルカは溢れんばかりのエネルギーを発散すべく部活に向かうが初日から痛恨のトラブル。なにがあったか知らないがルカを快く思わない同級生のラフプレーを食らい、倍返しで肘鉄をチョイスしたらガチ泣きされてしまったのだ。
泣かせた方が悪いの学校不文律によりルカは停部処分に。ラフプレーのせいでこっちも立派に膝を怪我しているのに…と思いつつも言葉にできずに不満を貯蔵、鬱屈ゲージが溜まっていく。

家には酒浸りの母親。部活から追放されたら行くところがない。ということでルカはひとまず別居中か離婚した父親の働く江ノ島水族館に行ってみる。むかし、両親に連れられてその場所を訪れた時に、大水槽にクジラの幽霊を見た記憶が不意に蘇ったのだ。行き場のない鬱屈チルドレンがクジラを見に行く、といえば居たたまれな系コメディの傑作『イカとクジラ』だが、なにかクジラにはそういう人を引きつける魔力があるのかルカもクジラに導かれるように無意識的に水族館に向かうわけである。

さてそこで運命の出逢い。Tシャツ短パンのままドボンドボンと水槽から水槽へ走り回り泳ぎ回る系キッズのウミくんが江ノ島水族館には預けられていた。話を聞くとなんでもジュゴンに育てられた水棲少年、彼を発見した人々によって表向きは水中適応の謎を解明しつつ社会復帰してもらうため兄のソラくんと共に陸上適応訓練とか適応治療をさせられているらしい(このあたりはなんかよくわからんがそれもまた『AKIRA』的である)。

アウトサイダー中のアウトサイダーと出逢ってなにか通じるものを感じてしまったルカ。ヒトダマだ! ヒトダマが来るよ! わけわからんことをいきなり言い出すウミくんについていくと彗星もしくは隕石のようなものが上空通過。水棲少年だから彗星とも感応するのだ。それは官能的な体験だ。ルカうっとり。
ついダジャレが言いたくて彗星と書いてしまったがあれはなんか隕石だったらしい。同じ頃、世界中で水棲生物の異常な大移動や沿岸部でのクジラの目撃情報、深海魚の大量打ち上げが観測される。かくして物語はわけのわからないまま『AKIRA』領域に突入していくのであった。

ここから終盤の展開とか絡めて書いてるので以下自己責任でおねがいしまーす。

さっきからアキラアキラ言っているが多発する水棲動物の異常行動からひとつの「現象」を予測しようとする謎団体にSF設定が見られるとはいえ、『AKIRA』にあったような見た目のSF感は波に洗われてほとんどない(ていうか別に『AKIRA』とは全然関係ない)。
代わりにあるものは土着的宇宙観・身体観で、『AKIRA』ではサイバーパンク精神がその爆発的な結末、すなわち宇宙の誕生に筋道を付けていたが、『海獣の子供』でその役目(こちらでは星や銀河かもしれない)を果たすのは身体の感覚に根ざしたスピリチュアリズムなのだった。

台風の渦巻きと銀河の渦巻き、海辺に転がる貝殻の渦巻きを『海獣の子供』は同じものの別の現れとして共鳴的に捉える。それをアナロジカルに把握するのは知性ではなく身体だ。なぜなら身体は太古のむかしから知っているから。身体は宇宙の全体を胚胎し宇宙の全体は個別化された身体を生む。一つにして全てであり、全てであるが一つであるモナド的な身体。わたしは常にあなたであるが、わたしは決してあなたではない、両義的で分裂した身体。これは個人の所有物としての身体ではなく、家族の身体でありシャーマンの身体でもある。

エンドロール後の超蛇足シークエンスが示すのはそんなことだったんだろうとおもう。切断された家族の再融合による生命の誕生と新生命の母親からの(へその緒の)切断。へその緒を切断するのはルカだったが、それは象徴的な彼女の親離れでもあったんだろうし、映画の終盤、ピノキオよろしく飲まれたクジラの腹の中で宇宙の、銀河の、星々の誕生と分裂の歴史を幻視して個としての自分が宇宙の中で立っている場所を知ったルカの成長を物語るシーンなんである。

切断、融合、誕生、そしてまた切断。そのサイクルは家族の再生産の過程であり、ここではルカの家族史が世界と重なり宇宙と重なっているが、そのサイクルを経験する女性の身体こそは両者を媒介するのだ。
クジラの歌は人間の言葉では到底伝えきれないような膨大な情報を伝えるという劇中の台詞がある。ルカの悩み事は言葉で伝えられない思いをどう伝えるかということだった。すべてを伝える言語へのあこがれがすべての始まりだった。それをクジラの腹で聞いて、家族の外の世界に居場所を求めていた彼女は家族の中の女としてピノキオよろしく再誕するわけである。

ところで『AKIRA』的なサイバーパンク・ムーブメントの源流といえばニューエイジ思想とよく言われるが、イルカ・クジラの知性を動物の中でも一段高いものと見て現在のイルカ・クジラ保護運動を生み出したのもまたニューエイジであった。
ざっくりスピリチュアルと呼ばれるものもニューエイジに直截の起源を持つものが少なくないわけで、俺が『AKIRA』を引き合いに出したのは『海獣の子供』とは思想的起源を共有すると思ったからなのだ。感覚だけで書いてるんじゃないんだこっちは! 誰に怒っているのか。

という点を確認した上でどうこの映画を理解すべきか考える。実は俺は、この映画がかなりいやらしいものに見えた。理由はふたつある。一つはスピリチュアリズムが下支えする復古主義的な家族観で、暴論を承知で言ってしまえばこれは(ニューエイジ宗教としての)幸福の科学の家族観の相似形である。

サイバーパンクが身体の物理的拡張と個の接続を徹底することで固定された性の役割を破壊しようとするのに対して(『AKIRA』で宇宙を生む、宇宙に成るのは男なので)、『海獣の子供』は同じ地平を目指しながらも性の役割の固定化に進む。それは物的な世界の水面下で既に我々は繋がっている、同じ宇宙に生きて同じ宇宙を宿している、というスピリチュアルな確信がそうさせるのだ。ルカがその確信を得て仲違いした部活仲間と(言葉によらない)仲直りをするには彼女が子を産む女としての身体を自覚する必要があった。それはそのまま、血縁家族の称揚にスライドするんである。

今ひとつのいやらしさはおそらくその復古主義的なトーンが、原作ありきとはいえ海外市場を視野に入れた戦略的な選択だったのではないかと思われるところだ。
クジラの歌と聞いて俺が思い出したのは安部公房の晩年のエッセイ『死に急ぐ鯨たち』だったが、どこかで無国籍作家の安部公房とは国家観で対極に位置する三島由紀夫が、安部の国境のない国家観こそ世界的に見えてその実日本的なもので、自分の天皇主義的ナショナリズムの方が汎世界的なのだ、というようなことを言っていたと記憶している。

俺はそれが『海獣の子供』という映画なんじゃないかと思う。ここにはどこか宮崎駿の影もあるが、反近代、反個人、反進歩主義、反主知主義、反グローバル等々の反欧米的な○○が宮崎駿的なるものの表面的なバリエーションとして、これがジャパニメーションの独自性だと言わんばかりにあえて前面に出されているように感じた。それは一つの思想というよりは、商品特性である。
そこに制服少女と『AKIRA』を加えれば海外市場向けアニメとしてもう言うことなしだろう。いや、これは冗談ですからあんま本気にしないで。これは、ですけど。

絵の力が圧倒的な映画はいつもその物語を絵よりも注意深く見てみる必要があると思っている。それは絵に対する物語の優越という意味ではなくて、絵には物語がなかなか越えられない倫理の壁を易々と突破する強烈な力があると思っているから。
さっきからすごい嫌味ばっかり書いている感じになってますがそれはまぁつまり絵がすごかったということなので…今更中立を装ってももう無理か。素直に諦めよう。いいよ俺は嫌われ者になるよ。こんなアニメはアニメ好きがみんな絶賛するに決まってるってことぐらい俺は知ってるんだよ。いいんだよ俺はアニメ好きじゃないから別に!

でも絵は本当すごかったですよ。コンセプチュアルなアートアニメに変貌を遂げるラスト20分ぐらいのサイケデリックな絵は逆に商売っ気というか、いかにも頭で考えた小綺麗なカオスという感じで俺はそんなにグっとこなかったのですが、揺れ動く描線の人物の瞳の動き、口の動き、手足の動き、水の中の透き通った身体、などなどにいちいち艶があって素晴らしかったし、ノスタルジックな寂れた港町風景は生臭いかおりが客席に漂ってきそうなほど生々しい迫力があった。要するに、エロいしエモい。

海の生き物の得体の知れなさ、薄気味悪さを強調した描写はその世界に身を投じることでルカが劇的な変化を遂げるための装置として見事だったし、そんなことを抜きにしても深海魚大量打ち上げのシーンの黙示録的な光景とかは単純にすげーってなる。
魚がそこにたくさんいる、ということはそれだけでちょっと怖いことだ。地球の大部分は海で、地上の人間なんかとは比較にならない数の生物がそこに暮らしていて、むしろ人間の方がいつ地殻変動とか海面上昇で沈むかわかったもんじゃない貧しい危ういところに棲んでいる地球上の生命の物好きな一変種でしかないと否応なしに突きつけられてしまうから。

エンディングテーマの米津玄師も話題になっているが劇中のスコアは久石譲。とくれば『あの夏、いちばん静かな海。』であり『もののけ姫』であり…あとついでに『水の旅人』でありというわけで、あまりメロディで主張するタイプのサントラではないのでそんな目立ちませんがこれも、よかった。

だからおもしろかったんですよ。おもしろかったんですけどやっぱり合う合わないはあるから、思想的に。それはどうしようもないですよ。幸福の科学の映画だっておもしろいやつはおもしろいからね。でも思想に共鳴したことは一度もないんです。そういうことです。そういうことなんです…。

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あと微妙にイイ話っぽくなってるのもなんか嫌なんですよ『海獣の子供』。どうせなら『AKIRA』みたいに色々ぶっ壊してぶっ殺しちゃえばいいんです。さっきまで倫理がどうのと言っていたはずなのにもう化けの皮が!

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